第91話:頑張る男の子は、好きですか?
こういうところは、あまり見られたくないものだと思い、居間で顔を赤らめながらも、ルトゥは人形に視線を落とす。
人形は、脚が短いテーブルの上に置かれ、大きく股を広げている。
それで、ルトゥは何をしているかというと、人形を赤ん坊に見立てて、おしめの替え方を練習していたりする。
人形は、ヴィエルから借りた。ティリアに訊いたところ、人形の類はソルは持っておらず、ヴィエルがいくつか持っているという話だった。どのみち、ソルは朝からリュンヌと出かけていて、頼めなかっただろうが。
用途が用途だけに、貸して貰えるか不安だったが、正直に頼むとヴィエルは快く貸してくれた。
ただし、彼女は興味津々といった目で傍で練習を見ている。人形を貸して貰っている以上、それを断るというのも難しいと、ルトゥは諦めた。
それに、仕事が一段落終わったら、ティリアも合流して教えてくれるという話だった。彼女が仕事に向かう前に渡された指南書だけでは、やはり分かりにくいところもあるだろうからと。ティリアが来てくれれば、この気恥ずかしさも少しは和らぐ気がした。それまでの我慢だ。
「この練習って、カンセルさんの赤ちゃんの為なのよね?」
「うん。カンセルさんも仕事で外に出ていて、奥さんもちょっと外出するから様子を見ていてって言われたんだけど。そのときに赤ちゃんが泣き出してしまってさ。どうにかしなきゃって思って、どうやらやらかしたみたいだっていうところまでは分かったんだけれど。おしめを外すだけで手一杯だったんだ。それで、どうにかしなくちゃって思いつつも、結局何も出来ずに途方に暮れて、シーニェさんが帰ってくるまで、どうにも出来なかった」
「そうなんだ」
「シーニェさんは、仕方がないし、おしめを外してくれただけでもありがとうって言ってくれたけど。また同じ事を繰り返すっていうのは、嫌だなって」
「うん」
「なんて言うかさ。赤ちゃんの泣き声って心に突き刺さるんだよ。あんな泣き声を聞いたままっていうのは、辛い」
「ふぅん」
にまっとした笑みをヴィエルは浮かべてきた。
「何さ?」
「ううん? ルトゥは優しくて良いお父さんになりそうって思ったの」
「からかわないでよ。これでも、結構恥ずかしいんだからさ」
「照れることないじゃない。別に、悪い事しているわけじゃないでしょ?」
「それは、そうなんだけどさ」
ルトゥは唇を尖らせた。
「剣術の練習、またやり始めたって聞いたけれど。調子はどう?」
「面白いよ。カンセルさんの指導は丁度いい加減に合わせてくれて、それでも適切なんだ。剣術を学んで、上達しているっていう実感を持ってやれているよ」
「そっか、よかったね」
ルトゥは頷いた。
「男の子にとっては、やっぱり物語に出てくるような騎士になって、お姫様を守りたいとか。そういう夢ってあるものなの?」
ヴィエルの問いに、しばしルトゥは手を止め、虚空を見上げて考える。
「そうだね。子供じみた夢って言ってしまえばその通りだけど。多かれ少なかれ、男だったら一度はそんな夢を持つことはあると思うよ」
そう言ってしまうと、自分の想いは子供っぽいものなのかも知れないと、ルトゥは思った。けれども、それでいいとも思った。カンセルは言っていた。男にとって大事な気持ちだと。こういう気持ちを胸に抱く自分は、紛れもなく男なのだと、そう思える気がしたから。
「逆に、僕からもヴィエルに訊いてみたいんだけどさ」
「うん。何かしら?」
「女の人にとっても、物語に出てくるようなお姫様になって、騎士に守られたいとか、そういう夢ってあるものなの?」
「当たり前じゃない!」
即答だった。ヴィエルは大きく頷く。
その目は強い輝きを帯び、彼女もまた強い憧れをいだしていることが見て取れた。
「口に出したら子供っぽいって笑われないか、恥ずかしいけどね」
そう言って、ヴィエルは少し、視線を逸らした。
そんなヴィエルに、ルトゥは首を横に振る。
「笑わないよ。そういう気持ちって、ヴィエルにとっても大事な気持ちなんだって思うから」
