第107話:惹き付けるもの
バランがこの地を訪れて、一ヶ月と少しが経った。
夏の暑さはもうすっかり消え失せて、秋も深まりつつある。
ソルの言う「まずはお試し」という頼みも、バランは快く承諾した。やはり、直に実績を見せないことには説得が難しいということを彼もまたよく理解していた。
お試しの方法としては、ソル達が住む屋敷がある街よりは遠く離れた村で、バランのプランを小規模化した事業所を設立するという方法を採っている。
これまでは遠かったので、ソルからはなかなかそういう話を進めることが出来なかったが、ある意味では良い機会となった。
実際に開始したのが、だいたい十日前くらいだったが、バランは見事な手腕で計画を実現していった。人員の募集から機材の用意、働き手の教育から何まで。
勿論、これだけのものを用意するのにも、それなりの資金が必要だったが、ソルも出したがバランも気安くお金を出した。この程度の金額など、どうとでもなるらしい。
バランと共に、ソルは実際に稼働している事業所の様子を見に来て、彼女は改めて彼の有能さを認めることとなった。
一通りの視察を終え、彼女はバランと共に馬車に乗り込んだ。帰路に着く。
「大したものですわね」
「お褒めに預かり恐縮です」
実際、嬉しそうにバランは顔を赤らめ、はにかんだ。演技ではなさそうだとソルは判断した。演技でやるには、笑顔が自然すぎる。
「とはいえ、まだ見極めるには早すぎると思いますから、返事は待って貰う事になると思いますけれど。流石に、何年もお待たせする気はありませんけれどね。区切りの良いところを見計らって。そう、考えていますわ」
「構いません。私も、急かす気はありませんから。やっぱり、ソル様にとって大事な話だと思いますし、早々答えは出ないと思います」
「そう? だったら、いいのですけれど」
ふと、バランの口ぶりからソルは疑問を抱いた。
「そういえば、バランさんはいつまでここにいる予定なんですの? 次の商談とか、予定は大丈夫なんですの?」
実際、バランのような立場の人間なら、全国をあちこち飛び回っているのが当然のように思える。
ソルが訊くと、バランは苦笑を浮かべた。
「いや、実を言うとちょっとだけ、滞在理由を説明するのが大変だったりします」
ソルは眉をひそめた。
「まるで、いつまでもここにいたいみたいな言い方ですわね」
バランはソルから目を逸らした。
「まあ。そうですね。実際、そういうところもあるのかも知れません」
落ち着いた声で言ってくるバランに対し。ソルは、勘弁して欲しいさっさと帰ってくれ、と胸中で呻いた。
「いつもなら、私もこんなに長く滞在したりはしない。でも、父さん達に説明しているように、この商談は私にとって掛け替えのない経験になる気がするというのも、嘘じゃないんだ。他の誰にも、渡したくない」
「何があなたをそんな風に思わせると言うんですの? そりゃあね? 私も、この地で生まれ育った以上は、ここに愛着はありますわよ? でも、所詮は辺境の片田舎ですわよ?」
バランはしばし、押し黙って。
「それはきっと、理屈じゃないものだからでしょうね」
そう、彼はしみじみと呟いた。
「さっぱり分かりませんわね。まあ、好きにすれば良いと思いますけれど」
ついさっきは、さっさと帰れと思ったはずなのに。今度は、不思議と許容する気になった。
言っている意味はさっぱり分からない。けれど、嘘偽りの無い本音を言うようになった。そんな変化が彼から感じ取れるのだ。
その行く末が、どういうものになるのか? 興味が湧いた。きっと、そういう事なのだろうとソルは考えた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その晩、ソルの自室にて。
「今日は、久しぶりに正ヒロインみたいな顔していますね」
「煩いですわね」
即座に、ソルはリュンヌに半眼を返した。
「私が、どんな顔していたっていうんですの?」
リュンヌには言われたが、自分がどんな顔していたのかさっぱり想像が付かない。
「如何にも、物思いに耽る乙女っていう顔ですよ。割り切れない感情の正体を探っているみたいな」
「私、あなたのそういう察しのいいところが、時々嫌いになりますわ」
「僕は結構好きですけどね。ソル様のそういう、分かりやすいところ」
睨むソルに対して、リュンヌはおどけたように肩を竦めた。
「バランと一緒に、あの村に視察に行った帰りからですよね? 何かあったんですか? 僕は、今日は御者をやっていたので何を話していたのか知らないのですけど」
「別に、大したことではありませんわ。ただ単に、あの男がこの土地を妙に気に入っているとか。そういう話」
「そういえばあの人、挨拶に来たら後は後任に任せてとか、そういうこともせずに結構長く滞在していますね。これまでに聞いた話でも、これまでそんなに長くいた土地って無いみたいでしたし」
「そう、それで一体何が、あの男を引き留めているのやらってね? どうやら本当に、この地を大事に想っているみたいですし?」
「それで、今日もバランのことが気になって仕方がないという訳ですか」
「そういう言い方は、止めてくれませんこと?」
揶揄するようなリュンヌの口ぶりに、ソルは唇を尖らせる。
「まあでも。本当にここが好きだというのなら、少しはあの男を許せる気になったんですのよ」
「少し、態度が軟化したように見えたのはそのせいですか」
ソルは、リュンヌから軽く目を逸らした。あまり認めたくないし、割り切れない。
「リュンヌには、この土地の何があの男を変え、そして惹き付けているか? 思い当たる節、ありませんの?」
リュンヌは、小首を傾げた。
「さあ? 僕には見当も付きません。ただ――」
「ただ?」
「もし、バランが本当に変わったように見えるというのなら。ソル様がこの土地で好きになったものと、理由は同じなのではないでしょうか?」
「そう、かもしれないわね」
少し、許す気になったのも、それが理由かも知れない。今の自分は、嫌いではないのだから。