第89話:純情な動機
ルトゥは一人、カンセルの邸宅へと訪れた。
急な訪問だったにも拘わらず、カンセルは快く出迎えてくれ、時間を作ってくれた。先日に訪問したときに感じた通り、またリュンヌの評価通り、寛大な人物のようだった。
ただ、要望を伝えると、カンセルは唸った。ルトゥとテーブルを挟んで、腕組みをする。
「あなた。何か問題でもあるんですか?」
「ああ、うん。ちょっと色々と考えているんだ。こういう話だとは、俺も思わなかったから驚いている」
「お仕事への支障とか? それと、子どもの世話とか?」
「確かにそれもある」
妻に訊かれ、カンセルは頷く。
確かに、カンセルにも事情はある。それを失念していたことをルトゥは恥じた。
「ごめんなさい。決して、ご迷惑をお掛けしようとは思いません。無理をお願いしようとは思いません。僕のお願いは、フランシア家の皆さんとは無関係なんです。なので、そこも気にして頂かなくて大丈夫です。その上で、無理だというのであれば、僕は引き下がりますから」
「まあ、待ちなさい。まだ俺も答えは決めかねているんだ。それに、君をこのまま帰していいとも、思えないしな」
本当に悩ましいと言わんばかりに、カンセルは頭を掻いた。
「まず、聞かせて欲しいことがある。どうして俺に剣を習おうと思ったのか。それを教えて欲しい。君の様子から、どこか引き下がれない何か、事情を抱えているように思った。それが気になる」
「それは、どうしても話さないとダメでしょうか?」
カンセルは頷いた。
「そうだ。それだけは、どうしても教えて欲しい。剣術というものは、突き詰めればどうやって剣を使って効率的に人を殺すかという術だ。恐ろしい殺人術だ。だから、教える相手が、覚えていい人間なのか、何のために覚えようとしているのかは、確認させて貰わないと困る」
「分かりました」
カンセルの言うことはもっともだと思い、ルトゥは観念した。
「ごめんなさい。少し、話は長くなりますけど。実は、僕は一度剣を捨てたんです」
カンセルは静かに頷く。
「僕の父さんも、地方の騎士なんです。そして、父さんは僕も騎士にしたくて、剣や馬を覚えさせようとしました。けれど、その指導に僕は付いていけずに、潰れて心を病んでしまったんです。医者の勧めで、剣や馬から離れて、少しマシになっただろうということで、最近、フランシア家にご厄介になったという次第です。療養のために」
「なるほど。先日、ソルお嬢様と一緒に来たときは、そこまでは聞いていなかったけれど。そういう事情だったのか」
「はい、実はその通りです」
少し間を置いて、息を吸って、ルトゥは続ける。
「その。先日にこちらを訪れた次の日です。僕は、一人で街を散策しに行きました。少し、一人で色々と考えたかったので。久しぶりに、少し体を動かしたい気分にもなったので。でもそのときに、質の悪い人達に絡まれて、路地裏に連れ込まれて、恐喝されました」
「何っ!? そんな事が」
一気に不機嫌な気配がカンセルから湧き上がるのを見て、ルトゥは思わず息を飲んだ。
「ああ、ごめんなさい。この人、去年までは警備隊で働いていたのよ。だから、ね? 別に、ルトゥ君に対して怒っているんじゃないのよ? だから、恐がらないで? あなたも、警備隊の人達に怒ったりとかしちゃダメですよ?」
「あ。うん。そうだな。すまない」
妻に窘められ、気恥ずかしそうに、カンセルは頭を掻く。それと同時に、彼の怒気も収まった。
「ええと。そんな事があって、僕は悔しくて。ほとんど押し付けられたように持ってきた木剣だったんですけど。夜中にまた、こっそり剣術の練習をするようになったんです。それをリュンヌさんに見付かって。こうして、カンセルさんを紹介して貰いました」
カンセルの目が鋭く細められる。
「その悔しいというのは、つまりはそのならず者に復讐したいとか、そういうことなのか?」
「違うっ!」
カンセルの問いに、ルトゥは首を大きく横に振った。
