第八話
前半は主人公視点、後半は第三者視点です。
宇宙暦四五一七年七月二十九日。
この日は私にとって激動の一日だった。
あと数日でアテナ星系からキャメロット星系に戻ることになっており、私はキャメロットに戻り次第、辞表を提出するつもりでいた。
六月と七月の超過勤務は計四百時間を超え、体調を崩しかけていた。
睡眠不足からくる倦怠感に加え、ミルワード副長やイーリィ先任候補生からの執拗な嫌がらせに心が耐えられなくなっていたのだ。
その日も通常のシフトに加え、搭載艇である長艇である“ワッグテール”の整備の指揮を命じられた。
超空間に入ってしまえば搭載艇を使う機会はないから、通常は超空間航行中に行われる作業だ。間違ってもFTLに入る数日前にすべきことではない。
これも私に対する嫌がらせの一つだと思うと心が重くなるが、最後まで不服従と取られるような行為はしたくない。退役するにしても父や兄に恥を掻かせるつもりはなく、その理不尽な命令にも素直に従っている。
艦内放送で別の艦の艦長の訪問が告げられた。
このタイミングで珍しいことだなと思ったが、自分には関係ないと気にすることなく、掌帆手たちが行う作業を監督していた。
本来必要ない作業に付き合わされる掌帆手に悪いと思い、ある程度チェックが終わったら、残りは私一人でやることにした。
「これは私に対する命令だから休んでくれ。あとは簡単なチェックだけだから、私だけでもできる」
私の言葉に掌帆手の一人が笑みを向けて、
「ミスター・コリングウッドこそ休んでください。俺らはこれが終われば非番ですが、あなたは他の仕事をやらされるんですから」
彼の言う通り、この仕事を終えても別の仕事が待っているはずだ。何をやらされるかは副長の気分次第だが。
掌帆手の言葉に甘え、操縦席に腰を下ろしてチェックリストの確認を行っていた。
座っていられるだけでも随分助かると思っていると、個人用情報端末の呼び出し音が鳴った。
また副長が何か言ってきたのかと思ったら、情報士のヴィオラ・デンプスター少佐だった。この艦で私のことを普通に扱ってくれる珍しい士官だ。
「コリングウッド候補生です、少佐」と通信に応じると、
『現在の作業は掌帆手に任せ、直ちに士官室に来るように』
「了解しました、少佐」と答えると通信が切れた。
ワードルームということは副長から何か命じられるのだろう。それを思うと気が重くなる。掌帆手に少佐からの命令を伝えると、
「こっちは任せてください」と言った後、「何かいいことがあるかもしれませんよ」と意味ありげに笑っている。
彼なりの心遣いなんだろうと思い、
「そうだといいんだが」と笑い返すが、そんなことはないと思っていた。
ワードルームに入ると、そこには大佐の徽章を付けた三十代半ばの女性士官が立っていた。
放送にあった訪問中の艦長だろうと思い、敬礼してから通り過ぎようとした。
「用事があるのは私です。ミスター・コリングウッド」と柔らかい笑みを浮かべて話しかけてきた。
「えっ? それはどのような……」と言いかけるが、士官候補生が大佐に疑問をぶつけるわけにはいかないため、
「了解しました、大佐」とだけ答え、直立不動で次の言葉を待つ。
「そこのラウンジで話をしましょう。付いてきなさい」
「了解しました、大佐」と答えて後ろをついていく。
頭の中には疑問が渦巻いているが、疲労で頭が回らない。
ラウンジに入ると、「ダイアン・フォーサイス大佐です」と自己紹介したので、
「ファビアン・ホレイショ・コリングウッド候補生です。大佐」と反射的に自分の名を伝えていた。すぐに相手は自分のことを知っていると気づいたが、もう一度敬礼しておいた。
私の敬礼にフォーサイス大佐は教科書通りの答礼をし、ソファーに座る。
「あなたもそこに座りなさい」
士官室のラウンジのソファーに候補生が座っていいのかと思わないでもなかったが、大佐の命令であるため、仕方なく座る。
