第134話:罠への誘導
その日、ソルはエドガーがいるクラスへと赴き、彼を呼び出した。
それまで接点が無かった、別クラスの美少女が一体何の用だと。人によっては妄想が捗る事態ではある。それ故にか、彼のクラスメイト達の何割かは、ソルとエドガーに好奇の視線を向けてきた。ソルは無視するが。
「えっと? 僕に話って、何の用かな? ここでも構わないような用事かな?」
「ええ。別に、人目に付くところで構わない話でしてよ? 時間も、そんなに取らせるつもりはありませんわ」
「ならいいけど」
ソルはエドガーを廊下へと連れ出す。
「ちょっと噂で気になったっていうだけなんですけれど。最近の風紀委員の活動って、スーリエっていう子が率先して仕切っているっていうのは、本当なんですの?」
「誰がそんな事を?」
「風紀委員の男子達による愚痴ですわ。私も、噂でしか知りませんけれど」
とは言いつつ、かなり確度が高い情報だというのは、ソルも確認済みである。複数の証言が確認出来ている。
「それで? 本当なんですの?」
ソルの問いに、エドガーは困惑の表情を浮かべる。
「まあ。本当だよ。ここ最近、急に変わったんだ。ひょっとしたら、盗難の犯人と何かあったのかとか心配もしているんだけど。本人はそんな事は無いって言っているし」
困ったと言わんばかりに、エドガーは頭を掻く。
「あ、話ってその事? 最近の風紀委員の活動について、方針を改めて欲しいっていう? それならごめん。僕らも、これでやり過ぎないように話し合ってはいるんだ。なるべく、当事者の事情や心情を汲むようにも言っている。けれど、すぐに元に戻すっていうのは、期待しないで欲しい。本当にすまない。ただ、スーリエ達も決して悪気があってやっているわけじゃないんだ。そこはどうか、理解して欲しい」
何も言っていないのに、こんな事を言ってくるあたり、同様の苦情はかなり寄せられているのだろうなとソルは推測する。
「それも、噂で聞いていますわ。ですから、別にそのことを責めに来たわけではありませんでしてよ?」
「というと?」
エドガーは首を傾げる。
「ただ、少しだけそれについても訊いてみたいことはありますわね。いつ頃からスーリエ達がそんな風に変わったのかとか、そうなった心当たり何か無いのかとか」
エドガーは深く溜息を吐いた。
「いいや? それが、本当に何も心当たりは無いんだ。盗難事件の話が出てくるようになってからっていうのは確かなんだけど」
「なら、盗難事件が落ち着けば、彼女たちも元に戻るっていうことかしら?」
「僕達はそう思っている。だから、早く犯人が捕まって欲しいんだけど」
「ちなみに、いつ頃に犯人を捕まえられそうとか。犯人の心当たりとか、そういうのはあるかしら?」
「それも、よく聞かれるんだけどね。生憎と全然無い。不甲斐なくて、本当にごめん」
沈痛な面持ちで、エドガーは頭を下げてきた。本当に誠実な男なのだろうと、ソルは彼に改めて好感を抱く。
「なるほど。分かりましたわ。それで、本題に入りたいんですけれど」
「本題?」
ええ。と、ソルは頷く。
「あなた。お付き合いしているとは聞いていますけれど。スーリエのことは好きですの?」
「なっ!? 何を突然?」
途端、彼は動揺した声を上げた。可愛い反応だとソルは思う。
「どうなんですの?」
「どうもこうも。そりゃあ。聞いているんだろう? 好き。だよ。勿論」
ふむふむとソルは頷く。
「では、少し言い方を変えますわ。彼女のことをどこまで好きですの? 何があっても、絶対に彼女を信じ、守っていこうというだけの覚悟はおありですの?」
「何が言いたいんだ? まさか、盗難事件について、何かスーリエのことを知って――」
不機嫌にエドガーの顔が歪むのを見て、ソルは首を横に振る。
「いいえ。全然、そういう話ではありませんわ。ただ単に、こちらに転校してきてから、最近あなた達の話を聞いて。これも、ファン心理というものかしらね? 野次馬根性とあなたは軽蔑するかも知れませんけれど。どのくらいに好きなのかって気になった。本当にそれだけですわ。昨日の朝、あなた達の諍いも見掛けましたけど。お二人の間に亀裂が入っているとしたら、それは寂しいですもの」
その答えに、エドガーは訝しむ表情を崩しはしなかったが
