第五話
第三者視点です。
訓練航宙が終わり、超空間に突入した後、司令官であるルーサー・エンライト少将は今回の訓練について思い出していた。
その中で最も印象深かったのはファビアン・コリングウッドのことだった。
(最初はただの“優等生”という印象が強かったが、思った以上に柔軟な思考の持ち主のようだな。入港中の飲酒騒動の収め方は見事の一言に尽きる。クレイトン訓練生のような正義感の強い者は毎年見るが、コリングウッドのような対応をした者は初めてだ……)
勤務時間中に下士官が飲酒をし、見つかった件だが、これは訓練の一環で、教官たちによって仕組まれたことだった。
通常、下士官兵たちは入港中とはいえ、勤務時間中に飲酒をすることは稀で、まして見つかるような場所で堂々と飲むことはあり得ない。今回は下士官兵との関係を改めて考える機会を作るという意味で行われている。
そこにジャスティン・クレイトンという正義感の強く、准士官以下を見下している訓練生が当たったことから話が大きくなった。
本来なら飲酒を行った下士官に対し、懲罰を与えることはよいが、士官候補生にもなっていない訓練生が、准士官である掌帆長に暴言を吐くなどあってはならないことだ。
この話を最初に聞いた時、エンライトは頭が痛くなった。
(士官の何たるかを理解していないとは……士官学校の教官たちは何をしているのだ……)
この件で艦隊の准士官以下はクレイトンに対し憤りを感じていた。
彼らはプロであり、将来士官になるかもしれないが、現状では卵の殻を尻に付けたようなヒヨコが自分たちを見下すなどあってはならないことだと思っていたのだ。
しかし、その後のファビアンの行動が彼らの心証を大きく変えた。
下士官兵に対し、敬意をもって接することが士官としてあるべき姿であり、ボースンだけでなく、下士官に対しても謝罪するように命じたことに喝采した。
(その結果が今回の模擬戦闘訓練だったな。艦隊の准士官以下の者たちがコリングウッドの時だけ異常に手際が良かった。もちろん、訓練要綱に違反するようなことはなかったが、コリングウッドの計画に対しては事前の準備を完璧にしておき、訓練生が命令しやすいように誘導もしていた。あれがなければいかによいプランであってもあれほどの結果は出せなかっただろう……)
エンライトが気づいたように多くの教官たちもそのことに気づいていた。しかし、そのことを咎めるような教官は一人もいなかった。
なぜなら、下士官兵たちとの関係を正しく理解することが訓練航宙の目的でもあったからだ。
(そう言えば父親である“火の玉ディック”は准士官以下に絶大な人気があったな。“艦長は俺たちのことをいつも見てくれた”と何人もの下士官から聞いている。兄のクリフォードもターマガント星系での戦いでは下士官たちを鼓舞したと聞いた。コリングウッド家の血がなせる業なのかもしれんな……)
ファビアンの父リチャードは“火の玉ディック”と呼ばれるほど苛烈な指揮を執る艦長だった。しかし、その指揮下にあった者たちはそのことを誇りに思うことはあっても厳しすぎるということで嫌う者はいなかった。
実際、リチャードが予備役になった時、多くの下士官たちが軍務省に投書を行っている。彼ほどの艦長が退役するのは軍にとって損失だと。
一時期、現役復帰の話が出たが、ハワード・リンドグレーン中将が放射線障害の疑いがある者を艦隊の運用に携わらせることは危険だと反対し、その話がなくなっている。リンドグレーンはメディアに持ち上げられる英雄は自分だけでよいと考えたのだ。
(今回の件を見てもわかるように、コリングウッドは父や兄にも劣らないよい指揮官になるだろう。まあ、作戦案は悪くはないが、独創性はなかったな。“クリフエッジ”の弟らしく、奇策を使ってくると思ったのだが、それをしなかったのは今回の訓練の目的を正しく理解しているからか、それとも兄ほど独創性がないためかは分からないが……)
エンライトはファビアンの作戦案自体はあまり評価していなかった。しかし、奇策を用いなかったことについては逆に評価している。
その理由だが、仮にファビアンが奇策を考えても、訓練生たちにそれを行えるとは思えなかったし、戦略的には大勝利より敗北しないことが重要であるため、奇策を行う意味があまりなかったためだ。
(……といってもクリフォード・コリングウッドのことは全く覚えていないな。まあ、旗艦にでも配属にならなければ、記憶に残ることはないのだが……)
毎年五万人以上の訓練生がいるが、練習艦隊の旗艦に配属されるのはそのうちの百名強でしかない。クリフォードの席次は三千番台であり、総旗艦はおろか、戦隊旗艦にすら配属されていなかった。
(しかし、コリングウッドの相手をした分艦隊司令は艦隊司令官から叱責されたんだろうな。一歩間違えれば、士官学校の学生に敗北していたのだから。油断していたとしても、あれほど追い込まれたら言い訳は難しいだろう……)
実際、分艦隊司令は「言い訳ができない」と最初は肩を落としたが、周囲には「あれほどの逸材がいる我が軍の将来は明るい」と開き直り、ファビアンのことを絶賛している。
(彼には不思議な魅力がある。手を貸してやりたいと思わせるような。今回の准士官以下の行動がそれを物語っている……)
彼自身、ファビアンに対して厳しい態度で接していたが、それは期待の裏返しとも言える。他の訓練生にはそこまでしてやろうという気にはならないのだが、なぜかファビアンに対しては手を貸したくなるのだ。
