第98話:折れない心
リュンヌ「ぶっ潰してやんよ!」
ソル「うわぁ(ドン引き)」
リュンヌ「ソル様に引かれるとか、結構傷付くんですが?」
ソル「えっ!?」
リュンヌ「えっ!?」
決闘の当日。
リュンヌはソルと共にカンセルの自宅へと訪れた。
ルトゥは木剣と防具を装備して、リュンヌと同じ格好で彼に相対する。
ソルを初めとしてヴィエル、シーニェらは彼らから離れたところに立って、伺っていた。カンセルは、ルトゥとリュンヌの間に立ち、審判役を務めている。
「それでは、ルトゥとリュンヌの決闘を始める。勝負の方法は試合形式。ただし、有効な一太刀が入る度に仕切り直し、最後まで立っていた方の勝ちとする。両者、異議は有るか?」
「ありません」
「こちらも、同じく」
カンセルの問いに、ルトゥもリュンヌも、落ち着いた声で答えた。
十分に冷静になれていると、ルトゥは思った。決闘などというのは、勿論人生で初めての経験だ。けれども、恐いとは思わない。この半月、やれるだけのことはやってきたという自負はある。
それに、昨日は今日のために完全に休養として使った。そのおかげで、疲れは抜けている。枷が外れたようで、自分の体ではないような錯覚をルトゥは覚えた。
無言で、ルトゥはリュンヌを見る。彼の瞳は、氷のように冷たかった。フランシア家の従僕として、彼らに向ける親愛の視線とは全く異なる、おおよそ彼らの客人に向けて良い視線ではないのではないかと、そんなことをルトゥは思った。それこそ、害虫か何かを見るような目だ。
つまりは、彼は何の遠慮も容赦もしてこないということだ。それでいいと、ルトゥは思う。むしろ、そう来てくれなければ困る。
「構え」
カンセルの声に応じて、ルトゥとリュンヌは木剣を構える。構えはどちらも正眼の構え。
胸中で、ルトゥは小さく呻いた。
リュンヌは正しく構えていた。自分の実力が、如何に足りないかを分かってきたつもりのルトゥから見ても、隙が無い。カンセルと同じか、あるいはそれ以上に。ただの構えなのに、美しさすら覚えてしまいそうになるくらいの。
カンセルからは、薄々、ひょっとしたらリュンヌはかなりの腕前なのではないかと、その可能性は聞いていた。あからさまに期待していたつもりもないが、想像以上に甘くはないようだった。
飲まれるなと言い聞かせ、ルトゥは息を整える。
「始めっ!」
カンセルの号令と共に、ルトゥはリュンヌへと一直線に飛びかかる。これまで一番練習して、一番自信がある上段斬りだ。全力を出し惜しみする余裕があるなどと、自惚れていない。
次の瞬間、ルトゥの目が眩んだ。まばゆい光と共に、意識が飛ぶ。
混乱の中で、額から痛みが伝わってきた。
「止め!」
カンセルの声が聞こえて、ルトゥは理解する。剣を交えることすら出来ずに、リュンヌによって真っ正面から打ち据えられたのだ。
彼が出してきたのは、ルトゥと同じ上段斬り。仕掛けたタイミングはほぼ同時。にもかかわらず、リュンヌはルトゥよりも先に、それもルトゥが剣を振り上げた頃にはこうして打ち込んできたのだ。単純に、倍は速い。
リュンヌが特別なことをしているというわけではない。徹底して無駄を省いた極地の動きでは、基本の動きだけでも、ここまで差が有るということだ。
格の違いを見せ付けられる。基本からしてこの違いということは、どう足掻いても、まともに勝てる可能性は無い。
ルトゥは顔を上げ、リュンヌを見る。リュンヌは何も言わない。心底、つまらないものを見るかのような冷えた目も変わらない。しかし、「これで分かったか?」とでも言われているかのように、ルトゥは思った。
しかし、そんなことで折れるつもりは、ルトゥには無かった。
リュンヌから距離を置いて、再び木剣を構える。
「ルトゥから、続投の意志有りと判断する。両者、構え!」
再び、ルトゥは構えた。
勝負にならないことなど。最初から分かっていたはずだ。それでも、勝つために。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
これで? もう、何度目の立ち会いだっただろうか?
