第119話:月婚の儀。その前夜
ソルが初めてアストルと直に会って、話をして、それから数日が経った。
学生寮がどのようなところかも、だいたい把握出来た。
部屋は前世の自室はおろか、屋敷に住んでいた頃の自室よりも更に狭く質素ではあるが、ソルはそれについて、今さら不満は覚えなかった。他の学生達も、同じ生活をしているのであり、またアストルと一緒に学生生活を送れるというのなら、それは些末なことだと思った。
机に向かい、故郷に残る家族と、セリオに向けてソルは手紙をしたためる。
無事に王都に着いたこと。アストルと出会い、少し舞い上がりつつも夢のような時間を過ごしたこと。アプリルと再会したこと。リコッテと友達になれたこと。転校先の学校でも、試験は無事に合格点を取ることが出来たこと。
伝えたいことは沢山あって、ついつい手紙は長くなってしまったように思う。
手紙を書き終わって、ソルは軽く伸びをした。そして、机に背を向ける形で椅子に座り直す。
「リュンヌ。来なさい」
静かな声で、ソルはリュンヌを喚ぶ。
少しの間を置いて、彼はこれまでのように、姿を現した。
「お呼びでしょうか。ソル様」
「ええ。ちょっと、話がしたくてね」
「それは構いませんが。ここ、女子寮ですよね? 大丈夫ですか?」
少し不安げに、リュンヌは周囲を見渡す。
「大丈夫ですわよ。上流階級の子息、子女が利用するだけあって、ちゃんと個室が与えられていますわ。ベッドが一つしか無いのを見ても分かるでしょ?」
「なるほど。でも、やっぱりなんだか、ここが女子寮だと思うと、落ち着きません」
「何ですの? 今さら何か、意識でもしているんですの?」
神だか裁定を司る者だかの仕業か知らないが、こうしてリュンヌと二人きりでいる時間は、邪魔される事は無いと聞いている。
だから、侵入者の可能性を恐れることは無いはずだ。それに、もしそんな可能性があったとしたら、屋敷にいた頃の方が、ある意味ではよっぽど危険ではなかったのか。
「そういう訳では全然無いんですが。縄張りというか、そういうものが、凄く居心地悪いです。雰囲気的に、世界が違うみたいな警戒感が湧くというか。ソル様だって、男子寮には入りづらいとか思いませんか?」
「まあ、全く分からないとは言いませんけどね」
ソルは苦笑を浮かべる。どことなく弱気なリュンヌの姿を見て、それがどうにも面白かった。普段の彼が、こんな姿を見せてきた覚えは無い。
「そっちの方はどうでしたの? 私は無事に合格出来ましたけど」
「はい。それは大丈夫です。無事に入学出来ました。まあ、早々に講義と訓練に参加しているので。すみません。白状すると結構疲れています。出来れば、ご用件は手短にお願い出来ないでしょうか?」
「分かりましたわ。でも、そっちはもう授業が始まっているんですのね?」
「騎士士官学校ですからね。休養日はありますが、それも効率よく体を鍛え、講義に集中出来るようにする為です。有ってないようなものですよ」
「ふぅん?」
本人が気付いているのかどうかは知らないが、騎士や仕官学校について、随分と分かったように言うものだとソルは思った。その理由について、問いただすつもりは無いが。
「ちゃんと、ついて行けそうですの?」
「大丈夫です。今はまだ体が適応出来ていませんが。数ヶ月もすれば追いつけるはずです。剣術や格闘技の訓練でも、技術的な遅れはありませんから」
ふと、ソルは半眼を浮かべた。
「まさか、あなたも筋肉ムキムキのマッチョメンになったりしないでしょうね?」
リュンヌは目を背ける。
「それは? さあ? どうなんでしょうか? 我が事ながら、さっぱり分かりません。流石に、この体格なので、リオンぐらいの体格に落ち着くと思いますが。他の学生達も、概ねあのような具合に落ち着いていますし」
「なら、いいですけど」
唇を尖らせるソルに、リュンヌは苦笑を浮かべる。
「何でそんな事を気にされるんですか。僕がどんな姿になろうが、ソル様には関係無いじゃないですか」
「それは、その通りですけどね。でも、気分っていうものがありますわ」
「左様ですか。ご希望に添えるかは分かりませんが、でも、覚えておきます」
リュンヌの返事に。うむ。と、ソルは大きく頷いた。
