第二話
三年に進級した九月一日。兄はDSCを受勲する式典に出席し、そして大尉に昇進した。士官学校を卒業してから僅か二年。普通の士官候補生なら少尉任官試験を受けるかどうかという期間でしかない。
二度の受勲と異常に速い昇進に加え、大物政治家ノースブルック伯の令嬢との交際もメディアを賑わせた。
私自身、義姉となるヴィヴィアン・ノースブルックとは当時面識はほとんどなく、クラスメイトにどのような人物と聞かれて困った。
それまではゴシップ系のメディアの記者はほとんどいなかったが、ヴィヴィアン嬢との話が出たことで、パパラッチ紛いの記者が兄たちの周りを賑わすようになる。しかし、兄やヴィヴィアン嬢のガードが固く、ターゲットが私や父に移ってしまった。
父は元々首都チャリスの屋敷にいることは少なく、田舎の領地に篭っていたことと軍が警備員を増員してくれたことから、傍若無人な記者たちも父に取材することを諦めた。
そうなるとターゲットは私一人に絞られる。
私自身は以前と同じく寮に篭ることで難を逃れたが、今回は以前よりしつこく、同期の者たちに取材と称したゴシップ探しが行われた。そのため、私とエミリアが一緒にいるという噂が流れ、彼女に対する取材が始まってしまった。
軍の広報と軍警察によって、比較的短期間で記者を自称する者たちは排除されたが、この一件でエミリアとの関係は完全に壊れてしまった。
兄のせいでないことは理解しているが、結婚を控え幸せであろう兄に対し、言いようのない怒りを覚えたことを覚えている。
三年になると、更にカリキュラムは専門性を増していった。しかし、勉強しかやることがなくなった私には打ち込めるものがあるというだけで救いだった。
そんな中、一人の女子学生の存在が私のやる気を更に強くしてくれた。
その学生、コンスタンシア・ロングフェローは入学当初から首席を守り続ける才女であり、次席にまで席次を上げた私にとって大きな目標だった。
彼女はすべてにおいて完璧で、エリート特有の高慢さはなく、組織を運営するという意味でも理想的なリーダーだった。彼女の背中を追いかけることで、外の世界のことを考えずに済み、士官として必要な資質とは何かと考えるようになっていた。
ある日、彼女と戦術シミュレーターによる実習を行った。
私は兄のように天才的な戦術を編み出すことはできないが、教科書通りの戦術を組み合わせることは得意で、それまで無敗を続けていた。
シミュレーターでの対戦前、コンスタンシアが声を掛けてきた。
「コリングウッド家の戦術を是非とも見せていただきたいわ」
その挑発に対し、私は冷静に対応した。
「残念ながら、我が家の戦術は秘伝でね。この場で披露することは遠慮させていただくよ」
私は挑発に乗らなかった。というよりも、乗るほどの余裕がなかったと言った方がいいかもしれない。実際、私の才能では彼女に勝てるとは到底思えなかったからだ。ただ、私には秘策があった。
「それは残念。では、勝たせていただくわ」と言ってシミュレーター室に入っていく。
戦術シミュレーションは私が防衛側、彼女が攻撃側で、どちらも戦力は二個艦隊のみ。勝利条件は二百四十時間、つまり十日間星系を維持すれば防御側の勝利というものだった。
結論から言えば、私の辛勝だった。
小惑星帯に潜み、防御に徹することで十日間耐えきる戦略で、星系を維持するという条件に合致し、指導教官、人工知能ともに判定は私の勝利だった。
ただし、私の方は戦力の五十パーセント、一個艦隊を失ったにもかかわらず、コンスタンシア側には十パーセントもダメージを与えられていない。純粋な戦闘という点では完全に敗北だ。
「見事な戦術ね。反撃すると見せかけて私の動きを封じるなんて。始める前にわざわざ挑発したのに華麗でもなく、勇猛でもなく、独創的でもない戦術で来るとは思わなかった。さすがね」
サバサバとした口調でそう言われるが、私はその言葉に素直に頷いた。
「確かに独創性の欠片もないな。君がコリングウッド家の戦術に拘っているという点を突いただけだから」
その言葉に彼女の目が丸くなる。
