第十九話
前半が主人公視点、後半が第三者視点です。
宇宙暦四五二一年五月二日。
第六艦隊の巡航戦艦ネルソン99号に配属されてから三ヶ月が経過した。士官候補生時代の艦と同型であることから艦自体にはすぐに慣れ、士官室の仲間たちとも大きなトラブルもなく馴染めている。
私は再びヤシマに派遣され、首都タカチホでアンジェリカ・ノーランドと会っていた。
通信もろくにできない遠距離恋愛だが、未だに彼女との交際は続いている。
再会を喜びあった後、ホテルの部屋でグラスを傾けていた。
「任期が短くなりそうよ」
「帝国が動くと外務省は見ているのかい」
スヴァローグ帝国がヤシマを含む自由星系国家連合(FSU)に領土的な野心を見せていることは周知の事実だ。
兄クリフォードがシャーリア法国で帝国の謀略を防いだが、それから一年半ほど経ち、再び帝国が動き始めてもおかしくはない。
「ええ、ダジボーグの情報を分析すると、艦隊を動かすための物資を集積していることが分かったわ。この先は外務省というより軍の諜報部と作戦部が主導するから、ここのオフィスも閉鎖するの」
彼女がいるのはスヴァローグ帝国の情勢を探るための外務省の臨時の部署だ。戦争が近いため、通常の大使館は残すものの、官僚たちはキャメロット星系に引き上げるらしい。
「私は八月まで残るから、キャメロットに戻るのは九月以降ね」
「大丈夫なのか?」と不安になる。
「ええ、外務省も軍の諜報部も今年いっぱいは帝国が動くことはないと確信しているわ。元々帝国は生産能力が低いから物資の集積に時間が掛かるから」
スヴァローグ帝国は三つの居住可能星系を持つ大国だが、いずれの星系もテラフォーミングが完全ではなく、食糧生産能力が低い。また、長く続いた内戦によって工業生産能力も落ちており、ミサイルなどの物資の蓄積に時間が掛かる。
「なら安心だ。君には安全なところにいてほしいから」
「ありがとう。私はあなたのことが心配よ。帝国が艦隊を動かすなら、十個艦隊以上になるわ。FSUの艦隊は当てにできないから、アルビオン艦隊が矢面に立つことになる。でも、今の戦力では全く足りない」
私も彼女と同じ意見だ。帝国がFSUに攻め込むならロンバルディア連合とここヤシマになる。ヤシマに駐留するアルビオン艦隊は常時三個。ヤシマ防衛艦隊が三個艦隊しかなく、増援が期待できるのはヒンド共和国の二個艦隊程度だ。それでは帝国の十個艦隊に対抗しようがない。
「私も同じ意見だよ。ただ一介の大尉にできることはないし、統合作戦本部と艦隊の参謀本部が考えてくれることに期待するしかない」
「そうなのだけど、総参謀長が代わられたから不安が残るわ」
前総参謀長のアデル・ハース中将は昨年の八月に大将に昇進し、精鋭第九艦隊の司令官になっている。その跡を継いだウィルフレッド・フォークナー中将はハース提督のような戦略家ではなく、官僚的な人物という噂で、能力的に不安があると、我々下級士官の間では話している。
「エルフィンストーン提督がいるから大丈夫だろう。あの方なら負けるような布陣に絶対反対されるはずだから」
「そうね。それにあなたの艦隊のユーイング提督や第二艦隊のダウランド提督みたいに優秀な提督が多いから、その点だけは安心しているわ」
三年前のジュンツェン星系会戦においてハワード・リンドグレーン大将が大きな問題を起こし、その後、上級士官の抜本的な入れ替えが行われた。
主導したのはコパーウィート軍務次官で、少しでも能力に不安がある司令官は地上勤務に回されている。逆に能力がある者は先任順位を無視して昇進していた。
好き嫌いの激しい軍務次官だが、この人事については軍内部でも非常に好評だった。
その人事で昇進した一人が私のいる第六艦隊の司令官ジャスティーナ・ユーイング大将だ。
ユーイング提督は粘り強い指揮が特徴だ。第二次ジュンツェン会戦でリンドグレーン提督が後退した際、第八艦隊の分艦隊司令官として戦線を維持し続けた老練な指揮官だ。
見た目は豪奢な金色の髪を結い上げた妖艶な女性士官であり、まるで高級クラブの女主人のような見た目としゃべり方から、艦隊内では“女主人”と呼ばれている。
一ヶ月間の駐留任務が終わり、キャメロットに帰還した。
