第三話
宇宙暦四五一四年、士官学校最後の年、四年に進級した直後の九月十一日に兄とヴィヴィアン・ノースブルックが結婚した。
メディアが多く取材に来ていたが、さすがに政界の大物ノースブルック伯爵家の令嬢の結婚式ということで、友好的なメディア以外はシャットアウトされ、和やかな雰囲気の式だった。
驚いたことにその場に王太子エドワード殿下がお忍びでお越しになられ、私も挨拶をしている。次期国王陛下である方と言葉を交わす機会など、この先の人生でもそれほどないはずだ。
あるとすれば、士官学校を首席で卒業する時で、卒業生代表として殿下からお言葉を賜る栄誉が与えられるためだ。しかし、私が首席になる可能性は低く、その機会は来ないだろう。
兄の結婚式が終わり、士官学校に戻るが、最終学年ということで今まで以上に実践的な授業が行われる。
第三惑星ランスロットの衛星軌道にある要塞アロンダイトで船外作業訓練や小型艇の操縦訓練が行われた。
小型艇操縦訓練は人気のある訓練項目だ。
私も自由に宇宙を駆ける感覚に感動を覚えている。
年が明け、二月になると約二ヶ月間にわたる訓練航宙が始まった。
私は練習艦ハートオブオーク1号に乗り組み、生まれて初めての本格的な航宙を経験する。
訓練航宙は練習艦による艦隊を組んで行われる。その数は約五百隻。退役した重巡航艦と軽巡航艦による混成艦隊で、一艦に訓練生が二十五から三十人乗り組む。
五万五千人もの士官学校の学生を一度に送り出すことはできないため、訓練航宙は二ヶ月ずつの四回に分かれている。私が参加する訓練航宙は三回目だ。
席次上位者が訓練司令となり、艦隊の指揮も経験する。
私はこの期のトップであるため、練習艦隊旗艦に乗り組み、成績上位者による幕僚たちと訓練計画の立案なども行わなければならない。もちろん、練習艦隊の司令官や幕僚たちはいるため、訓練司令といっても権限などなく、あくまで訓練の一つにすぎない。
この訓練司令は名誉なことだが、雑務が多い。
閉鎖された空間に一緒にいることになるため、訓練生間のトラブルは必ず発生する。上官への反抗など軍規に抵触するような重大な違反は別だが、訓練生同士の喧嘩程度は訓練司令が対処しなければならない。一万五千人近い人数がいるため、毎日何らかのトラブルが発生する。この処理が意外に面倒だった。
司令としての仕事だけではく、通常の訓練も当然やらなければならない。
訓練では戦闘指揮所での艦長、航法長、戦術士、情報士を経験する他、緊急時対策所での副長が指揮する緊急対策班を、機関制御室で機関長が指揮する機関部門を経験する。
この他にも掌砲手や掌帆手に交じって、艦の運営に必要な実務を経験する。
二ヶ月間という短い期間で、訓練項目をすべて終えるには非常にタイトなスケジュールを組む必要があり、三交替のシフトを組んでいるが、どうしても遅れ気味になる。
そんな中でも訓練生による独自の訓練計画の立案も必要で、それが私のチームに任されており、寝る時間を削らざるを得ないほどだった。
それでも初めて本格的な航宙を経験するということに興奮を隠しきれなかった。特に艦長として艦を指揮する経験は士官を目指すものにとって何物にも代え難いものだ。将来、必ずこのシートに座ると心の中で誓っている。
ただ私はこの訓練航宙で大きな失敗を犯していた。自らの未熟さが招いたことだが、今でも悔いが残っている。
その失敗だが、人間関係に関するものだ。
士官として下士官兵を統率する訓練のため、練習艦隊でも下士官兵の指揮を執る必要がある。
士官候補生なら准士官として下士官兵に命令する権限を有しているが、士官学校の学生は下士官待遇の軍属扱いであり、明確な指揮権を有しているわけではない。
練習艦隊における訓練生に与えられる権限は、士官である教官から付託されたものである。つまり下士官待遇でありながらも士官としての権限を一時的に有しているという解釈が成り立つのだ。実際、艦隊運用規則にもそのことが明確に書かれている。
練習艦隊の下士官たちは退役直前のベテランが多い。年齢的には四十代後半から五十代半ばで、自分たちの親の世代かそれより少し上だ。そのため、ベテランの下士官たちも訓練生に対し、自分たちの子供に接するように、多少横柄な態度をとっても大目に見てくれることが多い。
しかしすべての下士官兵がベテランというわけではない。
二十代半ばから三十代半ばくらいの少壮の下士官兵たちも一定数存在する。結婚や家庭の事情で長期間星系を離れることがない練習艦隊を希望した者たちだ。
軍も訓練生との相性を考え、気が短い者は排除するようにしているようだが、それでも気が短い者が皆無というわけではなかった。
その日はスパルタン星系への訓練航宙を控え、最終的な補給を行うため、第三惑星ランスロットの衛星軌道上にある要塞アロンダイトに入港していた。
