第109話:本気度
恭しく一礼し、ドゥオーレ紹介から来た商人は屋敷から立ち去った。それをソルとリュンヌはにこやかな笑顔を浮かべ、見送る。
ドゥオーレ紹介に返事を送るなり、迅速に彼らは動いてきた。返事を返した数日後にはこうして出向いてくるくらいに。ビジネスをする上で、この反応の早さは美点だとソルは評価する。
商人は中年の女性であり、この地方の支店長だった。この職に就いて経験も豊富なのだろう。如才なく商談を進めてきた。その様子は和やかで、確かな手応えを感じさせるものだっただろう。
彼女を見送って、屋敷の中に入るなり、ソルは笑顔を消した。すたすたと早歩きで居間へと戻っていく。
「やっぱり、お話になりませんわね」
「何となく、そんな気はしました」
半ば呆れるように、リュンヌが同意する。
「でも、今度は何が問題なんですか? 条件も決して悪くはないですし、むしろバランのところよりも良いくらいではありませんか? 経営理念も、立派なものですし」
「その理念とやらが、実践されていなければ意味が無いことくらい、あなたも分かるでしょ?」
「そうですね。分かっているつもりです。というと? そこに、看板に偽りありと判断された。そういうことでしょうか?」
「そういう訳ではありませんわ。そんなものが一目で判断出来ると豪語するほど、私は自信過剰ではないつもりですわよ」
更に言えば、バランの言う理念とはやはり少し違うものの、彼らの理念もまた真っ当なものだとソルは思っている。
「知ってます。そりゃもう、慎重に慎重を重ねる人ですからねソル様は」
うむ。と、ソルはリュンヌの評に頷く。
「問題はね。これもやっぱり、条件が良すぎるのよ」
「条件が良いことに文句を言うとか、顧客としては本当にやりにくい。商売人泣かせな人だと思います。ソル様は」
「商人なんてものに、与し易いなんて思われたら負けですわよ」
居間へと辿り着き、ソルはリュンヌが開けた戸を通って部屋の中へと入る。そして、ソファへと腰掛けた。
ソファの柔らかい感触を背中で堪能し、ソルは大きく息を吐いた。力を抜いて、軽く肩を揉む。
「リュンヌ? あなたはおかしいと思いませんでしたの? さっき、『何となく』って言いましたわよね? その理由を言ってみなさい」
「本当に、何となくなんですけどねえ」
そう言って、軽く頬を掻きながら、リュンヌは虚空を見上げた。
「まあ、ソル様のパターンというか。そんなのからそんな気がしたっていうくらいです。あとは、そうですね。あの提案、金額こそ違うものの、どことなくバランが提案していたものと似ていたかなあって。まあ、最善の計画なんてものを考えていけば、アイデアが集約化されて似通うものになるっていうのも、よくあることな気がしますけど」
「あら? 良く気がつきましたわね。あなたもちょっとは成長しているのね。褒めて差し上げますわ」
「恐縮です」
「私のパターンっていうのが、どういう意味か引っ掛かりますけど」
そっちに対しては、リュンヌは分かりやすく顔を逸らした。まあいい、こっちの追究は見逃してやろう。ソルは軽く嘆息した。
少し間を置いてから、ソルは説明を続ける。
「まあ、その通りですわ。あの提案、バランのものと似すぎなんですの。ちょっと、金額に色を付けましたという程度くらいに」
「それが、気に入らないと」
リュンヌの問いに、ソルは眉をしかめた。
「気に入らない。と言えば、気に入らないんですけど。どちらかというと、胡散臭いと言った方がいいかしらね? 出来すぎているくらいに似ているのがね。リュンヌ? あなたがさっき言ったとおり、最善の計画を考えればアイデアが似通うことは有り得る。そうだとしてもね」
「では、ドゥオーレ商会については、どうされますか?」
しばし、ソルは顎に手を当て、考える。
「こっちも、しばらく様子を見ましょう。あの様子だと、放っておけば、何らかの動きを見せてくると思いますわ」
「そこで、どう出てくるかを見極める。そんな感じですか?」
「ええ。その通りよ」
「大丈夫ですか? ドゥオーレ商会も大企業ですよ。下手に放置すると、こっちもいいようにやられたりしませんか?」
リュンヌの問いに、ソルは薄く笑みを浮かべた。
「まあ、こっちは多分、何とかなりますわ」
「どういうことですか?」
「良くも悪くも、ドゥオーレ商会は大企業。全国に支店を持っているというのも結構なことですわ。でも、その分、一つ一つのビジネスに対する本気度という意味では、バランに比べれば低いですわね。いえ、本気であったとしても、私が直接やり合うのはあの女よ。それなりに有能であることは間違いないでしょうね。けれど、所詮は片田舎支店の支店長。商談で見た感じ、恐らくは才覚もそれ相応でしかない。また、ビジネスの本気度から考えても、こっちに割いてくる力はあくまでもこの地方の範囲のみ。ドゥオーレ商会全体と真っ向勝負することにはならない。そういう意味ですわ」
「まあ、確かに地方の小競り合いみたいなものに全軍を派遣するような国も無いですしね。そういう感じですか」
おや? と、リュンヌは首を傾げる。
「と、いうことは。逆にバランは本気でここをビジネスの戦場として、取りに来ているということですか? それだけの本気度をソル様は感じていると?」
「ええ、恐らく。厄介なことにね。だから、下手な出方をしたら、全力を集中させて向かってくる危険性を感じるっていうわけ。それが恐いのよ。あの男は」
「攻略戦において、戦力の集中と突破は基本ですが。なるほど、あの人はそうやって戦い、シェアを奪い取ってきたというわけですか。そうまでしなければ、ここまでの急成長は出来なかった。そういうことかも知れませんが。後詰や予備選力の維持、コストパフォーマンスを考えると、長期的に見てリスキーなやり方だとも思いますね」
「でも、あの男はそれを遣り遂げ。そして続けている」
「だとしたら。その執着は、一体どこから来ているんでしょうね?」
「さあね」
素っ気なく答えて。ソルはリュンヌに、お茶を持ってくるように要求した。