そう言うと、ヴィエルは安堵したように、小さく頷いた。
「でも、そうなんだ。シーニェさんもそんな事言っていたから、ひょっとしたらって思っただけなんだけどね」
ルトゥの口から、笑みが零れた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
夕刻にそろそろ差し掛かろうかという時間に、ソルは屋敷へと帰ってきた。
視察のために回った各地で栽培された薬草の品質は、いずれも悪くない。ただ、漫然と栽培させてはいずれ質が落ちるようにも思える。だから、そろそろ品質をどうやってランク分けするかの指標を用意して、それによる報酬の違いなども伝えた方がいいかなどと考える。
他にも、生産量や製品が安定し増えてきたのはいいとして、供給先が頭打ちになりつつあるように思える。更なる販売先の確保は重要だろう。
そんな事を考えながら、居間に入ると。
ヴィエルが人形に向かって布を巻いていた。
「ただいま帰りましたわ。ヴィエルは何をしているのかしら?」
「あ、お姉様。お帰りなさい。私はね。ちょっと、赤ちゃんのおしめを替える練習をしているの」
「おしめ?」
何でまた、ヴィエルのような少女がそんな真似をと、ソルは目を丸くする。言われてみれば、ヴィエルによって、人形にはおしめが巻かれていた。
「ルトゥが、カンセルさんの娘の為に練習してたの。それで、ついでに私もお母様から教わって、やってみたっていうところ」
「ああ、なるほど。そういう事なんですのね」
合点がいったと、ソルは頷く。
「ルトゥは、ちょっと時間は掛かっていたけれど、それでも結構上手に出来るようになったのよ? お母様に言わせれば、動いている赤ちゃん相手だと、やっぱり勝手は違うから戸惑うかも知れないそうだけど」
「へえ。そうなのね」
「ルトゥは、頑張ってるね」
「そうね。本当に、良い子だと思うわ」
ソルはヴィエルに同意する。
「お姉様は、ルトゥのことをどう思っているの?」
「どうって?」
心なしか、意味深な笑みをヴィエルは浮かべてきた。
「私の勘なんだけれど。今のルトゥって、お姉様のために頑張っているように思うの。そんなルトゥをお姉様は、一人の男の子として、どう思うの? っていう意味」
ちょっとだけ、これはソルにとって不意打ちな質問だった。リュンヌはともかく、ヴィエルからそんな話が出るとは思っていなかったから。とはいえ、彼女もそういうのに興味があるであろう年頃だ。そんな考えが浮かんでも不思議ではない。
でも、ソル答えは既に決まっている。すぐに、平常心を取り戻した。
「そうね。もしも、そんな事があったとしたら。私も一人の女として、きちんと考えて答えを返しますわ。ルトゥがどれだけ一人の男として成長するか。それ次第ですけれど」
「そっかあ。そうなのね」
うんうんと、ヴィエルは満足げに頷く。
「お姉様は、これからどうするの?」
「私? 私は特に、予定はありませんわ。ルトゥが帰ってくるまでは、部屋で休もうと思っていますけれど」
「じゃあ、お姉様も一緒に練習してみない? おしめの換え方」
ヴィエルの申し出に、しばしソルは思案したものの。
頷いて、了承した。
以前は、こんなものは侍女達にやらせればいいものだと思っていた。しかし今では、いつか本当に誰か愛し合える相手と結ばれて、子を授かるようなことがあるとしたら、自分の手でもやってやりたいと思えたから。
カンセル「ルトゥ君。君は、娘のおしめを取り替えようとしてくれたそうだね」
ルトゥ「ええまあ。はい。僕には、脱がせることしか出来なかったですけど」
カンセル「つまり君は、泣いている娘から無理矢理に下着を脱がし、娘が生涯の伴侶となるべき男以外には見せてはならないものを見たというわけか」
ルトゥ「あの? カンセルさん?」
カンセル「この落とし前、君はどう付けてくれるつもりだっ!? 答え次第では――(怒りオーラMAX)」
ルトゥ「そんああああぁぁっ!?」