第88話:気に食わない奴
リュンヌと二人で、投資予定先に向かう途中。街道に沿って歩きながら。ソルは話し始めた。
「――と、言う訳で。ルトゥったら夜中に一人で剣術の稽古をしていたんですの」
「へえ? そうだったんですか」
うん。と、ソルは頷く。
「私は、それを確認したらさっさと自室に戻って寝たから。あの子がどれくらい練習に励んでいたのか分かりませんけどね。でも、疲労回復用の薬や軟膏を欲しがった理由は分かりましたわ。練習で疲れたり、筋肉を痛めたりしたんでしょうね」
「まあ、そんなところでしょうね」
ソルの推測に、リュンヌも同意する。
「ただ、やっぱり分かりませんわね。それなら、どうして秘密にするのかしら? 確かに日中は暑いけれど、秘密にするようなことではないじゃありませんの。別に、悪いことをしている訳でもないですし」
「確かに、そうですね」
「それに、一体どういう風の吹き回しで、こんな真似を始めたのかが分かりませんわ。剣術なんて、もう嫌で仕方なくなっていると思っていたのに。まだ、練習しないといけないなんて思い込んでいるのなら、止めさせた方がいいのかもと思うのよね」
「なるほど」
「ねえリュンヌ? あなたは、どうしたらいいと思いますの? あと、ルトゥがああいう真似をしていることについて、何か心当たりとかありまして?」
ソルの問いに、リュンヌはしばし虚空を見上げ、思案する。
「いえ? 特にこれといって? まあ、特にソル様が心配するような話ではないと思います。放っておけばいいと思いますよ?」
リュンヌの返答に、ソルは不機嫌に唸った。
「リュンヌ? あなた、その答えは何なんですの? 私の話を真面目に聞いているんですの?」
「聞いていますよ。聞いた上で、特に心配するような話でもなさそうなので、そう答えているんです」
ソルは目を細め、リュンヌを睨む。
「あなた。ルトゥが心配じゃありませんの? 父親に酷い目に遭わされて、心が弱っていて。それからようやく立ち直りかけたところに、ならず者に絡まれて、心に深い傷を負わされるような目に遭ったんですのよ」
ソルはリュンヌをなじったが、彼は答えようとしなかった。目を合わせようとしてこないあたり、幾ばくかの疚しさは感じているのだろうが。
ソルはしばし待ったが、リュンヌの態度は変わらなかった。
「見損ないましたわ。あなたがこんなにも冷たい男だったなんて」
そう言って、ソルもまたリュンヌから視線を逸らした。これはもう、謝ってくるまで絶対に許してやらない。あと、特製吐き薬をはじめとしたお仕置きが必要だ。
苛立たしげに、ソルはお仕置きのメニューを組み立てていく。
そんな感じで、数十秒が過ぎた頃。
「――本当に、放っておいた方がいいんですよ。ああいう手合いには」
唐突に、リュンヌが言ってきた。
ソルは答えない。謝罪の言葉ではないから。
「前にも言いましたけど。ソル様は、本気で男心ってものを理解した方がいいと思います」
「何ですの? まるで、ルトゥが何を考えているのか、分かっているような口ぶりですわね?」
「別に?」
「何が、別に何ですの?」
全く話にならないと、ソルは溜息を吐いた。この様子だと、彼がまともに答えてくるように思えなかった。
「一体、何が気に食わないんですの? あなた、ルトゥのことが嫌いなんですの? そういえば、この前あの子と一緒に遊んだときも、積極的に絡もうとしませんでしたわよね?」
「そういう訳でも、ないんですけど」
とは言いつつも、その口ぶりは明らかに重い。こういうところは、素直な性格をしていると、流石にソルもリュンヌのことを理解しているつもりだ。
「じゃあリュンヌ? ルトゥに剣術を教えてあげなさい。勿論、優しくよ?」
「僕がですか?」
リュンヌの声は、明らかに不満げだった。