「なるほど。私は始める前からあなたの掌の上で踊らされていたということね。とても勉強になったわ」
私が狙ったのは彼女の心理だ。
首席ではあるが、猛追する“英雄の弟”の私に対し、圧倒的な勝利を目指そうとしていることはやる前から分かっていた。だから、最も愚直な戦術を使いつつ、時々意味ありげな機動を見せてやり、それにどう反応するか悩ませることで時間を稼いだ。
残り時間が少なくなったところで、彼女は猛攻を仕掛けてきたが、地の利を生かして防御に徹することで勝利を得ることができたのだ。
その後、彼女と直接対決する機会は巡ってこなかった。ただ、彼女はその後一度も敗北していないことから、もし再戦の機会が与えられたら、私の敗北は間違いなかっただろう。
三年になってもう一つよいことがあった。
兄と関係の深いブランドン・デンゼル少佐が航法の指導教官として赴任されたのだ。
赴任されたといっても、個人的な話をする機会はほとんどなかった。航法の実習はヴァーチャルシミュレーターによって行われ、一度に千人近い学生が受講するためだ。そのため、AIが学生に対応し、指導教官は個別に指導が必要と判断された場合だけ対応する。
私は兄と違い、航法を苦手としていない。宇宙空間上の航路を思い描きながら、AIの助言を適切に反映すればよいだけだからだ。この科目に限っては同期でトップだ。トップといっても千人ほどいる満点の一人に過ぎないが。
兄がどうして航法を苦手にしているのか、私には未だに理解できない。兄と話をするが、頭の中ではきちんとした航路が設定できているようにしか思えないのだ。
そのことを艦長になった後の兄に聞いたことがあるが、帰ってきた言葉は意外なものだった。
「なぜだか分からないんだが、コンソールを前にすると頭の中にある航路が間違っているように思えてしまうんだ。だから、今は楽だよ。航法長にイメージを伝えればいいだけだから」
兄は直感で行動するタイプではなく、きちんと計画を立てることが多い。それなのに航法用コンソールを前にするだけで混乱するというのが理解できない。
話を戻すが、デンゼル少佐が赴任された当初、私以外の学生たちは興奮した。
殊勲十字勲章、通称DSCは数ある勲章の中でも英雄的な行為に対して与えられる最高の勲章だ。略綬とはいえ、それを身に着けている人物を間近に見る機会は滅多にないからだ。
デンゼル少佐が講義に立つと、最後にトリビューン星系での戦闘についての質問がよく出た。少佐は講義内容に関係ない質問は受け付けないため、何も話さないが、フリーディスカッションの場に少佐がいたことがあった。
私の同期の一人が兄について質問を行った。
「クリフォード・コリングウッド大尉の士官候補生時代について教えていただきたいのですが?」
少佐はどう答えようか迷っているかのように数秒間沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「士官候補生時代のコリングウッド大尉のことか……私が彼に会った当初の印象はごく普通の候補生というものだな。いや、航法が苦手な不器用な候補生という印象の方が強いかもしれない」
その言葉に私以外の学生たちは意外そうな表情を浮かべた。
「だが、トリビューン星系に入った後の彼には驚かされ続けたね。国際的な政治まで理解した上で相手の心理を読む力に本当に士官候補生なのかと……」
私は少佐の話を興味深く聞いていた。
兄は「運がよかった」とか、「優秀な人が多かったから」とかしか言わないため、兄以外の現場にいた人の話を聞きたかったためだ。
「……敵のベースへの潜入作戦が開始された後は、彼の冷静さに驚くことしかできなかったね。これほど戦場向きの人物を見たことがないと思ったほどだ……今この場に私がいられるのは彼が冷静に指揮を引き継いでくれたことと、意識不明の私を運ぶ下士官たちを、身を挺して援護してくれたお陰なのだから……」
デンゼル少佐は作戦中に負傷し、そのチームの指揮を兄が引き継いだ。その際に下士官たちからブラスターライフルを借り、一人で援護を続けたことは有名な話だ。
