第97話:届かぬ想いの向こう側
ルトゥがカンセルの家に泊まり、特訓に明け暮れるようになって一週間が経った。
一度、二人きりで話がしたい。
そう、ヴィエルから言われて、ソルは彼女の部屋へと赴いた。
ヴィエルの部屋は造りはソルのものと同じではあるが、玩具や人形、ぬいぐるみの類いが所々に置かれており、そこは彼女の性格を良く顕しているようにソルには思えた。
二人で並んで、寝台へと腰掛ける。
「お姉様。お気づきかも知れませんけれど。ルトゥのことでお話があります」
「そうね。多分、そうだろうと思っていましたわ」
ヴィエルは表情を硬くしながらも、頷いた。
「ルトゥとリュンヌの決闘。止められないでしょうか?」
「リュンヌには、言ってみたのかしら?」
ヴィエルの顔が歪む。
「頼みました。でも、ダメだって。お姉様からも言われたけれど、それでもダメだって」
「でしょうね。あれも、本当に頑固で馬鹿ですものね」
そう言って、ソルは深く溜息を吐く。
「ヴィエルは、まだ何度か様子を見に行っているんですのよね? 私は、絶対に来て欲しくないと言われてしまったから、行っていませんけれど」
「うん。お姉様の姿を見ると、決意が挫けそうになるからって。でも、私は心配だから」
「なら、ルトゥには言ってみたんですの?」
「一度だけですけど。言いました。でも、返事はリュンヌと同じでした。絶対にダメだって。譲れないって。そう言ってました」
ヴィエルもまた、ソルと同じように深く溜息を吐いた。
「お父様達に打ち明けて、止めて貰うというのは、ダメでしょうか?」
「無駄でしょうね。あの様子だと、一時凌ぎにはなるかも知れないけれど、どこか人目に付かないところでやらかすんじゃないかしら? カンセルが吹き込んだのかしらね? だったら、一度念入りにとっちめておかないといけませんわね」
「それは、私がもう言いましたっ!」
彼女にしては珍しく、怒気を滲ませた口調で言ってきた。
「でも、それもダメでした。これは、一度ケジメを付けないといけない話だって。そうじゃないと、ルトゥはこの先進むことが出来ないって。それが分かっているから、ルトゥもこの提案に乗ったんだって。そう言っていました」
「そう。あの男、そんな事言っていたんですの」
ソルの声が冷える。彼女の頭の中で、次々とお仕置き方法が組み上げられていく。
「でもやっぱり、止めることは出来ないみたい」
「そうね」
それについては、ソルももう諦めている。
「ルトゥはね。あれからずっと、それまでよりもずっと厳しい練習をしているの。カンセルさんは、騎士学校の集中合宿でやるような練習メニューだって言っていた。朝早くから夜遅くまで練習して、酷い罵倒を浴びせられながら。あんなの、私もう見ていられない!」
「それでも、ルトゥは止まらないのね?」
涙を滲ませながらも、ヴィエルは頷いた。
「毎日、ボロボロになっても、それでも止めようとしないの」
「そうなのね」
何となく、その光景はソルにも直接視えた気がした。そして、それは見ていてとても胸が痛くなるものだという事も分かる。
「どうして私があの子の事を気に懸けたのか、少し分かった気がしますわ」
「お姉様?」
ヴィエルが怪訝な表情を浮かべる。
「いえ? 何でもありませんわ。ただの、独り言でしてよ」
小さく笑って、ソルは首を横に振る。言ったところで、ソル以外には誰も分からない話だ。
少しの間、沈黙が続いて。意を決したように、ヴィエルは息を吸った。
「ルトゥはね? 本当に、頑張っているの。見ていて、日に日に強くなっているって。そう思う」
「うん」
「ルトゥは、必ずリュンヌに勝つわ。少しでも、お姉様の傍にいられるように。そうしたら、お姉様はどうするんですか?」
「そうね」
微笑みながら、ソルは答える。