訓練生以外には半舷休暇が与えられ、艦隊の乗組員は一ヶ月に及ぶ訓練航宙前に家族の下に向かった。
残っているのは訓練生と半数の乗組員だが、入港中ということで大した仕事はなく、下士官兵たちは自分たちの食堂甲板でのんびりと過ごしていた。
一応勤務時間中であり、飲酒は認められていないが、練習艦隊では泥酔さえしなければ黙認されている。
たまたま、私とは別の班の訓練生ジャスティン・クレイトンがメスデッキを通り、そこで堂々と飲酒している掌砲手である下士官を見つけた。クレイトンは当直責任者として巡回しており、飲酒を咎めた。
運用規則に則れば、クレイトンの行動は正当なもので、下士官を処罰することに規則上の問題はない。しかし、見つけた場所と対応が悪かった。
本来メスデッキは下士官兵の領分だ。艦長であっても彼らに敬意をもって接し、“入れてもらう”という姿勢を見せるほどだ。
しかし、クレイトンはその慣習を無視して下士官たちの許可を得ずに入り、更に権威を振りかざして飲酒していた者たちを拘束しようとした。
クレイトンの“部下”として一緒に巡回に付き合っていた掌帆長は慣例を説明して穏便に済ませようとしたが、頭に血が上ったクレイトンは命令不服従だとして、“准士官”であるボースンまで居丈高に糾弾した。
ボースンの部下たちは呆れながらも酒を飲んでいた下士官たちを拘束し、営倉に入れた。
その状況で司令である私のところにクレイトンがやってきた。
「勤務中の飲酒を発見した。艦隊運用規則に従って拘束し、営倉に収監している。適切な処分を下してほしい」
その言葉で不味い状況であることはすぐに理解できた。しかし、どう対応していいのか判断が付かない。
「入港中の非戦闘部隊に関しては過度な飲酒でない限り、慣例で認められていたはずだが」
「私は“士官”として艦隊運用規則に従い、適切に対応した。慣例などというあやふやなもので規則を曲げることには納得できない」
確かに“士官”として規則に従って正当な行為を行っている。しかし、艦隊に根付く伝統を無視しており、これを認めると士官と下士官兵たちとの関係を崩すことにもなりかねない。
当たり前のことだが、艦隊は士官たちだけでは運用できない。プロである下士官や技術兵がいて初めて戦闘単位として機能するのだ。
判断に迷った私はこの案件を練習艦隊の本当の司令官、ルーサー・エンライト少将のところに持っていった。
エンライト少将は五十代半ばで常に鋭い目つきで我々訓練生に対する白髪の士官だ。若い頃に右足を失う戦傷を負い、艦隊勤務から外されたものの、士官学校の教官、練習艦の艦長を歴任し、練習艦隊司令官となったベテランの教育者だ。
旗艦ハートオブオーク1号艦長も兼務しており、本練習艦隊の責任者である。
艦隊内のトラブルであり、少将に話を持っていくことはおかしなことではない。しかし、これが私の犯した最大の失敗となった。
少将は私の話を聞くなり、厳しい目つきで私を睨むと、蔑むような口調で話し始めた。
「君は自分の指揮下で起きた問題を上位機関にそのまま丸投げするのかね。もし、超空間で起きたらどうするのだ? 連絡が取れるまで何もせずに放置するのか?」
そこで私は気づいた。これも訓練の一環であり、私が捌くべき案件だったということに。
少将の話はまだ続いていた。
「君の兄上は誰にも相談できない状況で難しい判断を下していた。君は恥ずかしくないのかね」
少将の言われることは正論であり、返す言葉がない。
「失礼しました。私の方で適切に処理いたします」と告げ、逃げるように立ち去った。
兄クリフォードはターマガント星系で通信系設備をすべて封じられた状態で、自分にできる最善の行動をとっている。そのことは本人からも聞いており、味方に犠牲を出したことを今でも悔やんでいると言っていた。
私は自室に戻る途中、対応策を考えていた。その時、同期の“艦長”の腕章を付けたステファニー・ディッキンソンとすれ違う。栗色のショートカットが似合う活発な印象の女性だ。
「お困りのようね、ミスター・コリングウッド」と微笑む。
「ああ、君の“部下”であるミスター・クレイトンが難題を持ち込んでくれたからね」
「で、どうするのかしら?」と興味深げに聞いてきた。この問題は仮の艦長でもある彼女にも関係するためだ。
「どうしようか悩んでいるんだが……」といったところで、彼女の腕の艦長の腕章が目に入る。
そこであるアイデアが思い浮かんだ。
十秒ほどでまとめると、ステファニーに説明していく。
「君にも協力してもらいたいのだが……」と三分ほどで説明する。
「そうね……確かにその方法が一番角が立たないわね。分かったわ。協力させてもらいます。上官殿」
そう言ってきれいな敬礼をする。
「協力に感謝する、艦長」と言って敬礼を返す。
次の瞬間、二人同時に噴き出した。
二人ともただの訓練生であり、司令も艦長も仮の地位でしかない。それを大真面目に敬礼したことで何となく芝居のように感じたためだ。
