第90話:教えるもの教わるもの
ルトゥにとっては意外なことに、カンセルの助言は先日にリュンヌから聞いたものと、驚くほどに一致していた。
まず、使っている木剣が身の丈に合っていないということ。無理にそれを振り続けたために、正しい構えや動作を身に付けていないということ。そんな風に言われた。
なので、持ってきた木剣はしばらくの間は使うのを止めるべきだと言われた。
代わりに、本当に軽くて細い木の棒を持たされた。
まずは、それを使って正しい構えや動きを身に付ける。また、これまでに覚えてきた間違った癖を取り除くところから始めるという話になった。
この話に、ルトゥは理屈に適っていると思いつつも、驚いた。なので、カンセルに訊いた。「そんなやり方で、本当にいいのか?」と。カンセルの言っていることを疑っている訳ではないが、それまでに受けた父の指導とは全く異なっていたから。
その問いに対し、カンセルは少し寂しげに答えた。「指導の仕方は色々あるけれど。君のお父さんは、自分が受けた指導が唯一の正解だと思い込んでしまったのだろう」と。重い木剣を与え、とにかくそれを扱えるように、精神と体を鍛え上げようというやり方だったのだろうと説明した。
カンセルは時間の合間を縫って、短い時間だがルトゥに指導を与えた。
ただ、その時間は密で、ルトゥはその短い時間の間に何度もどこがどう悪いのか。どういう動きが正しいのかを指摘された。
ゆっくりと、ただし、確実に。それが、ルトゥがカンセルに何度も念を押されて言われたことだった。
カンセルの家の庭で、ルトゥは夏日に晒されながら、ゆっくりと自身の動きを確かめるように木の棒を構え、振り上げ、振り下ろす。
その動きは、本当に基本的で、またそれしか許されていない。横薙ぎや振り上げのような剣の使い方は、今の動きをきちんと習得してからだと言われた。
こうして、重い木剣から解放されて、軽い木の棒を持ってルトゥは理解する。自分は、本当に正しい構えや動きを身に付けていなかったのだと。これまでの練習は、ただ体と心を虐め抜いていただけで、本当の意味で身につくものではなかったのだと。
逆に、カンセルの指導が正しいものだと、実感する。本当に、少しずつではあるが、自分が成長しているという実感が得られた。
久しぶりに、剣術の練習というものが辛いものではなく、面白いもののように思えた。剣を振ることでこんな気持ちになるのは、生まれて初めてのように思えた。
集中力が途切れ始めたと思うまでは、ルトゥは夢中で木の棒を振った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
体力や、心の病の状態から、あまり根を詰めて練習は出来ないことは、ルトゥはあらかじめカンセルに伝えている。
そのことはカンセルもよく理解してくれた。少しでも辛いと思ったら、遠慮なく練習を休みなさいと言って貰えている。また、実際に彼はルトゥに無理をさせようとはしなかった。むしろ逆で、集中力が途切れ始めていると感じたら、すぐにそこで練習を打ち切るように言ってきたくらいだ。
これについは、ルトゥの方が内心では「もう少しだけ」と思っていたりしていたことが多かったりする。カンセルの判断の方が正しいとは理解しているので、逆らわないが。
カンセルから指導をして貰っている代わりに、ルトゥは彼ら夫婦の手伝いをすることになった。これについても、タダでというのは気が引けたので、ルトゥとしてはむしろ有り難かった。
手伝いの内容は、シーニェが内職でやっている、ゴキブリ退治用の罠の作成や、薬の調合や下拵えといったものだった。これらはすべて、ソルに頼まれてやっていて、他の家でも同様のことをしているところは多いらしい。
こうやって作った商品はフランシア家が治める領地の外にも販路が広がっていて、売れ行きはかなり上々らしいとシーニェは言っていた。ルトゥが、フランシア家に来たときにエトゥルから聞いた話と相違無かった。
あと、こうやって内職でお金を稼げるというのは、彼女にとって精神的に助かる話だったと聞いた。妊娠当時は、つわりが酷く、夫に甘えきりで、自分が彼の足を引っ張っているのではないかと心を痛めていた。特に、自分は夫の騎士になるという夢を諦めさせてしまったのではないかと思っていたから。
それが、内職仕事で彼の負担を少しでも軽く出来る様になったこと。彼が、騎士になるという夢を掴めたことで、心の重荷から解放されたような気がした。そうしたら、つわりも大分軽くなったのだと言っていた。他に、フランシア家から教えて貰った食事レシピの効果もあったと言っている。
そんな訳で、練習を終えたルトゥはゴキブリ退治用の罠を作っていた。少し離れたところでは、シーニェが洗濯物を畳んでいる。
「ルトゥ君。罠を作るの上手ね」
「そうですか? まあ、ここに来る前に、ユテルさんに手伝って貰うように頼まれたことがあるので、少し覚えがあるっていうだけなんですけれど」