「そうしたらきっと、私はあの子の事を本気で好きになってしまうんでしょうね」
それこそ、この先彼がどんな姿になろうとも。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
村の外れで、ルトゥは地面に突っ伏し、横たわっていた。
酸欠気味で、体がどれだけ空気を欲しても、呼吸が追い着かない。
「立て」
頭上からカンセルの声が振ってくる。その声はどこまでも厳しく、容赦が無い。
特訓の内容は、ある意味ではこれまでの練習の全否定だった。技術などは二の次。兎に角、どこまでも体力と気力を追い込み、挫けない、諦めない心を手に入れるというものだ。あまりにも厳しい特訓のため、女子供の目には毒だと、練習場所は彼の自宅から離れた。
ひたすらに、自身をいじめ抜くだけのようなトレーニングの後に、カンセルとの実戦を想定した稽古が続く。基礎が固まりきっていない中でこんな真似をすることで、再び余計な癖が付くリスクはある。だから、練習で覚えたことは、この特訓の後に再びやり直しということになるそうだ。
それでも、短期間でリュンヌに勝つ可能性があるとすれば、こうして「絶対に負けない」という不屈の闘志を手に入れるしか無い。
カンセルとの実力差は、まさに絶望的だ。全く、ルトゥには彼に付け入る隙が見出せなかった。基礎体力からして、まるで次元が違う。一合受けただけで、腕が吹き飛ばされたかのような錯覚を覚える。
「どうしたルトゥ? 俺は、立てと言ったんだ! いつまで寝ているつもりだこの腰抜けがっ!」
カンセルの怒声を聞きながら、ルトゥは歯を食いしばった。
何故? 自分は今、こんな真似をすることを承諾してしまったのかと。後悔の念が湧き上がる。
「お前の想いとやらは? お前の男の魂とはそんなものかっ! 所詮は口だけかっ!」
違う!
それだけは違う。
「ま――」
「うん?」
深く息を吸って、ルトゥは息を整える。
「まだ、やれます」
「だったら、早く立てっ!」
「はい」
重くてろくに動かない体をゆっくりと動かし、手にまだ残っていた木剣を地面に突き立てながら、ルトゥは立ち上がった。
「何がおかしい?」
カンセルに言われて、ルトゥは自分が笑っている事に気付いた。
「いえ、何でもありません。きっと、以前の僕だったら。父さんにこんな指導を受けていた頃なら、僕は立ち上がれなかったんだろうなって。それが、何だか可笑しくて」
こんな事でも、自分は以前と変わったのだと思える。それが、こんな目に遭っているというのに、愉快だった。あまりにも過酷な目に遭っているために、どこか頭がおかしくなっているのかも知れない。
「ほう? 随分と余裕な事を言ってくれるものだな? まだ、そんな口を叩ける根性が残っていたか」
カンセルからの返答は、冷たい。
無言で。ルトゥは剣を構えた。
そして、カンセルへと立ち向かっていく。勝利を信じて。
カンセル「返事をしろウジ虫め!」
ルトゥ「サー・イエッサー!」
カンセル「聞こえんぞ。タマを2つともなくしたか?」
ルトゥ「サー・イエッサー!」
カンセル「何だその顔は! 貴様の頭の中身は●●が詰まってんのか?」
ルトゥ「サー・イエッサー!」
カンセル「そんな腑抜け面で勝てると思っているのかこの●●め。殺す時の顔をしてみろこの●●!」
ルトゥ「サー・イエッサー!」
シーニェ「あなた? 最近ご近所からの目が凄く冷たいの。もう少し何とかならないかしら?」
シーニェ「他にも卑猥な歌を歌いながら走るとか、娘の教育にも悪いと思うの」
カンセル「悪いがそれは出来ない。ルトゥを鍛えるため、俺も心を鬼にして――」
シーニェ「あ、な、た?(マジギレ)」
カンセル「あ、うん分かった。当分、人目に付かないところで訓練するよ」