(近い将来、ゾンファや帝国と大規模な戦争が起きるはずだ。そこで生き残れなければ、大成するも何もないが、何となく彼は生き残るような気がする……あとは周囲の期待や嫉妬に対して、彼が今の自分を保ち続けられるかだろう……)
長く訓練生たちを見てきたエンライトは名将の子供たちを何人も見ている。そのほとんどが周囲の期待や嫉妬で潰れていた。
彼の懸念はその後現実のものとなった。
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練習艦隊が帰還した後、航法科の教官であるブランドン・デンゼル少佐は訓練航宙の結果を見て驚いていた。
彼が驚いたのはファビアンがあと一歩で勝利条件をクリアしそうだったということではなく、司令官のエンライト少将がファビアンを高く評価していたことだった。
(あの“鬼教官”が“既に士官としての素養がある”と書くとはな……大抵の訓練生には改善点しか書かないのだが……)
エンライトを含め、練習艦隊の士官たちは訓練生たちに“駄目出し”を行うことにしている。これは卒業後、士官候補生となって大きな失敗をしないよう増長させないことを目的としていた。
その筆頭であるエンライトがファビアンを評価したことはデンゼルだけでなく、多くの教官を驚かせている。
(もしかしたら首席の座を奪うかもしれないな。まあ、首席にならない方が縁起はいいのだが……)
アルビオン王国軍の長い歴史の中で、士官学校を首席で卒業した者が軍のトップになったことはない。
制服組のトップである統合作戦本部長、軍政を司る閣僚である軍務卿、実戦部隊のトップである連合艦隊司令長官が三長官と呼ばれているが、士官学校首席はそのいずれにも就任したことがない。
その理由だが、ライバルが多いということがあげられる。
士官学校はキャメロット星系のライオネル士官学校だけでなく、アルビオン星系にも同規模の学校がある。すなわち、王国全体では毎年十万人以上の士官が生まれているのだ。
それだけの数から僅か三人のトップになることは実力以外の運の要素も強い。
また、士官学校首席は出世するものの、若いうちに退役し政治家や実業家に転身する者が多かった。“首席”という称号は大きなアドバンテージになるからだ。
それでも首席となりうる英才であれば、軍の頂点に立ててもおかしくはないはずだ。実際、次席で卒業した者は三人が三長官になっている。
更に首席で卒業した者の戦死率が他に比べて高いと言われ、二階級特進で将官になる方が多いと揶揄されるほどだ。
これらのことから、首席で卒業すると最終的には出世できないというジンクスのようなものがあった。
(しかし、コリングウッドという家は凄いものだ。クリフが当主になれば、すぐにでも子爵に陞爵するはずだ。ファビアンも才能の片鱗を見せているし、メディアから注目されているから、分家を作ったとしても騎士爵から准男爵に陞爵する可能性は十分にある……)
アルビオン王国の貴族制度は一代貴族制といえる過去に例を見ない独特なものだ。次代に現在の爵位を引き継ぐ際、現当主がその爵位に相応しい功績を上げなければ降爵される。
例えば、伯爵家であれば伯爵位に相応しい功績、すなわち国家に多大なる貢献を行わなければ、子供に爵位を譲る際に子爵に降爵されてしまう。
コリングウッド家では現当主のリチャードが男爵位に相応しい功績を残しているため、クリフォードもしくはファビアンが相続したとしても、現在の爵位を維持できる。
一方、クリフォードは爵位を持つ前でありながら、武功勲章(MC)と殊勲十字勲章(DSC)という二つの勲章を既に得ている。
特にDSCは英雄的な行動に対して授与されるもので、伯爵位を維持することすら可能なほどの功績と見られている。つまり男爵から子爵に陞爵するのに十分過ぎる功績といえる。
爵位だが、子供が何人いようと相続できるのは一人だけだ。二人目以降の子供は親の爵位にかかわらず、分家として騎士の爵位が与えられる。
相続は長男に限られるものではないが、常識的に考えてノースブルック伯爵家と縁戚になるクリフォードがコリングウッド男爵家を継ぎ、ファビアンが分家となる可能性が高い。
(懸念があるとすれば、上官との関係だろう。クリフもそれで苦労したようだし、ファビアンも同じような苦労をする気がする。コリングウッド家の名声と士官学校次席という実績、更に王家にも注目されていると報道されている。私のような平凡な者には眩しすぎる。それが悪い方にいかなければよいが……)
デンゼル自身、DSC受勲者であるため、このまま相続すれば准男爵となるほどの功績を上げているのだが、自分はクリフォードのおまけで受勲したと思っているため、自分に対する評価は低い。
クリフォードがターマガント星系で武勲を上げたが、それ以前は嫉妬深い艦長に睨まれ、いじめを受けていたとゴシップ紙に書かれていた。
(クリフのようによい友人ができればよいのだが、同じ艦に巡り合う可能性は低いからな。それに彼もクリフと同じように人間関係で悩みそうだ。私にできることは少ないが、見ていることくらいはできる。クリフに救ってもらったのだから、そのくらいの公私混同は許されるだろう……)
デンゼルはそう考え、ファビアンと話をする機会を作ろうと考えた。
彼もまた、ファビアンに力を貸したいと思っている一人であった。