八月に入ると、兄に関して大きなニュースが入ってきた。
僅か二十八歳で大佐に昇進したことにも驚いたが、それ以上に驚いたのは旗艦艦長に就任したことだ。それも精鋭と名高い第九艦隊の旗艦艦長に。
この事実に関し、私の周囲の反応はさまざまだった。
若手の士官たちはその異常なほど早い出世に自分たちにもチャンスがあると好意的だが、三十代の中堅士官たちは複雑な思いをしているようだ。
「確かに武勲は抜群で文句のつけようはないが、いきなり旗艦艦長というのはな。ハース提督のお気に入りとは聞いているが、軍内の序列をあまりに無視しているのはどうかと思う」
副長のアンソニー・ブルーイット中佐はあまり納得していないようだ。私自身も同じ意見だが、その場でコメントするのは憚れるため何も言っていない。
「俺はいいと思うぜ。何といってもあれだけの活躍をしているんだ。まあ、自分の出来の悪さを棚に上げて言わせてもらうと、ちょっと早すぎるんじゃないかって思わないでもないが」
二人の上官が兄の昇進に思うところはあったが、私に対する態度は全く変わっていない。
昇進後に兄に会ったが、この件に関しては本人も驚き、分不相応だと思っていると言っていた。
ただ、軍の人事に関することであり、兄の思いについて周囲に言うわけにもいかず、何となくモヤモヤとしている。
ただ、旗艦艦長就任から二十日ほど経った八月二十三日に、兄率いる旗艦の士官が艦隊司令部の参謀たちに戦術シミュレーションで勝利したという情報が入ると、兄に対する評価が大きく変わった。
ブルーイット中佐やシェパード少佐もその快挙に喝采を送っている。
「艦隊司令部の参謀たちのエリート意識には辟易していたからな。俺たちに文句を言う割に一番大事な戦術で負けるというのはいい薬になったことだろうよ」
「そういうが、アンソニーも参謀養成コースを修了していたんじゃないか? 戦隊司令部の参謀にならずに副長になったと聞いたが」
ブルーイット中佐は出世コースの参謀養成コースを優秀な成績で修了し、巡航戦艦戦隊司令部の作戦参謀に内定していたらしい。しかし、参謀養成コースで何かあったらしく、参謀になる道を自ら閉ざしている。
「ああ」と答えるものの、あまり話したくないらしく、それ以上話に乗ってこなかった。
兄はその後の努力により、その後は特に問題になるようなことはなかった。
■■■
あたしはネルソン99号の掌砲長、ジェーン・シモンズだ。
この艦にあの有名な“崖っぷち”ことクリフォード・コリングウッド中佐の弟、ファビアン・コリングウッド大尉が配属になった。
大尉は士官学校を次席で卒業したエリートで、あたしのようなガサツな掌砲手にとっては理解しがたい存在だ。
だってそうだろう。
五万人以上いる学生の中で二番なんだ。地頭もいいんだろうが、血の滲むような努力していることは間違いない。
一応、前の艦のノーフォーク332号の連中に話は聞いている。ノーフォークの掌砲長はいい士官だと太鼓判を押していた。
だが、不安は消えない。
英雄の弟で真面目なエリート、更には少尉の時に勲章までもらっている奴が副戦術士として配属されたら、間違いなくあたしらの仕事に口を出してくる。
この艦では結構自由にやらせてもらっている。
シェパード少佐が認めてくれるからだが、それに応えるように成果はきっちり挙げているつもりだ。
だが、あたしや主砲担当のキャシーのやり方は艦隊運用規則に微妙に違反している。真面目な士官ならそれを盾にやり方を変えろと言ってくるはずだ。実際、前の副戦術士は文句を言っていたんだから。
問題は少佐の立場は徐々に悪くなっていることだ。少佐には恩を感じているから、できる限りサポートするが、艦長も勲章をもらった英雄の意見なら聞いてしまうかもしれない。
そんな思いがあったから、最初に顔を合わせた時に少し嫌味な態度を取ってしまった。まだ二十五にもなっていない若造に対して大人げなかったと思っている。
一週間ほどはオーバーホール中ということで何も起きなかったが、その間に大尉は整備記録などを丹念に確認し、更に工廠の技術者にも話を聞いていたらしい。
話は変わるが、主砲の陽電子加速砲は扱いが難しい兵器だ。
陽電子はどんな物質とでも対消滅反応を起こすから、僅かでも漏れないようにしなければならない。