道具も、ユテルの部屋に置いてあったものと同じだった。まさか、こんなところで経験が活きるとは思いもしなかった。
「でも、本当に助かるわ。娘がいると、なかなかこっちには手が回らなかったりするのよ」
「そうなんですね」
シーニェが見詰める視線の先で、グラン家の娘は、子供用の寝台の中ですやすやと寝息を立てていた。
「ルトゥ君は、いつまでこっちにいられるのかしら?」
「ええと。それは、特に期限の定めはありません。僕が心を治せたと思って、実家に帰るのが恐くないと、そう思えるようになったら帰ります。その日までは、フランシア家にお世話になります。帰るのが、いつになるのかは分かりません。今は、学校は夏休みですけれど、それが終わっても通学するかどうかは決めかねています。でも、甘えかも知れないけれど、それもしばらくは止めようと思います。今はソルお姉様に勉強を教わっているんです。それで、学校に通っても授業に付いていけるって思ったら、そのときは学校に行こうと思います」
「そうなのね。ルトゥ君は、きちんとこれからどうしようか考えているのね。偉いわ」
「そうでしょうか?」
「ええ」と、シーニェは頷いた。
「自分のことを自分で考えて決めるっていうのは、大事なことなのよ」
「確かに、そうかも知れませんね」
考えてみれば、ここに来る前はそんな事も考えられやしなかった。そんな風にルトゥは思う。何をするにも、父親の言いなりで、そうするしかなくて、自分の心を押し殺していた。「もっとしっかりしろ」「自分の意思を見せろ」と言われながら、それならばと何かを言おうとすると即座に否定される環境では、どうしようもなかった。
その頃に比べたら、自分は変わったのだと、ルトゥは思う。これは、ささやかな変化かも知れないけれど。
「でも、早くルトゥ君が元気になってくれるといいと思うけれど。それはそれで、こうして手伝ってくれる人がいなくなっちゃうから。少し困っちゃうわね」
そう言って、悪戯っぽくシーニェは笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。僕も、すぐにいなくなるとか、そんなつもりはありませんから」
むしろ、今はここで学びたいことが沢山有る。そんな風に、ルトゥは思っている。
「そう? なら、私達も嬉しいわ。あの人もね? ルトゥ君が剣術を教えて欲しいって言ってきて、喜んでいるのよ?」
「そうなんですか?」
ルトゥが訊くと、シーニェは笑みを浮かべた。
「あの人もね。産まれた子供が娘だから、そりゃあ可愛がっているんだけど。男の子だったら剣術を教えたい、あわよくば騎士になって欲しいって思っているみたいなのよ。騎士になった父親って、そういうものかも知れないわね」
「なるほど」
「それで、ルトゥ君に剣術を教えられるようになって、それが楽しいみたい。警備隊を辞めて、街の道場にもあまり顔を出せなくなってしまったし」
「そう言って貰えると、僕も嬉しいです。毎日、本当に色々と学ばせて貰っているって、そう思うので」
うん。と、ルトゥは頷いた。
「カンセルさんは、きっと良いお父さんになると思います。もし、二人目のお子さんが産まれて、それが男の子だったとしても、僕の父さんみたいに、子供を潰したりはしないでしょう」
「それなんだけれど。あの人は、こう言っていたわ」
「何ですか?」
少しだけ間を置いて、シーニェは続ける。
「ひょっとしたら、自分もルトゥ君のお父さんのようになっていたかも知れないって」
「何故ですか?」
「ルトゥ君は、長男なのかしら?」
「ええ。はい、そうです。一人息子ですけれど」
「そうなのね。親って、頭では分かっていても、子供には色々と期待してしまうのよ。特に初めての子供だと。あの人も、娘には早く成長して欲しくて仕方ないって感じだったわ。本当に、親馬鹿っていう感じで。まあ、私も人のことは言えないんでしょうけど」
そう言って、シーニェは苦笑を浮かべた。
「でも、だからこそ、あの子が男の子だったら、自分は期待し過ぎて厳しい練習を押し付けていたかも知れないって。ルトゥ君の話を聞いて、そう言っていたの。そういう事に気付けて、ルトゥ君と出会えて良かったって言っていたわ」
「そうだったんですね」
「だから、ひょっとしたら、あなたのお父さんも、ルトゥ君には期待し過ぎていたのかも知れないわね。愛情が、深すぎて」
シーニェの言葉を聞きながら、ルトゥは小さな子供だった頃を思い出す。
「そうかも知れませんね」
静かに、ルトゥは笑みを浮かべた。
12月は休載させて下さい。出来れば、1話か2話くらいどこかで投稿したいですけど。
理由は「この異世界によろしく」の後書きに書いたとおりです。
応募用原稿の執筆や、来年分のプロットの詳細化といった具合です。
来年1月から、これまで通りのペースに戻る予定です。