第137話:バッドエンドはもううんざり
昼休みになって、ソルは校舎の外れに向かった。
「やっぱり、ここにいたんですのね」
背後から足音を消して近付き。ソルが声を掛けると、彼女はびくりと体を震わせた。
「あなた。どうして、ここが?」
振り向いてきた彼女。スーリエの顔は明らかに恐怖で血の気が引き、白い顔をしていた。対照的に、その目の赤さが目立つ。
その目の赤さは、まず間違いなく。ソルが鞄に仕込んでいたトラップが理由だろう。
「保健室を覗いて。この学校でその目を何とかしようと思ったら、まず人目に付かない場所を選びますわ。それも、近くに井戸があって水の入手が簡単な場所。となると、場所は限られますわ」
あまりにも単純な推理。ソルの答えに、スーリエは呻く。
「来ないで!」
一歩、ソルが近付こうとしたところでスーリエが拒絶する。だからというわけでもないが、ソルは足を止めた。
「構いませんわ。でも、どのみち今のままでは、あなたはここから逃げる事は出来ませんわよ。その真っ赤に腫れた目で、どこに行こうっていうんですの?」
スーリエからの答えは無い。荒く、彼女は息を吐く。
様々な感情を渦巻かせながら、次第にスーリエの顔は俯いていった。
「お願い。見逃して、下さい」
嗚咽し、大粒の涙を零しながら、スーリエは懇願の言葉を吐いた。
「お願いします。謝るから。私に出来ることなら、なんでもします。だから、許して下さい。私、こんなの。あの人にだけは知られたくない。分かってる。あなたにしてみたら、ムシのいいお願いだって」
啜り泣き、スーリエはその場に崩れ落ちた。その姿をソルはしばし眺める。
軽く息を吐いて、ソルは答えを告げた。
"構いませんわ。元より、エドガーに言うつもりはありませんもの"
「え?」
自分で懇願しておきながら、まさか通るとは思っていなかったのだろう。スーリエは呆けた表情を浮かべ、ソルを見上げてきた。
それは、逆の立場なら自分もそんな顔になるだろうとソルは思う。
「約束は守りますわ。口裏も合わせておきましてよ」
予想外の好条件に、スーリエの顔には不信感がありありと浮かんできた。表情豊かな娘だとか、そんなことをソルは思う。
「何が目的? 私に何を要求しようって言うの?」
緊張で掠れた声を聞きながら、ソルはくすくすと口に手を当てて笑う。
「そんなに怯えないで下さいまし? 別にあなたから大切な何かを奪おうとか。そんなことはしませんわ。もっとも、あなたから見れば、私が怪しいことこの上ないっていうのも分かりますけれど」
「そんなの。当たり前でしょう。不自然すぎるわ」
複雑な表情を浮かべて睨んでくるスーリエに、ソルは微笑む。
「それとも、脅迫でもして欲しいんですの?」
「別に、そんな事言っていない」
ふて腐れた口調で、スーリエは言ってきた。
「じゃあ、一体何を要求するつもり?」
「そうね。まずはいくつか、話を聞かせてくれればよろしくてよ。話したくなければ、無理に話さなくてもいいですわ」
「そう」
スーリエの喉が、緊張で大きく上下した。
「あなた、風紀委員長のエドガーの事が好きなんですのよね?」
「は?」
「どのくらい好きなんですの? いつから好きになって? どうやって、お付き合いに至ったんですの?」
「なんで、そんな事?」
少し顔を赤らめながら、スーリエは困惑した声を上げた。
「単純に、私があなた達の恋愛に興味があるからでしてよ。一人の女として。でも私も、この学校に転校してきたばかりですし? ほんの噂程度にしか知りませんけど。一度、当人の口からどうだったのか、聞いてみたかったんですのよね」
「それ、言わないとダメなことなの?」
「ええ。さもないと。分かるでしょう?」
スーリエの前に座って目線を合わせ、黒い笑顔をソルは浮かべて見せる。
「どういう脅迫なのよ。それ」
悪態をついて、スーリエは舌打ちした。
「私が。今でこそこうして風紀委員の副委員長なんてやっているけど、元々は落ちこぼれの不良だったっていうのは、知っている?」
「まあ、少しは?」