「……だからと言ってコリングウッド大尉が天才であり、完全無欠の英雄かと聞かれれば、私は断固として否定する!」
それまでの優しい口調から一転して厳しくなったことに驚く。
「彼は作戦の後、自分が提案した作戦で多くの兵が戦死したことを悔やみ、もっと良い方法があったのではないかと悩んでいた。そのことで私のところに相談に来たくらいだ。英雄ならそのようなことは考えず、勝利に酔っていただろう。ターマガント星系での戦いでも同じように考えたはずだ」
そこで私たちを見回すように視線を動かす。
「彼がこの先どのような指揮官になるか、私のような凡才には分からない。目的を達するために常に努力を続ける有能な士官であることは間違いないが、それだけではないと思う。彼は候補生時代から部下たちのことを一番に考えていた。士官だから命令すればいいとは考えないのだ。部下たちの信頼を得て初めて士官は力を発揮できることを知っていたのだ。だから、君たちも常に考えてほしい。軍という組織の中で自分がすべきことを……」
少佐の話で兄が武勲を上げられた理由が分かった気がする。
父リチャードは常に准士官や下士官兵の信頼を得ることが最も重要だと言っていた。兄はその言葉に素直に従い、常にそうありたいと考え、努力したのだろう。
少佐の最後の言葉は私に向けての言葉のような気がした。
そのことを後に聞いたが、少佐は少し照れたような笑みを浮かべ、「君だけに言ったわけではないよ」とおっしゃられた。
「クリフは素晴らしい男だが、天才という評価とは少し違う気がするんだ。だが、若い連中は彼のことを天才だと思って彼の真似をしたがる」
何となく言いたいことは分かる。
「彼の活躍は派手だが、常に最善の手を考え、そのための努力を惜しまない。君はともかく、他の連中はそのことを分かっていない。だから、きちんと説明したかったんだ」
「はい。メディアに出てくるクリフォード・コリングウッドという人物が私の兄と同じとは全く思えませんから」
「そうだな。私もクリフのことを知っているから同じことを感じているよ。特に航法計算で唸りながら考え込み、人間関係で悩んでいた姿を見ているからね」
兄とサミュエル・ラングフォード少尉(当時)との関係については少尉から直接聞いている。
今では仲のいい友人同士であり、そんなことがあったとは思えないが、少尉はコリングウッドという軍人一家に劣等感を持ち、兄に冷たく当たっていたと教えてくれた。
このことは友人にも話していない。兄と少尉の友情を壊すことになりかねないからだ。
少佐と個人的な話は一度だけだったが、分かってくれる人がいると思うだけで私の気は軽くなった。
三年の途中でスヴァローグ帝国の内戦が終わったとメディアが報じていた。士官学校の学生に過ぎない私だが、謀略を仕掛けてきたゾンファ共和国との戦争が近い中、新たな敵の出現に戦争の足音が聞こえている気がした。
私以外にも首席のコンスタンシアも同じことを思ったようで、
「これから厳しい時代が来そうね。私たちが戦場に立つ日が近い気がするわ」
「そうだね。私としてはできる限り開戦が遅いとありがたいが」
「あら、どうしてかしら? 戦争が始まれば出世の機会も増えると思うのだけど?」
彼女は私が上昇志向の持ち主だと勘違いしている。
「出世は早いかもしれないけど、若いうちに二階級特進はしたくない。せめて艦の指揮官になってからにしてほしい」
「確かにそうね。少尉や中尉だと、何が起きたのか分からないうちに戦死するなんてことになりかねないから。戦死するにしても一度は艦長になってみたいわ」
そんなことを言いながら笑っていたが、彼女は先日のダジボーグ会戦で戦死した。
軽巡航艦の戦術士だったが、艦隊全体が帝国の奇襲に対応できず、ステルスミサイルの直撃を受け、脱出する間もなく艦と運命を共にしたと記録で見た。
士官学校を卒業してから六年。卒業後に彼女に会う機会は一度しかなかったが、親しかった友人が戦死し、二度と会えないという事実にショックを受けている。