。
「勿論。それだけ好きだよ。気障な言い草だというのは自覚しているけど、敢えて言うよ。僕は、例え世界の誰もが敵になったとしても、僕だけはスーリエの味方でい続ける。これで満足かい?」
その告白は近くで聞き耳を立てていた生徒達にも聞こえたのだろう。周囲が色めき立つのをソルは感じ取る。
ソルは深く頷いた。
「有り難うございますわ。その言葉が、聞きたかったんですの。これで、安心しましたわ」
それではと、ソルは踵を返す。
上機嫌に笑みを浮かべて手を振りつつ、肩越しに背後のエドガーを見ると。彼は全く意味が分からないと、目を白黒させていた。
どうかそのまま、分からないままでいて欲しい。そう、ソルは心の中で彼に伝えた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
上流階級に人間でも。あるいは、上流階級の人間だからこそか。自分のことはまず自分で出来るようになるべしという考えにより、この学校では家政科の授業が設けられていた。
ちなみに、ソルが去年まで通っていたような学校。国の大半を占める、庶民的な学校ではこのような科目は無い。何故なら、そんなものは、そういう学校に通う学生達にとっては、そもそも日常的にやって身に付けてしまうからである。
眉根を寄せながら、ソルは針と布相手に格闘していた。料理には多少なりとも自信はあるが、裁縫はそれほど得意ではない。ティリアから多少は手解きを受けたものの、こっちはこれまで、そんなにやっていないのだ。
そんなソルの隣で、リコッテは鼻歌交じりに軽快に針と動かしていく。
「リコッテは凄いわよね。もうそんなに縫ったの?」
「昔から、私はこういうのが好きですから」
はにかみながら、リコッテは答える。
「リコッテは、服や装飾品とか化粧品とか。お洒落が好きなのよね。アプリルが言っていたけど」
「うん。まあ、ね」
「何か、そういう逃す気になった切っ掛けとかあるのかしら?」
「どうかしら? ただ、子供の頃に素敵なドレスを着せて貰ったときに、それまでの自分と何かほんの少し変われたように思えた。その体験が忘れられないというのは、あるかも知れない」
「素敵な思い出じゃない」
ソルの言葉に、リコッテは頷く。
「それなら、リコッテはそういう才能で身を立てるつもりなのかしら?」
「そうなれたらいいなとは、思っているんですけどね」
どこかぼんやりとした口調で、リコッテは答えてきた。強い意志を感じないその答えに、ソルは引っ掛かるものを感じながらも、それ以上の詮索はしないことにした。
彼女が何かを抱え込んでいるのか、あるいは気のせいかも分からない。ただ、迷っているだけなら、その答えは自分で選択するのが彼女の自由であり責任だと思うから。
無論、もしも夢に障害があるという話だったのなら、打ち明けてきたそのときには協力を惜しまないつもりだが。
と、そんな話をしていると、ソルの傍らに家政科担当の教師が寄ってきた
「ソルさん。ちょっと、こちらに来て下さい。生徒会からの呼び出しだそうです」
老齢の女教師の言葉に、ソルは首を傾げる。
「私にですの? こんな、授業中に? 何の用で?」
「それが、私にもよく分かりません。伝えに来た生徒も、もう帰ってしまいましたし。私も訊いたんですよ? でも、その生徒も、兎に角来て欲しいとしか聞いていないって」
ソルは半眼を浮かべた。あまりにもこれは、胡散臭すぎる話だ。とはいえ、無視出来る話でも無い。自然に断る理由というのが、思い付かない。
「分かりましたわ。少し、行ってきますわね。要件が終わったら、直ぐに戻って来ます」
「ええ、行ってらっしゃい」
軽く嘆息して。ソルは生徒会室へと向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
案の定。生徒会室の扉の鍵は閉ざされていた。その上、中に誰もいる気配が無い。
あそこまで不自然な真似をしておいて、疑われないとでも思っていたのだろうか? それを理解しつつも、こうしてのこのことこんな所まで着た自分も自分だとは思うが。
「本当に、仕方のない子ですわね」
口元に手を当てて、ソルはくすくすと笑う。ここまで来ると、いっそ微笑ましいとすら思えた。