第七話
宇宙暦四五一七年七月二十九日。
アテナ星系に派遣されている第五艦隊の司令部では艦隊内に流れる噂について協議していた。そして、それが非常に危険であると気づき、全員が憂慮している。
「ファビアン・コリングウッド候補生の兄クリフォード・コリングウッド少佐は先日艦長になったが、驚くべきことにその指揮艦は砲艦だ。この話でキャメロットのメディアは持ちきりだそうだ。リンドグレーン提督が関与しているという噂まで流れているが、そんな時に弟であるファビアン・コリングウッドまで不当な待遇を受けていると知られれば、我が艦隊のみならず、軍全体で不正がまかり通っていると騒がれてしまう」
参謀長が渋い表情でそう言うと、司令官もそれに同意するように頷く。
「その通りだ。それ以上にコリングウッド少佐の義父、ノースブルック伯爵がこの話を聞いた時の反応が恐ろしい。保守派のメディアとコパーウィート軍務次官を使って、リンドグレーン派を排除することすら考えられる。そうなったら軍は大混乱に陥るぞ」
クリフォードの妻ヴィヴィアンの父親は保守党の重鎮であるウーサー・ノースブルック伯爵だ。現在、内閣の一員であり、子飼いともいえるエマニエル・コパーウィート軍務次官を使って軍にも強い影響力を持っている。
これほどまでに危機感を抱いているのは、クリフォードの砲艦艦長就任が多くの人に驚きを与えたからだ。
通常、上級士官養成コースを修了した少佐は駆逐艦の艦長に就任するが、はみ出し者が集まる砲艦の艦長に任命された。この異常な人事にキャメロット星系では大手メディアから低俗なゴシップ紙まで、多くの報道機関が注目し、連日報道されている。
その中には軍内の派閥争い、具体的にはコパーウィート派とリンドグレーン派の争いの影響というものもあり、防衛艦隊総司令部のみならず、統合作戦本部や軍務省でもその噂の打ち消しに躍起になっていた。
このタイミングで妙な噂が第五艦隊内に流れた。そのことに危機感を持ってもおかしくはない。
「調べてみましたが、実際おかしなことが多数あります……」
後方支援担当の参謀が報告する内容は酷いものだった。通常の士官候補生が受けるべき教育がなされておらず、艦内の雑務ばかり従事させていた。
「……戦闘でもない状況で、六月の超過勤務時間が二百時間を超えています。士官候補生がこれほどの超過勤務を行うこと自体異常なことです」
「よく身体を壊さなかったものだ。いや、それ以前によく我慢している。普通ならこれほどの虐待を受ければ暴発するか、自殺を図ってもおかしくない。それなのに一度も不服従で処分を受けたことがないとは……これほどの候補生を潰しにかかること自体信じられん」
司令官がそういうと全員が頷く。
「身体及び精神の不調についてですが、これについては問題ないとは言えません。彼は超過勤務時に義務付けられている軍医の診察を受けておりませんので。しかし、これは明らかな艦隊運用規則違反です。なぜこれほどの違反が見過ごされたのか不思議でなりません」
「グリント艦長が握りつぶしたのだ」と参謀長が吐き捨てる。
「握りつぶすとおっしゃいますが、発覚した後に処分されるのは管理責任者である艦長なのですが」
後方参謀の疑問に司令官が答える。
「グリント大佐は軍務省の国防人事局から内々に昇進の内示を受けていたらしい。二ヶ月前、彼と同じリンドグレーン派の官僚が第三艦隊への異動と准将への昇進のことを伝えたそうだ。艦隊がキャメロットに戻るまで隠し通せば、うやむやにできるとでも思ったのだろう」
ベンボウ12号の艦長マーティン・グリント大佐は巡航戦艦の艦長を五年間務めているベテラン艦長だ。それもあってファビアンが配属になったのだが、副長のハリー・ミルワード中佐が暴走した。
更に自身が世話になっているハワード・リンドグレーン提督とコリングウッド少佐の後援者であるコパーウィート軍務次官の仲が悪いことを知っており、積極的に関与しなかった。
「リンドグレーン派ですか……メディアが聞きつけたら大変なことになりますな」
参謀長の言葉に司令官以下が大きく頷く。
「直ちに艦隊内で処理する。査察官を派遣し、キャメロットに戻る前に処理してしまうのだ」
第五艦隊は八月に入ったところで、アテナ星系からキャメロット星系に戻る予定だった。アテナ星系は対ゾンファ共和国の前線であり、この話がメディアに漏洩する可能性は低いが、このままキャメロットに戻れば下士官たちが故意にリークする可能性が高い。
一方、ここで適切に処理してしまえば、下士官たちも自分たちの艦隊の恥は晒したくないと考えるため、リークする可能性は一気に下がる。また、誰かが間違って漏らしたとしても、適正に処分が終わっていれば、口裏を合わせることは難しくない。
司令官は下士官たちが納得する方法で、早急に解決することが重要だと判断したのだ。
「査察官はフォーサイス大佐にしよう。彼女は国防司法局にいたこともあるし、どちらの派閥とも距離を置いているから公正に処理してくれるはずだ」
ダイアン・フォーサイス大佐は現在三十六歳と若いが、重巡航艦の艦長を務めている俊英だ。
