第139話:二人の時間
その日の放課後。いつものように、ソルはアストル、アプリル、リコッテ達と図書室へと集まった。
「――と、いうわけで。私とアストルが二人きりで過ごせるような方法って何か無いかしら?」
結局、昨晩はリュンヌとあれこれ話あったものの、良い案は出なかった。その時の結論としては、機会を待つしかないのではないかと、一旦答えは出たもののソルとしては諦めきれないものがある。
なので、彼らにもこの話を持ちかけてみることにしたのだった。
「勿論。アプリルやリコッテのことが邪魔だとか思っている訳じゃありませんわよ。リオンやレナと一緒にいるのも楽しいですわ。それはそれとして、アストルと二人っきりで過ごす時間っていうのも欲しいんですの。我が儘かも知れませんけれど」
アプリルやリコッテに誤解されては困ると、ソルもそこは予め断っておく。
「まあ、ソルにしてみたら、そう思うことがあるのも普通だよね」
幸いにして、アプリルはすぐに理解してくれて。隣に座っているリコッテもそれに続いて頷いてくれた。
「ええ、リコッテからあなた達の話を聞いていて、いつも羨ましく思っているんですのよ。私も、アストルと二人っきりで、そういう真似がしてみたいって。でも、なかなか難しそうにも思うんですのよねえ」
「そうかも知れないね」
腕を組んで、アプリルは唸った。
「と、君の恋人は言っているわけだけど。そこのところ、君はどう思っているわけだい?」
「えっ!?」
妙に慌てた声を出すアストルに、アプリルは半眼を浮かべた。
「アストル? 君、そんなにも顔を真っ赤にして一体何を考えたんだい? この、ほんの数秒の間に」
「いや? 待て! 違う。そうじゃない。決して、そういうつもりじゃない。ソル? 頼むから、誤解しないでくれないか?」
明らかに狼狽した声を出すアストルに、ソルは少し驚く。しかし、不快な感じはしなかった。
ソルは唇に拳を当てて、軽くアストルから顔を逸らした。
「大丈夫。分かっていますわ。私だって、お父様やリュンヌ達の事を見ていますし、お母様から色々と聞いていますもの。殿方というものに、そこまで理解が無い小娘のつもりはありませんわ」
「いや、だから私は本当に――」
「良かったじゃないかアストル。ソルは、ちゃんと君の気持ちは理解しているし。満更でも無さそうだよ」
アプリルの言葉に、ソルもつい意識して顔を赤らめた。無論のこと、アストルのことは何でも受け止める覚悟は出来ているつもりだが。
「アプリル。からかうのは止めてくれよ」
アプリルは呵々と笑った。
「そうよ。アプリル君はアストル様をからかいすぎよ。それと、ソルさんも? アストル様も? まさか、本気でそ、そういう事を考えていた訳じゃ無いのよね? 私達は、まだ学生なんですからね?」
どうやらこちらも、意識してしまったらしい。顔を赤くしながら、リコッテは固い口調で窘めてきた。ややもすると、怒りすら混じっていたようにソルには感じた。声も上擦っていて、かなり動揺している。
「当たり前だ。少なくとも、私はそんな風に考えたつもりは無い。学生の身分だということは重々承知しているし、ソルと月婚関係を結んだといっても、まだまだ手探り状態で。だから、あくまでも健全な交際を続けるつもりでいるんだ。さっきだって、それこそ君達のデートのような真似をソルと出来たらどうなんだろうかって、そういう事を考えていたんだ」
「ソルさんは?」
リコッテの問いに、ソルも頷く。
「私だってアストルと同じ考えですわ。学生の身分ということは、重々承知していますわよ。不健全な交際をするつもりはなくってよ? ゆっくりと二人っきりでお茶を楽しいみたいとか。一緒にボードゲームで遊びたいとか。馬に乗って草原を駆けたいとか。そういう事がしたいんですの」
「なら、良し」
安心したと、リコッテは胸を撫で下ろした。
ここまで自分達の交際を心配してくる当たり、ひょっとしてこの子も、かなりのむっつりなのだろうか? ふと、そんな事をソルは思った。
「でも、例えばそれなら――」
リコッテは人差し指を立てて、提案してきた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
日も暮れて、学校に残った生徒は少ない。そんな時間に、ソルとアストルは校舎から出た。
めっきり人影が減った校門を二人は抜ける。
「本当に、こんな事で良かったのか?」
隣で歩きながら聞いてくるアストルに、ソルは笑顔で頷く。
「勿論ですわ。欲を言えば、もっと長い時間。そう、この道がもっと長ければと思いますけれど。こうして、あなたの隣を一緒に歩いているだけでも、結構幸せなんですのよ?」
「そうか。そう言ってくれて、私も嬉しい。そして、私も同じ気持ちだ」
リコッテの提案は、ソル達が住む女子寮まで、アストルが送り届けるというものだった。
デートというのにも、恋人同士の帰り道というのにも些かボリューム不足ではあるのかも知れないが。それならそれで、その短い時間を精一杯に、惜しみながらも大切にしようとソルは思う。
「ひょっとしたら、本当に人を好きになるってこういう事なのかも知れませんわね」
「というと?」
「ただ、この人の隣にいるだけでいい。一緒に歩んでいきたい。そう思うこと。その人が、その人であればそれでいい。それだけで、満ち足りた気分になれる。そういうことですわ」
「うん」
改めて、自分はこの世界に生まれ変わって良かったとソルは思う。恐いくらいに、今は幸せだと思う。
ソルは勇気を出して、そっと左腕をアストルに寄せた。
「分かってますの? 今、私の小指があなたの手に触れましたわ。たった、それだけのことなのに。私は今、どきどきしているんですのよ」
「うん。私も、どきどきした」
照れくさそうな声が、アストルから聞こえてくる。
「ソル。改めて言わせて貰うよ」
「何を?」
「私は、君が好きだ」
その言葉に、ソルは顔をほころばせる。
「ええ、私も」
思えば、たったそれだけのことを言う時間を本当は望んでいたのかも知れない。