「私は艦隊司令部から査察官として派遣されてきました。査察の目的はあなたに対する不当行為の調査とその処理です……」
自分に対する不当行為という言葉に副長の顔が浮かぶが、大佐の言葉を遮るわけにはいかないので黙って聞いていく。
「……ハリー・ミルワード中佐が行ったあなたに対する嫌がらせ行為とそれを黙認したマーティン・グリント大佐に対し、本艦の各部門長による告発がありました。グリント大佐は体調不良を訴え、艦長としての職務に堪えられないと、先ほど艦隊司令官に対して辞表を提出しました……」
艦長が辞表と聞いて驚いた。数時間前までは体調が悪いようには見えなかったためだ。
「……ミルワード中佐については旗艦に移送後、査問会議に掛けられることになっています。また、中佐に命じられて嫌がらせを実行したネッド・イーリィ候補生も証人として旗艦に移送されます」
急転直下の事態に頭が付いていかない。
「あなたに確認したいことがあって来てもらいました。少し質問しますが、よろしいですね」
「はい、大佐」と答えるしかない。
「まず、ミルワード中佐の行為について、あなたの考えを聞かせてください」
「私の考えですか……辛かったという思いはありますが、自分はこの航宙が終わり次第、辞表を提出する予定ですので、特に言いたいことはありません。以上です、大佐」
「辞表を……何とか間に合ったということね」と安堵の表情を浮かべて独り言を呟く。
「提出する予定ということですけど、原因となったミルワード中佐とイーリィ候補生は処分され、この艦に戻ってくることはありません。それでも辞表を出しますか?」
「申し訳ございません、大佐。頭の整理ができないため、どうしていいのか自分でも分からないのです」
「そうですわね」と言うものの、言葉を選んでいるのか、その後が続かない。
沈黙が場を支配し、居心地が悪い。
十秒ほど沈黙が続いた後、フォーサイス大佐がゆっくりとした口調で話し始めた。
「あなたに対する行為は艦隊司令部が把握しているだけでも異常過ぎます。この状況でもミルワード中佐たちを非難ないし糾弾しないことは軍人として素晴らしいことだと思います。私であれば間違いなく、この状況に陥った時に反抗的な態度を取ったでしょうから」
そう言われても答えようがないので、あいまいに頷いておく。
「最初に言っておきますが、あなたが辞表を提出する必要はなくなりました。これから先、このような不当なことが行われることはありません。艦隊、いえ、アルビオン王国軍としてこのような行為は根絶させなければなりませんから」
少しずつ頭が回ってきた。私への嫌がらせが大ごとになっているらしいことだけは理解できた。
「これは命令ではなく、お願いなのですが、今回の件について口外しないでほしいのです。その理由は分かりますか?」
そう言われても疲れた頭ではすぐに思いつかない。
「あなたはクリフォード・コリングウッド少佐の弟です。少佐に対していろいろな話が出ていることは知っていますね?」
「はい、大佐」
その言葉で何となく理解できた。兄は上級士官養成コースを修了したものの、駆逐艦の艦長ではなく、砲艦の艦長になった。これは異例中の異例で、兄の出世を望まない艦隊上層部の将官が手を回したという噂が流れている。
そこに私が嫌がらせを受けていたことが広まれば、軍としては大変なことになる。
兄の砲艦艦長就任も軍の不文律を無視したことだが、私も同じだ。このような事実が軍内部に広がれば、上層部に対する不満が出てくる。
それ以上に外部に漏れれば、格好のゴシップネタになる。メディアが面白おかしく報道し、軍の士気は一気に低下するだろう。
「この時期にこの事実がどれほどの影響を与えるかは分かりませんが、理由は理解できました。私の口からこの件が漏れることはありません」
私の言葉に大佐の表情が一気に明るくなる。
「では、辞表の提出も取り止めるということでよろしいですね」