「違います。僕は、何も出来なかった。剣はダメ、馬はそこそこ。勉強は全く付いていけなくなった落ちこぼれで。この世界で生きていて、全く何も価値の無い人間だって思っていた。でも、フランシア家の人達は、こんな僕相手でも優しくしてくれたんだ。ソルお姉様は、リュンヌと一緒に悪漢から僕を助けてくれたとき、泣いている僕を抱き締めてこう言ってくれたんだ。『あなたが無事でよかった』って。こんなの、あんまりだ」
ルトゥは拳を強く握った。
「僕は、あまりにも惨めで無力だ。こんな僕に対しても優しくしてくれたソルお姉様なのに、僕はお姉様を危険に晒してしまった。そんなの、僕は許せない。僕だって、これでも男のつもりだ。守られっぱなしだなんて、そんなのは、嫌なんです」
「なるほど。君から強い決意を感じていたのは、それが理由だったのか」
納得したと、カンセルは頷いた。
「へえ? 流石はソル様。こんな子に火を付けさせてしまうだなんて、罪なお方ねえ」
「止めるんだ、シーニェ。男にとって譲れない大事な気持ちをからかうような真似は」
カンセルの静かな、しかし有無を言わさない声に、シーニェは真顔に戻る。
「そうね。ごめんなさい。お願いルトゥ君。気を悪くしないで。私はただ、ソル様が羨ましいというか、素敵な話だって思っただけなのよ」
「いえ、大丈夫です。分かっていますから」
とはいえ、顔が熱くなるのは止められない。
「つまり、君はソル様を守れる男になるために、俺から剣術を学びたいということなんだね?」
「はい。その通りです」
この気持ちに、嘘偽りは無い。ルトゥは深く、頷いた。
「よし! そういう事なら、このカンセル。一肌脱がせて貰おう。ここで、協力しないとなれば、男の名折れ。騎士の名折れだからな!」
「本当ですか? ありがとうございます!」
任せておけと、カンセルは胸を拳で叩いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ソルは激怒していた。
何しろ、リュンヌは彼女の言いつけを守らず、剣の指導をカンセルに任せたのだから。
そして、肝心のルトゥもまた、カンセルのところへと向かったのだから。
何がどういう事なのか説明しろと、ソルは自室に召喚したリュンヌの胸ぐらを掴んで激しく揺さぶる。
「――とまあ、大体こんなところだと思いますよ?」
度々、話を遮らせながらも、リュンヌが説明を終える頃には。
激怒していたのだが、ソルも頭が冷えてきた。
「つまり、一言で言うとルトゥは私のために強くなりたいと? そう思っているっていうこと?」
「ええまあ。そんな感じかと」
微妙に醒めた目を浮かべながら、リュンヌが頷く。ルトゥが隠れてこそこそ練習していたのも、ソルに知られると恥ずかしいからだろうというのが、リュンヌの説明だった。
ソルは彼の胸元から手を離し、踵を返す。
「やだ。ルトゥったらそんな事考えていたんですの? そんな風に想われたら、この私も少し、本気でときめいてしまうじゃありませんの」
「あくまでも、可能性の一つですからね? 僕の推測に過ぎないですからね?」
ソルはリュンヌに背中を向けたまま、胸に腕を抱く。
ほぅ。と、甘く切ない息を吐いた。
「ソル様」
「何ですの?」
「一言、よろしいですか?」
「言ってみなさい?」
数秒、間を置いて、リュンヌは言ってきた。
「気持ち悪い」
即座に、ソルは寝台から枕を掴んで彼にぶん投げた。
-深夜-
カンセル「(でもなあ、あのソル様が泣いている男の子を抱き締めて慰めるとか?)」
カンセル「(本当は、可愛い男の子を抱き締めて『でゅふふ❤』とか考えていたんじゃ?)」
コンコン
カンセル「おや? こんな深夜に来客か? 誰だろう?」
-翌朝-
シーニェ「きゃあああああぁぁぁっ!? あなた? あなたあああぁぁっ!?」
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