第一話
クリフエッジシリーズの外伝です。
宇宙暦四五二二年十月十五日。
スヴァローグ帝国領ダジボーグ星系において行われたダジボーグ会戦の後始末も終わり、アルビオン王国と自由星系国家連合(FSU)の連合艦隊はヤシマ星系に向けて、超空間に突入した。
私ファビアン・ホレイショ・コリングウッド大尉は第六艦隊第一巡航戦艦戦隊所属の巡航戦艦HMS-C0204099ネルソン99号の緊急時対策所の戦術士シートで安堵の息を吐き出した。
停戦となったとはいえ、敵国の星系では気を抜くことはできず、安全な超空間に入ったことで緊張の糸が切れたためだ。
ダジボーグ会戦は当初の予想より激戦だった。
私が乗るネルソン99号も敵ステルスミサイルの至近弾による損傷を受けている。幸い、兄のクリフォードがいる第九艦隊ほど危機的な状況ではなかったが、それでも敵の奇策により、多くの僚艦が沈んでいる。
私自身も損傷した主砲の応急補修中に敵からの砲撃を受け、その衝撃で死を覚悟している。幸い、戦死者はもちろん、私自身を含め、部下の掌砲手や技術兵たちに障害が残るような大きな負傷はなかった。これは私の指揮の結果ではなく、単に運が良かっただけだと思っている。
私の実戦経験はダジボーグ会戦に先立つ、ヤシマ星系のチェルノボーグJP会戦と、四年前のジュンツェン星系での二度しかなかった。ジュンツェン星系では少尉に任官したばかりで、無我夢中で上官の指示に従っていただけであり、すべてが終わってから初めて生き延びたと気づくほど記憶があいまいだ。
私の士官として実戦経験は一ヶ月前のチェルノボーグJP会戦が初といってもいいだろう。
チェルノボーグJPでは艦に損傷はなく、ERCのコンソールで戦況を眺めていただけだから、実戦での緊迫した状況は今回が初めてだ。
終わってみて思ったのは、“運がよかった”と“生き残れた”ということだけだ。
士官候補生時代から何度も危機的な状況を経験している兄のことを考えると、改めてその精神力の強さと能力の高さに驚きを禁じ得ない。
直接兄から話を聞いているが、実戦を経験した今、どれほど困難な状況であったか、ようやく実感できた。それもあって安全な超空間に入るまで、緊張を強いられ続けていたのだ。
兄のことは以前から尊敬していた。しかし、兄の存在は私にとって重荷でしかなかった。特に今より若かった士官候補生時代は自分の生まれを呪うことがあったほどだ。
私がキャメロット星系第三惑星ランスロットにあるライオネル士官学校に入学したのは今から十年前のSE四五一二年九月。仕事がなくなったため、なんとなく昔のことを思い出していた。
■■■
SE四五一二年九月一日。
憧れのライオネル士官学校に入学した。
席次は二十位。同期が五万五千五百人いると考えれば、出来すぎと言える。
さすがに五万人以上もいると、式典も簡略化され、教室からヴァーチャルでの出席となる。統合作戦本部の副本部長やキャメロット防衛艦隊司令長官などのあいさつを聞き流しながら、式典が終わるのを待つ。
式典を終えた後、ヴァーチャルシステムを切り離すと、クラスメイトからの視線を強く感じた。私の“コリングウッド”という名が気になるのだろう。
この時、コリングウッドという名が注目される理由は兄クリフォードではなく、父リチャードの名声のためだ。
兄は年齢こそ三歳と三ヶ月違いだが、年次は四年異なる。そのため、私が入学した時、兄は既に卒業し、士官候補生としてスループ艦ブルーベル34号に乗り込んでいたが、まだトリビューン星系で戦闘が起きていなかった。
父の名が世間に知れ渡ったのは入学の五年前のSE四五〇七年。
父は第三次ゾンファ戦争の末期、ハイフォン星系において不利な状況にもかかわらず味方を守り続け、最終的な勝利に貢献した。
元々“火の玉ディック”というあだ名を持つほど艦隊の中では有名な艦長だったそうだが、ハイフォン星系での活躍により、メディアから注目された。
その父だが、私が十歳の時に右腕を失って屋敷に戻ってきた。
それまでは戦争の激化と共に年に数回しか顔を合わせることはなく、幼いうちに母を失った兄と私にとっては表現しがたい存在だ。家族でありながらも遠い存在。遠い存在と思いながらも憧憬の対象でもあった。
そんなこともあり、私もそして兄も父に認めてもらいたいと常々思っていた。
父が負傷するまで、兄は戦史の本を読み漁り、得意の銃で褒めてもらおうと努力を続けた。時々帰ってくる父はその努力を褒め、兄は父が不在の時に更にそれらに磨きをかけていった。