「はい、大佐」
「軍医のところに行って異常がないか確認の上、休養しなさい。それから次のシフトも自室でゆっくり休むこと。これは命令です」
「はい……」と答えかけるが、疑問が浮かぶ。
大佐にその命令を下す権限があるのだろうかという疑問だ。
グリント大佐とミルワード中佐の指揮権は剥奪されたが、フォーサイス大佐はベンボウ12号の士官ではない。先任順位から言えば、航法長であるステイシー・バギンズ少佐が臨時の指揮官となるはずだ。
「言い忘れていましたが、グリント大佐の体調不良とミルワード中佐の指揮権剥奪に対応するため、小官が査察官として本艦の指揮を引き継いでおります。これは正式な手続きに基づいたものです。これでいいですね」
「はい、大佐。これよりドクターの下に向かい、体調チェックを行い、その後は休養します」
私が立ち上がりかけたところで「もう一つ付け加えることがありました」と言い、
「ミルワード中佐の行為は不当なものでしたが、あなたが任官試験を受けるための必要な実績を有していないことも事実です。ですから、すぐに任官試験を受けることはできません。そのことは理解しておいてください」
「はい、大佐」
「では、ミスター・コリングウッド、ドクターの下に向かいなさい」
「了解しました、大佐」と言い、医務室に向かった。
■■■
ダイアン・フォーサイス大佐はファビアン・コリングウッドとの面談を終えると、艦隊司令部に報告を行った。
「……ミスター・コリングウッドはすべてを理解した上で艦隊の指示に従うと宣言しました」
その言葉を聞いた司令官は安堵の表情を浮かべる。
「それはよかった……よくやってくれた、大佐。君のお陰で混乱が最小限に抑えられる」
「ありがとうございます。ですが、今回の件については徹底的に調べるべきだと考えます。下士官兵たちが納得するような結果を出さなければ、彼らの忠誠心に期待することはできませんから」
「それは分かっている。既にチームを立ち上げ、二十四時間以内にベンボウ12号に向かわせる。そこで君に頼みがある」
「何でしょうか、提督?」
「君にその艦を任せたい。査察官としての指揮官代行ではなく、司令部の承認を受けた艦長として赴任してもらいたい」
「私には指揮艦がありますが」
「君のところの副長はミルワードとは違い優秀だ。艦長代行として十分に任に堪えられる。それよりもその艦の方が不安だ。艦長と副長が同時に不在になるなど通常はあり得んことだ。セクションの責任者を掌握した君に任せるしかないと思っているのだ」
「つまり、戦場での臨時任命と同じと考えたらよいということでしょうか」
「その認識でいい」
戦場での臨時任命は指揮官不在になるような大きな損傷を受けた場合に艦隊司令部が応急処置的に指揮官を任命することをいう。
本来であれば、艦の中の先任順位に従って指揮権は移っていくが、若い中尉など任に堪えられない士官しか残っていない場合に別の艦から指揮官を送り込んで混乱を防ぐのだ。
「了解しました、提督」
「それにしてもコリングウッドは噂に違わぬ英才のようだな」
「私もそう思います。ミルワード中佐より、よほど士官らしいと思ったほどです」
ごく短時間話をしただけだが、責任感の強さと指揮命令系統の重要さをしっかりと理解していると感じていた。
通信を切った後、フォーサイスは戦闘指揮所から艦内放送でこれまでの経緯を説明した。
「司令官閣下より本艦の指揮を執るよう命じられましたダイアン・フォーサイス大佐です……本艦には恥ずべき行為を行った士官がいましたが、それがこの艦のすべてではないことは理解しています。我々は恥ずべきことをしていないと胸を張っていきましょう。では、各自の任務を継続するように。以上」
次の瞬間、艦内で大きな歓声が上がった。閉塞していた空気が変わったことを全員が歓迎したのだ。
ストックが尽きました。
次回の更新は明後日8/9になります。