「何ですのその声は? それなりに、腕に自信はあるつもりなんでしょ? 違いまして? それとも、そんなに嫌? 何が? 言わないと――」
「分かった! 分かりましたよ」
如何にも不承不承といった体で、リュンヌは承諾した。
ふんっ! と、ソルは鼻を鳴らした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
深夜。
ソルとの約束通り、リュンヌはルトゥの元へと訪れた。
暗闇の中、僅かな灯りに照らされながら、ルトゥは荒い息を吐いていた。肩で息をしながら、剣を振り続けている。
「精が出ますね」
リュンヌが声を掛けると、明らかにルトゥは動揺したと、その身を震わせた。
「その声、リュンヌさんですか?」
「はい。その通りです」
「どうして? こんな時間に、こんなところへ?」
「それは、こちらの台詞です。ここ最近、少々ルトゥ様のご様子が変わったように思い、気になったので」
「そうですか」
ルトゥからは、強張った口調が返ってきた。
そして、彼は再び剣を構える。
風切り音も無く、彼は剣を振り下ろした。
「それで? 僕の質問には答えていませんね。どうして、ルトゥ様はこんな時間にこんな場所でこんな真似を?」
「別に、いいじゃないですか。日中は暑いし、かといって部屋に籠もっているだけでは体も鈍るから。それだけです」
「なるほど。筋は通っていますね。では、そういうことにしておきましょう。変にこそこそとしているような真似にも見えたので、それは邪推というものでしたね」
ルトゥから苛立たしげな吐息が漏れた。
「誰かに、言うつもりですか?」
「言われて恥ずかしい真似だとでも?」
数秒、ルトゥは押し黙る。
「別に」
そして、ふて腐れるように返ってきた返答に、リュンヌは小さく鼻で嗤った。
「僕の見た限り、ルトゥ様はまず剣術を基礎から始めるべきだと思います。そんな剣の振り方では、いつまで経っても上達はしません」
「何を――」
「肩に力が入りすぎている、足の運びが遅い。腕の力に頼り過ぎ。構えからして姿勢が悪い。指摘する場所が多すぎて、苦労します」
リュンヌの声を無視するように、ルトゥは構える。
そんなルトゥの傍らに立ち、リュンヌは彼の腕を掴んだ。
「まず、その木剣はルトゥ様の身の丈に合っていません。正しい姿勢を覚える以前の問題です。闇雲に振っても何の意味も無い。その上で、構えはもう少し右脚を引く。顎はこう。腕の力は抜きつつ、この位置に持ってくるんです」
強引に、リュンヌはルトゥの構えに手直しを入れた。
少し、抵抗する気配を見せながらも、ルトゥは従う。
「はぁっ」
疲れたような息を吐きつつも、ルトゥは剣を振った。
その剣の振りは、弱々しいが確かに先ほどのものよりは鋭さが上がったものだった。
「どうですか? 少しは、手応えが感じられましたか?」
「はい」
まるでそれが、認めたくない事実だと言わんばかりの口調だった。
「どうですか? 僕が、ルトゥ様に剣を教えて差し上げましょうか?」
リュンヌの申し出に対し、ルトゥから返ってきたのは舌打ちにも似た呻き声だった。
暗がりでその表情はよく見えないが、それでも苦々しい気配が伝わってくる。
「まるで、教える気があるかのような言い方ですね。てっきりその口ぶりから、逆だと思っていましたけど」
「失礼しました。正直言って、見ていられないので。つい」
ルトゥは答える代わりに、剣を構えた。話はここで終わりだと言わんばかりに。
「僕が嫌なら、カンセル=グランという男に頼むのを勧めます。住処や姿はお分かりでしょう。先日、ソル様と一緒に会いに行ったと聞いています。ああ見えても、王都の近衛騎士にも匹敵する技量と人格の持ち主です。腕は保証しますよ。近衛騎士になった後輩と、互角に戦える男ですから」
それだけ言って、リュンヌは踵を返した。