第120話:月婚の儀
漸く、ここまで辿り着けた。
ソルは笑みを浮かべる。見る者に深紅の薔薇を想起させるような、艶やかで情熱的な笑みだ。
王城の一角で、ソルは白を基調とした、ウェディングドレスをより簡素にしたような衣装に身を包み、慎ましく佇む。
向かいに立つのは、この国の王子にして第一継承者。アストル=レジェウス。金糸のごときブロンドに、サファイアのような蒼い瞳を持つ、美少年だ。
聡明で優しく、まさに彼女にとっての理想の男性。
この世界に転生してからの日々は、彼を手に入れるためだけに生きてきたようなものだ。途中で、様々な男性と出会い、心揺れ動きはしたものの。それもすべて、彼に相応しい女性になるための、いい経験だったと思う。
辺境の田舎貴族とはいえ、愛情深い家族の娘として生まれたことは、本当に幸運なこどだった。
この幸運が、いつまで続くのかに怯えながらも、それこそがあるべき日常だったのだと少しずつ受け入れ。そんな中で、少しでも彼に近付く可能性を高めるために努力を積み重ねてきた。
だが、そんな長い戦いもついに終わる。こうして、愛しの王子と結ばれるという形で。
いや、ある意味では戦いは続く。こうして、愛しの王子と結ばれるという形で。ここが、次なるステージのスタートなのだから。
微笑みを浮かべるアストル。そんな彼を目の前にして、彼女ははにかみながらも、笑顔を返した。
「今ここに、愛の道に挑む新たな二人を私達は迎えました。その始まりの誓いを見届け、また祝福しましょう」
ソルとアストルの間に立つ聖職者が、厳かに、また温かい声色で宣言する。その声は、部屋に良く響いた。
彼女らを取り囲む知人達の視線をソルは強く意識した。この国の国王夫妻であるアストルの両親。アプリル。リコッテ。そして、ソルの父親であるエトゥルと、リュンヌ。
「アストル=レジェウス。あなたは、ソル=フランシアを共に愛の道を歩む協力者として認め。己の心を偽ることなく、互いのその心を敬い、真心を尽くすことを誓いますか?」
「誓います」
聖職者の問いに対して、アストルははっきりと、宣言した。
聖職者は頷く。
「ソル=フランシア。あなたは、アストル=レジェウスを共に愛の道を歩む協力者として認め。己の心を偽ることなく、互いのその心を敬い、真心を尽くすことを誓いますか?」
「誓いますわ」
ソルもまた、聖職者の問い掛けに対して、即答する。
望んでここにいるのだから、それ以外の言葉が出るはずが無かった。
「では、アストル=レジェウス。誓いの証として、耳飾りを付け、ソル=フランシアの左手に口付けを」
聖職者が、赤く塗られた陶器の耳飾りを取り出す。無言で、アストルはそれを受け取り、左耳に付けた。そして、ソルの目の前に傅く。
ソルは、腕をアストルの前に差し出した。彼は、優しく彼女の左手を取り、その甲に唇を重ねた。彼の柔らかな唇の感触に、ソルは感動を覚える。
「続いて。ソル=フランシア。誓いの証として、耳飾りを付け、アストル=レジェウスの額に口付けを」
アストルに倣い、ソルも陶器の耳飾りを受け取って、左耳に付けた。そして、その場に腰を落とし、膝を床に付ける。
アストルと同じ高さの目線。ソルは、彼の顔を両手で挟む。アストルは静かに、目を閉じた。
文字通り、目と鼻の先にある彼の姿に、ソルの心臓は高鳴る。いっその事、何かの手違いだと言い訳して、このまま彼の唇を奪いたい衝動を抑えつつも、ソルも目を閉じた。
そっ、と唇で彼の額に触れる。
その一瞬を名残惜しいと思いながらも、ソルは唇を離した。
「いまここに、月婚の儀は成されました。お二人の、幸多き未来を祈ります」
聖職者の厳かな宣言と共に、大きな拍手が二人を包み込んだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
月婚の儀を終えて、儀式用の衣装を着たまま、ソルはアストルと共に城内の庭を散策することにした。
流石に、儀式だけを終えて一同が解散というのは、味気なさ過ぎる。慣習的なものではあるが、小休止を挟んで、軽く歓談することになった。