よく分からない。
何度も何度も、ろくに剣を交わすことすら出来ずに、ルトゥはリュンヌに打ち据えられ続ける。休養を取って回復したはずの体は、またあっという間にボロボロになった。
構えの度に微妙に位置が変わって、今はリュンヌの背後にソル達が立っていた。焦点が定まりきらない視界の奥で、ソルは厳しい表情を浮かべ。ヴィエルは今にも泣きそうな顔をして。シーニェは心から心配そうな顔をしていた。
ごめんなさい。そんな顔をさせて。ルトゥは心の中で、彼女らに詫びた。
「いい加減。諦めて下さい」
冷えた声が、リュンヌの口から漏れた。
一瞬、ルトゥは何を言われたのか分からなかった。聞き違いかと思った。
思わず、握る木剣に力が籠もった。
「ふざけるな」
ルトゥは、白い歯をリュンヌに見せた。
「僕を舐めるな。僕は、君に勝つ」
ふらつく木剣の切っ先をリュンヌに向け、ルトゥは宣言する。
「勝てませんよ。現実を見て下さい。君と僕の実力差は歴然です」
「それが、どうだっていうんだ」
「死にますよ? それ以上やると」
非難するような視線をリュンヌはカンセルに向けた。しかし、カンセルは首を横に振る。そんな彼をありがたいと思った。ここで止められたら、一生彼を恨むかも知れない。
「冗談じゃない。勝つのは僕だ」
荒い息を吐きながら、ルトゥは笑みを浮かべる。
ようやく、このいけ好かない鉄面皮を崩せた気がした。何かが、リュンヌに届いた気がした。だから、笑みが零れた。
打ち据えられる度に、ルトゥは少しずつ分かった気がした。
この男は確かに強い。それこそ、どれだけの修練を重ねてきたのか、想像も付かない。でも? どうして? 何のために? そんな修練を重ねてきたというのか?
答えは分からない。きっとリュンヌは、訊いても絶対に答えないだろう。だが、少しだけ分かった気がした。そして、その理由に対して、ルトゥは無性に腹が立って仕方がなかった。とても、許せそうにない。
「そんな妄想は捨てて下さい。君の想いは、間違いです」
「間違いなんかじゃない」
「いいえ、間違いです」
「絶対に、間違いなんかじゃない!」
はっきりと、言ってやる。
リュンヌの顔が、大きく歪んだ。はっきりと、怒りの感情が向けられる。
「いいでしょう。これ以上、話すことはありません。次で、終わりにします。どことは言いませんが、急所を打ちます。残りの人生、どうなっても恨まないで下さい」
そう言って、リュンヌは木剣を構えた。
「何だと!?」
カンセルが狼狽した声を上げる。しかし、ルトゥは彼が制止しようとするよりも早く。つまりは決闘の取り決めすら無視して、リュンヌのへと駆け出した。
すべての神経をこの一太刀に集中させる。後のことはもう、知ったことではなかった。
一歩。また一歩地面を踏みしめ、駆けていく。それが、緩やかな時間の流れの中で実感する。
深く、体を沈める。振り上げて溜めた剣を一気に振り下ろす。
何かが、木剣の切っ先に当たる感触が伝わった。
やった!
ルトゥに歓喜がわき上がる。遂に成し遂げた。どこに当たったのかは分からないが、間違いなくリュンヌに一太刀を入れることが出来たのだ。
だが、そんな歓喜は長くは続かなかった。
脇腹近くが熱くなった気がした瞬間。ルトゥの意識はプツリと途切れた。