私も同じように考えたが、十歳にも満たない歳では何をしていいのか分からなかった。
ただ兄と同じ土俵では評価されないと気づいており、学業全般で努力を重ねていった。父はそんな私の頭を撫でながら褒めてくれた。
士官学校に上位の成績で合格できたのはその努力の結果だと思っている。
父が予備役に編入された後、私はさまざまな話を聞こうとした。それまでは帰ってくるたびに艦のことや知らない星系の話など、いろいろなことを聞かせてくれたからだ。しかし、父は戻れない世界のことを思い出したくないのか、積極的には話そうとしなかった。
それでも兄が同じ道に進むと決めた時、父は少しだけうれしそうな顔をした。私もその顔が見たくて、士官学校に入る道を選んだ。
入学から二ヶ月は比較的平和な日々が続いた。士官学校という慣れない環境で周りを見る余裕がなかったということもあるが、父の活躍は五年前のことであり、私たちの世代にとっては大昔の出来事という認識で、多くの者が忘れたからだ。
十一月になると、トリビューン星系での戦闘が報じられ、兄の名がメディアから聞かれない日はなくなった。
最初に話を聞いた時には兄らしいと思った。兄の銃の腕は宙兵隊の一流スナイパーに匹敵し、実際士官学校の射撃大会では毎年上位で入賞している。
その腕で潜入作戦を勝利に導いたのだと思ったが、作戦の素案の作成から潜入後に身を挺して部隊を守ったことまで、聞いている私ですら興奮するほどの活躍だった。
私はその話を聞き、本当に自分の兄、クリフォードのことなのだろうかと思った。子供の頃に一緒に遊んだ姿から、メディアが描く英雄の姿が想像できなかったのだ。
兄に対する印象は気が弱いながらも父に認めてもらおうと努力しているというものだ。父はそんな兄に対し、常に毅然とした態度をとるよう指導しており、まるで父のような活躍に違和感を抱いた。
しかし、兄は幼い時から努力を続ける人だった。だから、私の知らない士官学校時代に子供の頃と同じように努力を重ね、それが実ったのだろうと思い直す。
兄の活躍は私にとってもうれしいことだったが、重荷でもあった。
寮のルームメイトであるルロイ・ヘンシェルは普段から陽気な少年だが、その時は無邪気に兄の活躍を聞きたがった。
「君の兄上は凄いな! どんな人だったんだい?」
その問いにどう答えていいのか迷う。
「銃の腕は凄かったよ。僕は足元にも及ばなかったな」
士官学校の一年生は士官として基礎的な知識の習得を目的しており、数学や物理学、歴史などを学ぶ。それだけではなく、戦士として必要な射撃や格闘技、規律を学ぶ野外訓練などもカリキュラムに入っている。
「君だって射撃の成績はいつも九十五点以上じゃないか。僕なんて七十点取るのに四苦八苦しているのに……その君よりも凄かったのかい?」
「ああ。射撃のジュニア大会では何度も賞を取っているよ。僕はいつも予選落ちだったけどね」
ルロイはそんな話で納得してくれるが、厄介だったのはメディアの取材だった。
士官学校の学生であるため、すでに下士官待遇の軍属でもあり、勝手に取材を受けることはできない。しかし、休日に街に出ると、必ずと言っていいほど記者が声を掛けてくるようになった。
その時は「軍の広報を通じての取材しか受けられません」としか答えていないが、それでもしつこく付きまとってくる。
話は変わるが、ライオネル士官学校には二十万人以上の学生がいる。地方都市に匹敵する数であり、士官学校自体が一つの街を形成していると言っていい。もちろん、民間人も多く住んでいるが、そのほとんどが士官学校に関連する仕事であり、学生に対して優しいところだ。
そのため、記者から逃げる場所はいくらでもあったが、記者は一人や二人ではないため、何度も逃げ回ることが煩わしく、一年の時にはほとんど街に出ることはなかった。
幸い、私の担当教官であるカミラ・アーウィン少佐が取材攻勢を食い止めてくれたので、学校と寮にいる限り、記者たちに煩わされることはなかった。
後で知ったのだが、アーウィン少佐は父と同期だった。大病を患ったため、地上勤務となったが、十年以上教官を務めているベテランだ。このような状況でも的確に対応してもらえたのだ。
学内と寮にしか安息の場所はなく、休日も寮で自習するしかなくなった。
そのため、クラスメイトたちは「コリングウッドは首席を狙っているエリートだ」と言っていたらしい。
確かに更に上位を目指していたが、休みを返上してまで上を目指していたわけではない。やることがなかったから仕方なく、自習していただけなのだ。