フォーサイスは突然の指名に驚くものの、話を聞いていくうちに怒りで顔が紅潮していく。
「分かりました。直ちに対処します」
それだけ言うと、すぐにベンボウ12号に乗り込んでいった。
舷門には艦長を迎え入れるということで、マーティン・グリント大佐が出迎える。
あいさつもそこそこにフォーサイスは艦長室に入り、グリントから事情を聴取していく。グリントは言い訳に終始したが、フォーサイスは何も言わずにメモを取っていた。
三十分ほどで事情を聴き終えると、フォーサイスはプロらしい無表情な顔で淡々と事実を確認する。
「艦長はこの件を直前までご存じなかったということでしょうか」
そこで頷けば自らの管理能力が疑われるため、即座に否定する。
「いや、気づいていたし、改善しようと動き始めている。今少し、小官に任せてくれれば、司令部が納得する結果を出して見せる」
「今更でしょう。ここに至るまで有効な手を打てなかった大佐に、あと数日で結果が出せるとは思えません」と軽く流す。
「やってみなければ分からないだろう!」とグリントは激高するが、フォーサイスは冷静さを保ったまま無視する。
「司令官閣下よりの非公式の伝言です。直ちに退役を表明するか、査問会議を受けるか選ぶようにとのことです。本日中に直接回答をいただきたいとのことでした」
「退役だと……」と言ってがっくりと肩を落とす。
「小官はこれよりミルワード中佐たちから聞き取りを行います。では失礼いたします」
それだけ言うと、返事を待たずに艦長室を出ていった。
フォーサイスは士官室のラウンジに副長の他に、戦術、航法、情報の各部門の長を集めた。
副長であるハリー・ミルワード中佐は突然査察官が現れたことにイライラと貧乏ゆすりをし、航法長のステイシー・バギンズ少佐は真っ青な顔で宙を見つめている。
戦術士のパトリック・チャットウィン少佐は自分には関係ないとでもいうように平然と構え、情報士のヴィオラ・デンプスター少佐はやはり巻き込まれてしまったかとでもいうように、諦めの表情を浮かべていた。
「貴官らに集まっていただいたのはこの艦で起きている不祥事について、どのように対応したかを確認したいためです。誠実な回答を期待しています」
「不祥事? 何のことですか?」とミルワードがとぼけるが、フォーサイスは「貴官がそれを言いますか」と吐き捨てるように言いながら、侮蔑の視線を向ける。
「ファビアン・コリングウッド候補生に対する嫌がらせ行為について、貴官たちは知らなかったと言うつもりですか?」
「候補生に対するハラスメントだと……そのような事実は存在しない。あれは指導だ」
ミルワードは気色ばんで反論するが、他の三人は黙ったまま何も言わない。
「あくまで指導だと言い張るのですね」と言ってミルワードを一瞥した後、バギンズらに視線を向ける。
「貴官らの見解も同じと考えていいのですね?」
その言葉にデンプスターが即座に反論する。
「小官は指導とは考えておりません。行き過ぎた行為、不当な扱いであると艦長に報告し、ミルワード副長に改善を進言しております」
「そのようですね。この中では唯一、少佐だけが適切な処置が必要という認識を公式に残しています。バギンズ少佐、チャットウィン少佐は黙認したということでよろしいですね」
その言葉にバギンズが「そ、それは」というが、それ以上言葉が出てこない。
「本艦はグリント艦長の指揮下にある。他の艦の艦長が何の権限でこのような茶番を行っているのか」
ミルワードが強く主張すると、フォーサイスは再び侮蔑の視線を向ける。
「この不祥事がアルビオン王国軍全体を揺るがすことだと、まだ気づいていないのね。呆れるばかりだわ」
それまでの事務的ではあるが丁寧な口調から砕けたものに変える。
「軍全体だと……何を大げさな」
「既に第五艦隊全体にこの件は知れ渡っているわ。そして、本艦隊はすぐにでもキャメロット星系に帰還するのよ。この状況でキャメロットに戻ればどうなるか……あなたでも想像くらいはできるのではなくて?」
その言葉にミルワード以外の三人の顔が青ざめる。メディアに漏洩した場合、クリフォードの砲艦艦長就任の件と合わせて、大きな混乱が起きると分かったためだ。
「では、バギンズ少佐、チャットウィン少佐。あなたたちは本件に関して何もアクションを起こしませんでした。佐官として、またセクションの責任者として、責任を放棄したに等しいと言えるでしょう。もし、コリングウッド候補生が体調を崩し、退役するようなことがあれば、重大な管理義務違反として、軍法会議に掛けられてもおかしくありません。その理由は分かりますか?」
その問いにチャットウィンが掠れた声で答える。
「コリングウッド候補生の兄コリングウッド少佐がノースブルック伯爵の婿であり、コパーウィート軍務次官のお気に入りだからです」
「少し認識は違うようですが、おおよそ当たっています」というと、ミルワードを含め、全員を見回していく。