しかし、兵器という性質上、精密機器のように発射の度に微調整を行うわけにはいかない。だから運用規則によって、ある一定の誤差が認められている。
その誤差の範囲内でいかに上手く調整するかが掌砲手の腕の見せ所だ。あたしも主砲担当のキャシーも艦隊内の誰にも負けない腕を持っていると自負しているから、極限まで微調整を行う。
ただ、そんなことは誰も気にしない。主砲の加速空洞は消耗品だと思っている奴が多いからだ。
しかし、大尉はそのことに言及してきた。それも調整の方法まで言い当ててだ。
普通の士官は調整を指示し、その結果が基準内ならそれ以上のことは気にしない。コンマいくつの世界の調整をしても主砲の威力や命中率が上がるわけではないからだ。
その時、少しだけ見直したが、それでも何となく反抗的な態度を取ってしまった。まだエリートという意識が抜けなかったからだ。
それから三ヶ月くらいで彼に対する見方が変わった。
演習ではあたしら掌砲手がどう動いているか、完璧に把握していた。そして、真面目に演習に参加している者には必ず労いの言葉を掛け、逆に少しでも手を抜いている奴には事実とともにそれを指摘した。
指揮しながらどうやって見ているのかと思うほど、抜け目なく見ている。ただ、褒める方は戦術士や副長に報告するが、不真面目な態度は必ず自分だけで処理し、滅多に懲罰を与えない。
だからと言って甘いわけじゃない。
一度、演習中に手を抜き、それに対して改善しなかった者がいた。その時はいつもの笑みを消し、厳しい態度で叱責し、責任者であるあたしにも厳しい口調で注意してきた。
「失敗は許容するが、怠慢は絶対に許さない」
その言葉に納得しながらも素直に認められなかった。
「今回の演習ではあり得ない状況の対応を求められています。加速コイルが過熱した状態で微調整なんて不可能です」
あたしが凄んでも大尉は一歩も引かず、厳しい口調で反論してきた。
「不可能ならどうやったらできるかを考えるべきだ。他の冷却系を無理やり繋ぎこんでもいいし、機器には悪影響を与えるが冷却水をフラッシュさせてもいい。それ以前に不可能ならそのことをきちんと上申すべきだ。それをせずに適当にやったことにするような者はいずれ艦を危機に陥らせる。そんな者はいない方がマシだ!」
言っていることは正しい。演習で手を抜く奴は戦闘で使い物にならないことが多い。特に最近の若い奴は実戦経験が少ないからすぐに手を抜きたがる。
それから大尉のことを見直し、協力する気持ちになった。
気持ちを切り替えると、大尉が恐ろしく優秀であることが分かってきた。
まずその知識の豊富さに驚いた。ベテランの掌砲手でも知らないような裏技的なテクニックをいくつも知っている。そのことを聞くと、
「士官候補生時代にいろいろと教えてもらったからね。掌砲長からは“少尉になれなくても掌砲手にはなれますよ”って言われたことがあるくらいだから」
実際その通りで、下手な技術兵よりよほど知識がある。
大尉の士官候補生時代のことは最近になって知ったが、くそったれな副長にいじめ抜かれ、候補生にさせないような仕事まで押し付けられていた。そんな時でも真面目に知識を吸収していたのだ。
他にも驚いたのは几帳面さだ。
どんな些細なことでも個人用情報端末にメモを残している。メモを残すだけじゃなく、きちんと記憶しており、責任者のあたしですら忘れているような些細なトラブルまで覚えていたことには驚くより呆れてしまった。
そして一番驚いたことはあたしら准士官や下士官兵に対して、必ず敬意を払うことだ。
これについてはコリングウッド家の方針らしいと聞いたことがあるが、こちらが何か教えると必ず感謝の言葉を掛けてくれるし、些細なことでもよいところは口に出して褒めてくれる。
もうすぐ四十になるあたしでも褒められれば嬉しい気持ちになる。二十代の若造なら褒められるより叱られることの方が多いから、余計に嬉しいだろう。
そんな打算はないのだろうが、あたしらは大尉に付いていこうと思うようになった。
シェパード少佐とは違った意味でいい上官だと思っている。
ただ簡易宇宙服じゃなく、船外活動防護服を必ず着ろと言うのだけは閉口するが。