「そう。でも今思えば、そうやって誰かに構って貰いたかっただけなのかも知れない。何でもいいから、私のことを見て欲しかった。それだけだったのかも知れない。子供よね。本当に」
「辛い思いをしていたのね」
ソルの言葉に、スーリエは表情を歪めた。
「そんなときから。エドガーは風紀委員をやっていて。事あるごとに私を指導しようとしてきた。最初は、本当に口うるさいだけとしか思わなかった。こんな私に、幾らお説教したって無駄だって。風紀委員として点数稼ぎしようと、私を利用しているだけだって。そう思っていた」
「でも、違うって思うようになった?」
スーリエは頷く。
「あの人。本気で私のこと、心配していたのよ。ある日。あまりにもしつこいものだから、ちょっとだけ格好をそれまでより大人しめにしてみたのよね。そうしたら、物凄く喜んでさ。こっちが恥ずかしくなるくらいに」
「でも、悪い気はしなかった。ということなのかしら?」
「そうね。うん。不良がちょっと真面目な真似したから、それで許されるっていうものじゃないのも分かるけど。間違っていたことを改めた努力っていうか。そういうのを認めて貰えた気がした。それから、何だかんだ接する時間も多かったから、少しくらい世間話くらいはするようになって。そういう事が出来る相手が出来て。それが、凄く嬉しかったのよ」
気恥ずかしそうに、スーリエは笑う。
「気付いたら。そうやって褒めて貰いたくて、構って貰いたくて。不良な真似を止めていった。でも同時に、エドガーと接する機会も難しくなっちゃって。どうしようか悩んで、その挙げ句が、こうして風紀委員になったっていうわけ」
「可愛いわね」
スーリエは顔を真っ赤にする。
「風紀委員に入ってから、私の過去とかそういうので除け者にされるかもと心配したけれど。それも結局、そんな事は無かった。むしろ、私は気持ちを隠していたつもりだったけど。周囲の女の子達にはバレバレだったみたい。そんなこんなで、生温かく見守られたというか、受け入れられて。こんな私にも、居場所が出来たって思った。でも当時のエドガーは、朴念仁な真似ばっかりで。全然私の気持ちは分かってくれないって悩んだりしたけど。今では、いい思い出よ」
懐かしむように、スーリエは笑みを浮かべた。
「やっぱり、あなた。似合いませんわね」
「何が?」
ソルは苦笑を浮かべる。
「私にやったような悪巧みですわ。似合いませんわよ、そんな真似。そんな風に、エドガーを想っている顔が、あなたには一番似合いましてよ」
スーリエは黙りこくる。
「もう少し、頭が回るなら。鞄のトラップが発動した時点で、無理に貴重品袋を入れようとかは思いませんわ。それをやったら、不自然さの方が出ますもの。兎に角私を陥れようと、焦りすぎて判断を誤りましたわね。だから、あなたはこういう真似は向いていませんわ」
「そんな事言われても。私――」
「次の質問ですわ。これは、誰の差し金ですの? それとも、私があなたに恨みを買うような真似でもしまして?」
ソルの問いに、スーリエは再び唇を固く閉じた。
「まあ、無理にとは言いませんわ。さっきも言いましたけれど、そんなつもりは、ありませんもの。もし、後で気が変わって。話してくれる気になったとしたら、それで構いませんわ」
ソルは自分の服にあるポケットに手を突っ込み、中身を取り出した。
「いい話を聞かせてくれたお礼に、これを差し上げましてよ」
「なによ。それ?」
「その目に効く薬ですわ。腫れと痛みを抑えますの。直ぐに治すという程のものではないけれど、目の周りに塗って一時間程度もすれば、少しはマシになりましてよ。少なくとも、あの催涙スプレーを直撃したと疑われない程度には」
スーリエは息を飲んだ。
「これを塗って、もう一時間ほどどこかに隠れていなさい。そして、ほとぼりが冷めた頃に授業に顔を出しに戻ればいいわ。可能なら服も軽く破いて。犯人を追っていたら、こういう植え込みの多い場所に入って服を枝で破いてしまい。恥ずかしくてどうしようか途方に暮れていたとか。そんな風に言えばよろしくてよ。治りきらない目も、それで泣きはらしたせいとか言えばいい。何なら、私があなたを見付けたということにして、着替えを持ってきてもいいですわ」