二人で戦闘指揮所に入り、当直士官として指揮官シートに座るクレイトンに声を掛ける。
「先ほどのことで話がある」
クレイトンは立ち上がり、私を見るが、ステファニーが一緒にいることに疑問を感じていた。しかし、そのことは口にせず、
「処分の内容が決まったということか、ミスター・コリングウッド」
「いや、新たな事実が判明したから、それを伝えに来たんだよ」
「新たな事実?」と怪訝な顔をする。
「ああ、掌砲手たちが飲酒をしていた理由が分かったんだ。ミズ・ディッキンソン、説明してくれないか」
私が話を振ると、真面目な表情でステファニーが話し始める。
「彼らに飲酒を許可したのは“艦長”である私です。ですので、処罰の対象にはなりません」
「飲酒を許可した……艦長自らが運用規則に違反したというのか?」
「いいえ。私は正当な権限の下に、当直中の仕事を終えた者に対して、勤務時間の短縮を許可しました。CICに最低限必要な人員以外はルーティン業務終了後に待機する必要はないからです」
「そのようなことは聞いていないが」とクレイトンが不機嫌そうに聞く。
「いいえ。航宙日誌にも残っていますよ。入港時の勤務体制に移行すると」
「それだけでは勤務時間の短縮を許可したことにはならない」と気色ばむ。
「それも違います。練習艦の入港時、下士官及び兵に限ってですが、ルーティン業務終了後、勤務時間を短縮してよいとなっています。そして、前回入港時にそれが適用されていますので、今回も同じように自動的に適用されると解釈できます。何かおかしな点はありますか、ミスター・クレイトン?」
艦隊運用規則には前の命令を明確に撤回しない限り、継続されることが明記されている。これは現場の混乱を最小限に抑えるための措置である。
もし、前回の命令が都度リセットされるとすると、指揮官は毎回新たな命令を発しなければならなくなる。宇宙空間にいる時のような状況が刻一刻変化するような時には必要だが、入港時のような状況が変化しない時には煩雑だ。
また、命令を受ける下士官兵たちにとっても今どのような命令が有効なのか、いちいち全て確認しなければならなくなる。
「しかし……」とクレイトンは反論しようとしたが、言葉が出てこない。
「では、彼らは私の命令に従っただけということで、営倉から出します。問題はないですね」
「……問題ない」と不機嫌そうに答える。
「君は艦長の命令に気づかず、問題を起こしていない下士官を営倉に収監した。このことについて、彼らに謝罪するように。分かったな。ミスター・クレイトン」
私がそういうと、クレイトンは眉を上げる。
「なぜ謝罪が必要なんだ! 奴らが艦長の命令だと言えばよかっただけじゃないか!」
「君は“士官”として処分を命じた。本来なら処分を下す前に事実関係を確認すべきだったのだ」
「……」
クレイトンは無言で私を睨みつける。
「士官には大きな権限が与えられている。しかし、それは無制限に行使していいものじゃない。慎重に、そして冷静に判断して行使すべきなんだ。君はその慎重さと冷静さを失っていた。これはボースンから聞いているから反論しても無駄だ」
「だから謝罪しろというのか! 下士官に対して頭を下げろと!」
「君は勘違いしている」
「何をだ!」と怒りに任せて叫ぶ。
「私たちは士官学校の学生であって士官ではない。私たちは下士官待遇の軍属に過ぎない」
「だからと言って……」と反論しようとしたが、それを制して話を続ける。
「士官だけでは戦えない。准士官、下士官、兵士の献身的な働きがあって初めて軍は機能する。このことは組織運営理論の授業で学んだはずだ」
「そんなことは分かっている!」
「いや、分かっていない」とはっきりと否定し、理由を説明していく。
「私の父がよく言っていた言葉がある。士官は准士官以下の尊敬を勝ち取って、初めて彼らの上に立てるのだと。権威を笠に着て、命令を下す士官は軍にとって害悪でしかない。そのことを肝に銘じておけと」
「兵たちに媚びを売れというのか!」
「そうは言っていない。彼らはプロだ。プロに対しては敬意をもって接するべきだと言っているんだ」
クレイトンが更に反論しようとしたところで、ステファニーが間に入る。
「謝罪は“司令”の命令です。不服があるならミスター・コリングウッドではなく、教官に申し立てなさい。これ以上この場で反論するなら、艦長としてあなたを処分しないといけなくなります」
彼女の言葉でクレイトンは渋々引き下がった。
彼としても教官の印象が悪くなることはしたくなかったのだろう。素直とは言い難いが、掌砲手たちに謝罪を行っている。
これで今回のトラブルは片が付いたが、私は自分の未熟さに情けない気持ちでいっぱいだった。
一年後に士官候補生になったとして、兄のように的確な判断が下せるのか不安だったからだ。