EX22話:窓辺の君
明けましておめでとうございます。本年もソルの恋をよろしくお願いします。
いよいよ最終章。王太子編です。
とはいえ、最初はソレイユ地方を離れるまでのエピソードになりますが。
音も無く降り積もっていく雪の中。
リュンヌはルトゥと共に、屋敷の裏庭で木剣を振っていた。
来年の転入試験に向けて、リュンヌはフランシア家の仕事を大きく免除され、こうして修練に時間を費やすことを許されるようになった。
なので、これまでは夜中にこっそりと行っていたものをこうして日中にも行えるようになった。実を言うと、ソルからのおしおきで足腰が立たない状態にされた日だけは、休んでいたのだが。隠れた努力も含め、ソルには言わないけれど。
ルトゥが共に修練していることについては、リュンヌは何も言わない。彼は黙ってリュンヌの傍に来るようになった。
ルトゥが今までのようにカンセルのところに通わないのは、単に雪のせいで通うのが難しくなったからだ。ただ、それは剣術を練習するのにリュンヌの傍を選ぶ理由にはならない。
ルトゥが自分の傍で剣術の練習をするようになった理由については、リュンヌは何となく察しがついている。これもまた、敢えて何も反応はしないが、ルトゥが強く興味を持った視線を向けているのを感じるのだ。リュンヌの挙動一つ一つを見逃すまいという。そんな視線だ。
いい傾向だとリュンヌは考えている。ルトゥの態度は貪欲に他者から盗める所を盗み取り、己の糧としようという試みに他ならない。
そんなルトゥにあれこれと言わず、まるで無視しているような態度をとるのも、リュンヌなりに考えがあってのことだ。彼個人の経験から考えて、こういうときに「教えてもらう」というのは面白くない。あくまでも自分の力で試行錯誤し、理解し、納得し、得たいものを手に入れることに己の成長を感じるのだ。
だから、自分のような人間がルトゥにあれこれと言ってやると、気難しい年頃のこの少年は、二度と寄り付かなくなるだろう。そう、リュンヌは考えている。
ただまあ、これが年を越えて春が近づく頃まで続くようなら、ルトゥに練習相手として頼んでみてもいいかも知れない。カンセルの指導が良かったのは間違いない。彼の基本的な動作はかなり上達している。その上で、時折リュンヌの模倣に見える部分も見せることがある。
実際に人と相対した時の感覚というものは、リュンヌとしても取り戻さなくてはいけないし、その頃にはルトゥも自身がどれだけ成長したのかというものを試してみたくはあるだろう。
とはいえ――
鋭く空を切り裂きながらも、リュンヌは少し苦い顔を浮かべた。まだだ。まだ、かなり足りない。日常で出来る限りの修練は続けていたつもりだが、前世での全力の感覚にはまるで届いていないと思う。
落ち着けと、リュンヌは自身に言い聞かせる。
鈍っていることは自分でも身に沁みて分かっていたつもりだったし、その鈍り具合からどう鍛えていけばいいのか、それがどの程度の辛さのものかというのもよく理解できているつもりだ。
だから、己を信じてやるべきことをやり続ける。それだけなのだ。
白い息を吐きながら、リュンヌは周囲を見渡す。もう数十分もしたら、また雪かきをしなければならないだろう。
こうして、静かな場所で黙々と剣を振っていると前世を思い出す。
ソルに白状したことはないが、これは既に彼女にも気付かれていることだろうとリュンヌは思っている。剣の修業は毎日のようにしていた。好む好まないに関わらず、叩き込まれた。そういう家に生まれた。
この世界に来て、実際に剣の腕を見せた相手はあまりいない。まともに実力を推し量れる人間は、その中でもリオンとカンセルくらいだ。そして、彼らは自分のことをひょっとしたら天才か何かかと受け止めているかも知れない。誰かに師事したという経歴も無く、それでありながら、この程度には剣を扱えるというのだから。
屋敷にある剣術指南書から学んだと言っても、言い訳には苦しいかも知れない。それでも、これで押し通すしかないのだが。
だが、リュンヌ自身はというと、剣の才能は天才には程遠いと考えている。貧相という訳ではないが、カンセルのように体格に恵まれている訳ではない。戦うための力という意味で、体格の差は大きな差となる。ああいう体を手に入れたいと、どれだけ渇望したことか。
だから、何度も何度も練習して、技を磨いた。どれだけ技を磨いたところで、力で敵わないこともある。けれど、力に対抗するには、技を磨くしかなかった。限界を感じても、力を鍛えるしかなかった。
そして、何度繰り返し練習しても、物覚えが悪いと絶望した。
こんな体たらくだった。それこそ、ルトゥではないが。剣は好きだったかというと、むしろ疎んじていた時期もあった。毎日のように怒声や罵声を浴びせられ、高弟には稽古で叩き潰され続け。これで、何を楽しめというのかと。
ルトゥと違うとしたら、たとえ一時だろうと、そこで剣を捨てることは許されなかったということだ。
何のために生きているのか、分からなかった。
ソルに幸せになって欲しいと思うようになったのは、だからなのだろうと、リュンヌは考える。彼女の生い立ちは、彼女がどんな非道な真似をしてきたのかも含めて知っている。しかし、彼女の人生を絶望と悪意ばかりが覆っていたのだとしたら、リュンヌにとっても、自身に重ねて許せない話だった。
何にしても、ソルが幸せを掴むのは遠くない話だ。彼女の努力や想いはリュンヌも傍にいて分かっているつもりだ。それが、ようやく実を結ぶことにリュンヌもまた、報われる気がしている。
そして、ソルが幸せをつかんだ時こそ、自身も救われるのだ。
もう、二度と前世のような後悔はしたくない。決して、ソルに語ることは出来ない約束と決意を胸に、リュンヌは剣を振り続ける。
ふと、リュンヌはルトゥとは別の視線を感じた。そちらに視線を向ける。
屋敷の窓の向こうで、ソルがこちらを見下ろし、微笑みながら手を振っていた。
リュンヌは気恥ずかしさを覚えながらも、彼女に応じて小さく手を振る。
それを見て、ソルは上機嫌に頷き、笑みを浮かべて立ち去って行った。