「認めたくはありませんが、彼以外の候補生ならここまで大ごとにはならなかったでしょう。ですが、相手はあのコパーウィート次官です。この事実をもって、自分たちに不都合な士官を一掃しようと動くでしょう。そうなれば、軍全体に大きな動揺が起きます。ゾンファとの戦争が近いこの時期にそんなことが起きたら……」
そこでミルワードが遮り、
「おかしいではないか。相手がお気に入りのコリングウッドだから処罰されるというのは」
フォーサイスは侮蔑の表情を浮かべながら、呆れたとでもいうように小さく首を横に振る。
「まだ分かっていないようですね。あなたが言うように他の候補生なら発覚しなかったかもしれません。ですが、このような行為自体は恥ずべきことであり、あってはならないことなのです。それすら理解してないとは……これ以上、あなたたちから話を聞く必要はなさそうです。提督には三人が査問会議を希望していたと伝えることにします」
査問会議は司令官、参謀長、旗艦艦長など旗艦の上級士官が判事役となって不祥事を起こした者を裁く会議だ。
軍法会議ほど権威はないが、勤務評定として記録が残る。そのため、ここで有罪となると、その後の出世が見込めなくなるだけではなく、軍に残ることすら難しくなる。
「待ってください!」とバギンズが立ち上がろうとするフォーサイスを止める。
「艦長と副長が認めていることを我々が止められるわけはありません。この件の全責任は艦長と副長にあるはずです!」
「その通りです。ですが、貴官にも責任があります。その責任をどう果たすか聞いたのですが、何も答えないということは査問を受けるつもりと判断してもおかしくはないでしょ」
そこでチャットウィンが「小官はグリント艦長とミルワード副長を告発します!」と叫ぶ。
「貴様!」とミルワードが叫ぶが、フォーサイスは「告発? なるほど……」と頷く。
「小官も同じです!」とバギンズも同調する。
「そうですね。デンプスター少佐はどうしますか?」
そこでデンプスターはフォーサイスの意図を理解した。
未だに正式に告発されたわけではなく、フォーサイスは噂に基づいて動いているに過ぎない。艦隊運用規則に基づき、航法長、戦術士、情報士の部門の長が艦長と副長が指揮官としての任に堪えないと正式に告発すれば、二人を堂々と処分できる。
出す必要のないコパーウィートの名をあえて出し、バギンズとチャットウィンの危機感を煽った。ミルワードと共に処分されたくない二人は告発するしかない。あとはそれに自分が気づけばいいだけだ。デンプスターはそう理解し、すぐに声を上げる。
「グリント艦長とミルワード副長は指揮官としての任に堪えません。情報部門の責任者として正式に告発いたします」
フォーサイスはデンプスターが自分の意図を正確に見抜いたことに満足げに頷いた。
「では、正式に二人を艦隊司令部に告発してください。代表者はデンプスター少佐がよいでしょう。今すぐ、航宙日誌にその旨を入力しなさい。それをもって、偶然本艦を訪れていた小官が臨時の指揮官として指揮を執りますから」
ここに至ってミルワードも自分が嵌められたことに気づく。
「貴様! 最初からそれが目的だったのか! この女狐め!」
「失礼ですね。身から出た錆でしょう。少佐、終わりましたか?」
「はい、大佐」とデンプスターが答える。
「では、人工知能に指揮権が私に移ったことを承認させなさい。グリント大佐とミルワード中佐は自室で謹慎していただきます。扉の前に宙兵隊を配置しなさい」
ミルワードはその言葉にがっくりと肩を落とし、立ち上がることができない。
「中佐、あなたは嫉妬のために自らの将来を捨てたのです。どのような思いがあったとしても、個人的な理由で軍規を乱すことは許されません。その程度のことを弁えない人が中佐という地位にあったことに驚きを禁じえません」
ミルワードはその言葉に顔を上げ、
「私が不適格だと言いたいのか」
「その通りです。あなたのこれまでの経歴は人事局が過去に遡って精査することでしょう。中佐の任に堪えない人物がなぜその地位にあったのか。そこに不正がなかったのかをこと細かに調べるはずです。もしそこで不正が見つかれば、降格処分もあるでしょうね」
「私は不正などしていない! どれだけ調べようが何も出てこないはずだ!」
「それは軍務省の国防人事局が判断することです。コパーウィート次官が牛耳る軍務省が」
その言葉でミルワードはこの事態を挽回する可能性がないことを思い知らされた。
「あなたはクリフォード・コリングウッド少佐に嫉妬した。それは仕方ないことでしょう。ですが、あなたは愚かにも自分の感情に従って、関係のない弟にその嫉妬をぶつけてしまった。もし感情を抑え、適切に指導を行っていたのなら、あなたの評価は全く違うものになっていたでしょう」
「どういう意味だ?」としわがれた声で聞く。
「コリングウッド候補生が今後、兄のように活躍するかは分かりません。ですが、彼には才能があります。彼が注目されるような活躍をした時、あなたは彼を指導した唯一の士官、つまり師として名が残ったのです。このような不名誉なことで名を残すことなく」
その言葉にミルワードは何も言えずに拳を握り締めていた。