「いいの? なら、お願い。着替えを持ってきて」
「ええ。分かりましたわ。では、そういう話で口裏を合わせましょう。私があなたを悪く言っていない姿を見れば、エドガーも安心することでしょう」
これで話は終わりだと、ソル立ち上がる。
「でも、どうして? 私が言うのも何だけれど、こんなのあまりにも――」
甘すぎるとでも言いたいのか。確かにそうだと、ソルも思う。少なくとも、以前の自分ならまずこんな真似はしなかっただろう。
「もう、バッドエンドはうんざりなんですのよ」
空を見上げて、ソルはそう零した。
「どういう意味?」
「分からなくていいですわ。こっちの話ですもの」
ソルは自嘲した。
「それと、最後に。忠告というか、お願いですわ」
「何かしら?」
「もしも、あなたがこんな真似をした理由が。誰かの差し金か、あなた自身が誰かのためにやったものだったとして。その誰かが、今後あなたの望まない姿になっていくとしたら、その誰かを止めて頂戴。もしくは私を頼りなさい。これは、絶対に約束して下さいまし」
「ごめん。それも、意味が分からない」
ソルはスーリエに背を向ける。苦々しすぎて、とても今浮かべている表情を彼女に見せることは出来なかった。
「説明するのは、難しいですわ。それに、出来れば分かって欲しくはないんですの。でも、もしその意味が分かったとしたら、そのときは、お願いしますわ。それが、あなたのためでもありますの」
「分かったわ。約束する」
スーリエの答えに、ソルは少しだけ安堵した。
「あと、最後に私から一つだけ、あなたに言っておくわ」
「何かしら?」
「私は、あなたが考えている通り。誰かのために、あなたにこんな真似をした。それが誰のためかは言えない。けれど、その人は私にとってとても大事な人で。絶対に幸せになって欲しい人なの。その人は、エドガーと私が結ばれる切っ掛けを作ってくれた。私だけじゃない、この学校には沢山そういう風に世話になった人達がいる。分かる? あなたの敵はとても多いの。それを覚えておいて」
これが、スーリエからの忠告なのか、脅迫なのか。あるいは、贖罪として情報提供をしているつもりなのか。それはソルには判断が付かなかったが。
「そう。その人が羨ましいですわね」
心から、ソルはそう答えた。前世で、自分にはそういう人間がいなかったのだから。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
今日は、本当によく謝る日だとスーリエは思う。
つくづく、自分はソルにも言われた通り、あんな真似をするには向いていない人間だったのだと思う。
「――そう、そういう事だったの」
「本当にごめんなさいエリアナ。あなたに黙って勝手に、心配させるような真似してしまって」
「いえ。今、こうして白状してくれたのだから。いいですわ。私のために、やってくれたことなのでしょう? それに、これも無事だったから」
そう言って、エリアナは片翼のブローチを愛おしげに撫でる。
「もう、風紀委員の活動は元に戻していくわ。怪しまれないように少しずつだけれど」
「分かったわ。みんなも、困っていたもの」
犯人については、スーリエがあと一歩の所まで追い詰めたという話になっている。ここまでリスクが高いことになれば、犯人も当分は近寄ってこないだろうという話だ。
「でも、スーリエはもう、二度とこんな事はしないで頂戴」
「はい」
「私なら、大丈夫。心配しないで。私の方こそ、あなたにこんな真似させて、酷い目に遭わせてしまうようなことになって。ごめんなさい」
「ありがとう。エリアナ、許してくれて」
もう二度と、こんな真似はしない。そう誓って、スーリエは踵を返し、エリアナの部屋から出ようとする。
"結局、今までの私が手緩かったっていうことなのね"
背後から聞こえてきたその声に、スーリエはぞくりと背筋が凍った。
そのときになって初めて。スーリエはソルが言っていた意味が少し、分かった気がした。
自分が何か、本当の本当に取り返しの付かない過ちを犯してしまったのだと思った。気のせいだと、何度も自分に言い聞かせるけれど。