「それで? 結局のところ、ご用件は何でしょうか? 先ほども申し上げましたが、正直、訓練に追い着くのに大変で疲れています。本当に、申し訳ありませんが。手短にお願いします」
「それなら大丈夫ですわ。ただちょっと、あなたの近況を確認したかったっていうだけですもの。だから、その用件もさっきの話で済みましたわ。あと、アストルとも付き合うことになりましたけれど。それで、ソレイユにいた頃のようにあなたにこうして相談出来るのかって確認したかったっていうのもありますわね」
「なるほど。そういうことでしたか。お気遣い、有り難うございます」
納得したと、リュンヌは頷く。
「ねえリュンヌ? 最後にもう一つだけ、教えてくれないかしら。答えられないのなら、無理に答えなくてもよろしくてよ」
「何でしょうか? 僕に答えることが出来る話でしたら、何なりと」
微笑むリュンヌの瞳をソルは静かに見詰める。その奥にあるものを少しでも汲み取れるように。
「リュンヌは、誰かとお付き合いをした経験はありますの? 前世の経験を含めて」
その質問に、リュンヌは少し目を丸くした。
「どうして、そんな事を?」
「リュンヌ。私は明日、アストルと月婚の儀を交わしますわ」
「はい、存じ上げております」
「そうしたら、私は正式にあの人と恋人関係ということになりますわ」
「そうですね」
ソルは頷く。
「その。恥ずかしいけれど私も殿方とお付き合いをした経験って、ほとんどありませんの。前世は、一応はあの方と結婚まで手が届きかけましたけど」
「まあ、そうだと思います」
「今にして思えば、あの人と恋人らしいことを出来ていたかって思うと、自信がありませんわ。あの人の隣にいることだけで一生懸命で、その居場所を守ることだけが必死で。それでも、私は本当にあの人を好きだったとは思いますけれど」
あそこで、きっと選択を間違えていたのだろう。今になって、ソルはそう思う。
もう、今となってはどうしても取り戻せない話だが。
「だから、今度はアストルとは、もっと恋人らしいことをしていきたいって思いますわ。でも、どうすればいいのかは迷いますわ。アプリルやリコッテ。場合によってはお父様にも相談しますけれど。あなたの意見も聞きたいんですの。それで、あなたの事はどれくらい参考に出来るのか、その目安みたいなものを知りたいといいますか」
「ああ、なるほど。確かに、そういう話はしたことありませんでしたね」
リュンヌは虚空を見上げた。自虐的な笑みを浮かべてくる。
「そういう意味では、僕はあまりお役に立てないかも知れません。僕も結局、そういう真似が出来たかというと、きっと出来ていなかったと思うので」
「誰かと、付き合った経験はありますのね?」
リュンヌは暗い表情を浮かべる。
「あまり、今となっては話したくない思い出です。それに、ソル様とは関係が無い話です」
「ええ、分かっていますわ。それを無理に聞き出すほど、私も無粋では無いつもりでしてよ」
これが、初めて会ったときに彼が言っていた「大きな悔い」に関係するのか? それも気になるところではある。しかし、それなら尚更、聞けないものだと思う。"裁定を下す者"との約束もそうだが。古傷を抉られることの痛みを今のソルは理解している。
「なら、その経験で学んだことや。もしやり直せるなら、こうしたいということは、ありまして?
「それなら、あります。色々と」
ぎこちなく笑みを浮かべながら、リュンヌは首肯する。
「安心しましたわ」
「何がですか?」
全く訳が分からないと首を傾げるリュンヌに、ソルは笑みを浮かべた。
「やっぱり、あなたが頼りになりそうで。あなたのその思いは、アストルが望むものを想像するのに、参考になりそうですもの」
「なるほど。だと、いいですね」
静かに、嬉しそうにリュンヌは頷く。
「私からの用件は、これで終わりですわ。リュンヌ、お疲れ様。疲れているところ、悪かったですわね。ゆっくりお休みなさい」
「はい。それではこれで、僕は失礼します。ソル様、良い夜を」
リュンヌの姿が掻き消えるのを見届けて。
ソルは翌日の月婚の儀へと思いを馳せた。
これ書いている人。
早くボケをねじ込みたいとストレス溜まっている模様。