その小休止の時間を利用して、二人きりの時間を楽しんでいる。
「はあ。何度かお母様から惚気で聞かされていましたけど、緊張しましたわ」
「そうなんだ。実は、私もだ。特に、ソルの手を取って口付けをするときは、ドキドキした」
照れくさそうに笑うアストルを見て、ソルも笑う。
「ちょっと、意外でしたわ。アストルも、内心ではそうだったんですのね。私も、あなたの額に唇を重ねていくときは、心臓が張り裂けそうな思いだったんですのよ」
その余熱は、まだ冷め切っていないようにソルは思う。
「やっぱり。誰でも緊張するものなのかな。さっき、ソルは母上が父上と月婚の儀を交わすとき、緊張したって言っていたけれど」
「そうですわね。でも、特に緊張していたのは、お父様の方だったようですわよ? お母様が言うには、もう傍目で見ていても緊張でガチガチに固まっていたっていましたもの。あれは絶対に、その緊張が伝染ってしまったせいだって言っていましたわ」
「へえ。そうなんだ。ちなみに、その件について、お父上は何て言っているんだい?」
「『仕方ないだろう。ティリアが来るまで、本当に近くに同じ年頃の女の子と関わることが無かったんだから』って言っていますわね。そんな有様から始めて、互いに衝突したりもしながら、何だかんだで一緒になった二人のことを私は尊敬しますわ」
「そうだね。最初から、すべてが上手くいくなんて、きっと無いのかも知れないね。だからこそ、それらの問題を互いに協力して乗り越えられるのかどうかを確認するために、こうして月婚の儀というものが生まれたのだから」
でも、あなたとならきっと、一緒に乗り越えていける。口には出さずとも、ソルはそう思っている。
「ソル。一つ、約束してくれないかな」
「それは、内容によりますわね。でも、あなたの頼みなら、出来る限り聞くつもりですわよ」
アストルは頷く。
「月婚の儀でも誓った話だけれど。もしも。本当にもしもの話だけれど、ソルが私と共にいることが辛く感じることがあるようなら、正直に言って欲しい。私はソルのその気持ちを尊重するから。ソルが私と付き合うことで、心を押し殺すことになるというのなら、その方が私にとって辛いことだから」
アストルの願いに、ソルは苦笑を浮かべる。
「何ですの。神妙な顔をして、何を言うかと思えば。そんな事を考えていましたの。そんな心配、無用ですわ。でも、それだけ私の心を大事にしてくれるっていうことですのよね。嬉しくてよ」
ソルは人差し指を立て、片目を瞑った。
月婚の儀の後、聖職者もアストルと同じような事を言っていた。例え、月婚の儀を交わしたとしても、真の結婚である陽婚に至らないことはままあることだ。しかし、それは決して失敗でも敗北でもない。己の心に素直に従った結果であれば、それは輝かしき挑戦結果に他ならないのだ。それは、心を偽った末の結婚が、不幸を招くという考えから来るもの。
「でも、それならアストルの方こそ。同じ約束をしないとフェアじゃないんじゃありませんこと? 私は誓いの通り、真心をあなたに尽くします。アストルも、私に真心を尽くして下さいませ」
「ああ、勿論だ」
笑顔で、アストルは頷く。ソルも元々、疑ってなどいないが。
「あと、もう一つ、お願いを聞いてくれませんこと?」
「私に出来ることなら」
少し頬を赤らめて、ソルは願いを伝える。
「あなたと腕を組んで、歩いてみてもよろしくて?」
そんな頼みに、アストルは一瞬、目を丸くしたが。
「私でよければ、喜んで」
快諾して、彼は腕を曲げてソルに向けた。
ソルはその腕に、自分の腕を通す。こんな真似は、前世でもしたことが無かった。だから、凄くやってみたくて、でも上手く出来ているか不安でもある。
アストルに寄り添って歩きながら、腕から伝わる彼の温もりと、幸せをソルは胸一杯に感じた。
ソル「勝ったっ! 最終章完! ソルの恋完結! ここまで読んでくれた人達に、感謝しましてよ! これを書いている奴の次回作に期待しなさい! あと、『この異世界によろしく』の方もよろしくね!」
リュンヌ「……もうちょっとだけ、続くんじゃよ?」
ソル「えっ!?」
リュンヌ「えっ!?」