第135話:疑惑の渦中
家政科の授業を終え、ソル達が教室へと戻ると、騒ぎが起きていた。
まあ、そうなっているだろうなと思いつつも。ソルは驚いたかのような表情を浮かべて見せた。
「これは、何事ですの?」
ソル達とは別に分かれ、体育の授業から戻って来ていた男子達が答えてくる。
「どうやら、この教室に例の泥棒が入り込んだらしい」
「俺達のロッカーが荒らされた形跡があるとか」
「今、駆けつけた風紀委員達が調べている」
それを聞いた女子達からは、明らかに動揺した声が上がった。
「ちょっと、中に入れさせてよ」
「私の荷物は大丈夫? 確かめさせて」
「中は一体どうなっているのよ」
蜂の巣を突いたかのような、女子達の要求に教室前にいるエドガーがたじろぐ。
「ご、ごめんよ。もうちょっとだけ、待ってて」
そして、彼は教室の中に向かって、様子を訊いた。
「――いやいや、そうはいっても。そんなに抑えられるわけわけないだろう。みんな心配なのも当然なんだから。証拠? それも、このクラスの人達に協力して貰えばいいじゃないか。何か気付いたところがあったら、そのときに教えて貰おうよ」
そんなやり取りを幾らか経て。
ようやく、エドガーの説得も聞き入れられたようだった。彼は安堵の息を吐く。
「もう中にいいってさ。ただし、各自自分の机や鞄から何か盗まれたりしていないか、僕達の前で分かるように確認させて欲しい。協力してくれるかい?」
彼の言葉に、反対は無かった。
「これは、一体何の騒ぎですの?」
そこに、エリアナを始め。生徒会も合流してきた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
教室へと入り、他の生徒達と同じように、ソルはロッカーに置いた自分の鞄を確認する。
「あら、おかしいですわね」
ソルの声に反応し、教室の中にいる生徒達の視線が集中する。
すかさず、エドガーが隣へとやってきた。
「おかしいって、何が? ――って? 君は確か?」
「あら? 先ほどはどうも。ええ、見間違いじゃありませんわ。お話を聞きに来た、あなた達のファンですわ。奇遇ですわね」
少し、驚いた表情を浮かべるエドガーに、ソルは微笑む。
「あ、うん。それで? 何かおかしな所が?」
「私の鞄、誰かに開けられたようですわね」
「何だって?」
ソルは開口部には触れないようにロッカーから鞄を取り出し、エドガーに見せた。
「ほら? ご覧下さいまし? 鞄が閉じきっていないでしょう?」
「本当だ。君は、確かにこの鞄を閉じた状態で教室を出て行ったんだね?」
「当然ですわ。こんな誰もが開けられるような状態にしておくほど、私は不用心ではなくってよ」
「分かった。取りあえず、君も自席の机にその鞄を持っていって。そこで中を開いて見せて欲しい」
「分かりましたわ」
エドガーの言う通り、ソルは自席へと向かう。いつの間にか、エリアナも近くに来ていた。
そして、ソルは机の上に鞄を置いて、開いて見せた。
「えっ!?」
傍に立つエドガーから、息を飲む声が聞こえた。
「何ですの? これは?」
一方でソルは、怪訝な声を上げる。もっとも、こういう事になっているであろう事自体は、予想通りであったが。
ソルの鞄の中には、固く紐で結わえられた革袋が入っていた。
「どういうことっ!?」
「何でこれが、あなたの鞄の中にあるのよ!」
「説明しなさいよ説明っ!」
「やっと見付けたわ。この泥棒っ!」
一斉に、風紀委員の女子生徒達がソルの近くへと群がり、激しい剣幕で責め立ててきた。
その中で出てきた泥棒という言葉に、教室の中が騒然とする。
「謝りなさいよ!」
「どう責任取るつもり?」
「あなたのお陰で、私達がどんなに――」
頭に血を上らせた風紀委員の女子生徒達を見回しながら、ソルは何と言えばいいものかと考える。彼女らの頭を冷やす、最も効率的な文句は――。
「君達。いい加減に止めないかっ!」
と、その喧噪は、思わぬ所から止められた。
エドガーが声を張り上げる。穏やかな印象が強いこの男の声に、女子生徒達の囀りは止まる。
「そういう、一方的な真似は止めるようにいつも言っているだろう? こういうときは、落ち着いて話を整理するべきだ」
「ですが、会長――」
「何か、文句があるのか?」
それでも、何事かを言おうとした女子生徒をエドガーは一喝する。その迫力に気圧され、彼女は口籠もった。
恋人に頭が上がらない、優しいだけの男かと思えば、なかなかそうでもないようだ。ソルは心の中で、エドガーの評価を上げた。
「そうだ。ソルは、決してそんな盗みをするような奴じゃない。友達として、そう信じている。頼むから、ソルの話を落ち着いて聞いてくれ」
教室に、今度はアプリルの声が響いた。思わず、ソルは彼を見る。
アプリルが向けてくるその視線には、何の疑いも無かった。かつては、彼の大事なものを盗んでしまったこともあるというのに、それでもなお信じてくれた。その事に、ソルは胸が熱くなるものを感じた。
「君は、ソルという名前なんだね」
「ええ。ソル=フランシア。この春にソレイユ地方から転校してきたんですの。名乗りが遅れて申し訳ありませんわ。お見知りおきを」
「分かった。それじゃあ、ソルさん。これから、僕達が訊くことには正直に答えて欲しい」
「勿論ですわ」
ソルは頷く。
「なら、これに見覚えは?」
ソルは革袋に目を落とす。
「あると言えばありますし。無いと言えば無いですわね。私には判別が付かないという意味ですけれど」
「つまり、君はこれが何かは分かっているんだね?」
「あなた達風紀委員に預かって貰っている。貴重品を入れた袋ですわね。朝の持ち物検査などで、同じものを見ていますわ」
エドガーは首肯した。
「そうだ。これは僕達が管理している貴重品入れだ。本来なら、今頃は風紀委員室の金庫に入っているはずのものだよ。一応訊いておくけれど。それが何故君の鞄の中に入っているのか? 心当たりは?」
「全くありませんわ」
ソルは静かに首を横に振った。
「本当ですの?」
囁くように。透明で、冷たく突き刺してくる声でエリアナも訊いてくる。
ソルが顔を見上げると。視線の先で、エリアナは薄く嗤っていた。その表情に、ソルは背筋が凍る思いがした。久しく、こんな感情を覚えることは無かったというのに。
「ええ、本当ですわ」
ソルはエリアナから視線を逸らし、答える。とてもではないが、彼女の目を直視し続けることは出来なかった。彼女の瞳は、全くの光を喪い、深く澱んでいた。