二年に進級する前にはメディアの熱狂も冷め、ようやく落ち着いた生活になったが、周囲は私のことを“上昇志向のあるエリート”と見るようになり、ルロイ以外に腹を割って話せる友人はできなかった。
そのルロイとも進級時に寮の部屋が変わり、その後のルームメイトとは表面的な関係しか築けなかった。
二年生になると、一般教養ではなく、より士官に必要なカリキュラムが増えてくる。戦略論、戦術に関するものやその礎となる戦史や政治学、更には航宙艦の構造、対消滅炉を理解するための核物理などもカリキュラムに加わってくるのだ。
士官学校では特別な理由、例えば訓練中の負傷による入院などがない限り、留年は認められない。高いレベルで自己を管理できるものだけが士官になる資格があるという方針のためだ。
軍としてもただでさえ足りない士官が補充されない事態は避けたいと考えている。そのため、補習や再試験などが頻繁に行われていた。幸い、私は補習や再試験を受けることはなかった。
しかし、同期のエメリア・ミーリックは平均的な成績であり、常に補習を受けていた。
同じクラスでもない彼女と出会ったのは偶然だった。
その日もいつも通り図書館で自習していたが、美しい少女が机に向かってうんうんと唸っている姿に思わず見入ってしまった。
私の視線に気づいた彼女が「ここを教えてくれないかしら」と言ってきた。
普段、あまり声を掛けられないため、戸惑っていると、
「優等生のミスター・コリングウッドならこれくらい分かるのではなくて?」
そう言って微笑む。
「ごめんなさい。エメリア・ミーリックよ」といい、はにかむような笑みを浮かべ、
「私はあなたのことを知っているけど、あなたが私のことを知っているはずはないわね」
その笑みにドキッとしながらも、
「どこが分からないんだ、ミズ・ミーリック?」と言いながら近づいていった。
彼女の横に座り、机の上の個人用情報端末を覗き込む。
「なるほど戦略論か……この設問は戦史のテキストを見た方がいい。百年前の第二次ゾンファ戦争の戦訓が参考になると思うから……」
そう言って自分のPDAに戦史のテキストを映し出す。彼女が悩んでいた問題は過去にも出ている問題であり、模範解答は知っていた。
覗き込んでくるエメリアの甘いような香りが鼻をくすぐり、文字に集中できなくなる。
「この会戦の戦訓を参考にしているのね。なるほど……」
そう言いながら自分のPDAにレポートを書き込んでいく。
五分ほどで書き終えると、
「これでいいかしら?」と美しい蒼い瞳を向けて聞いてきた。
「この部分が間違っているな。ここは我が軍が防御に徹すべきところを攻勢に出てしまったと書いた方がいい。実際、ターマガント星系に無理に進出して、アテナ星系を失いかけたのだから……」
「なるほど……さすがはミスター・コリングウッドね。私には取っ掛かりすら分からなかったわ。ありがとう」
「お役に立てたのなら光栄だな。もし、手伝うことがあるなら言ってくれたらいい。時間があれば手伝うから」
「ありがとう! 助かるわ!」と大げさに喜び、
「機関工学も苦手だし、航法も嫌いなのよ」
「了解。では」と言って立ち上がった。
「非公式ならエミリアと呼んでいいわ」
「ではファビアンと呼んでくれ」
そう言って図書室を出ていった。
それからエミリアとは何度か図書室で勉強するようになった。と言っても彼女との仲が進展したわけではない。そもそも士官学校では学生同士の交際は認められておらず、見つかれば処分を受けるためだ。
もちろん、隠れて交際しているカップルは多数存在するが、私にはそこまで度胸はなく、図書室で彼女と過ごせれば満足だった。
彼女のことがあり、二年生の途中までは楽しく過ごせた気がする。
しかし、二年生の最後の月、再び兄が武勲を上げた。ターマガント星系においてゾンファの謀略を阻止したのだ。
この件は恥ずべきスキャンダルでもあり、軍としても積極的に情報を流さなかった。ただ、戦闘指揮所が孤立した状況で二倍以上の敵に勝利し、ターマガント星系を守り切ったことが伝えられた。更に兄が殊勲十字勲章を受勲することになったため、多くのメディアが再び私に取材攻勢を掛けてきた。
そのタイミングがちょうど八月の夏季休暇期間に当たり、私は屋敷から出ることもままならなくなった。本来であれば、クラスメイトとキャンプなどを楽しむ予定だったのだが、すべてキャンセルせざるを得なくなった。
兄も私や父のことを考え、要塞アロンダイトに入港しているにもかかわらず、ほとんど家に帰ってこなかった。
とりあえず行けるところまで毎日更新を続けるつもりです。