9 君が望むならなんでも
ご飯を食べ終わった後、お茶を淹れて一息つく。最近はすっかり暑くなってきたから、水出しの緑茶がとにかく美味い。
あずみは満足げに笑みを浮かべている。食べている間も目をキラキラさせていて、とにかく作りがいがあるというか、あんな反応をされるとかなり嬉しい。
「ごちそうさまでした……上手だねえ、料理」
「お粗末様でした」
「将来は料理人になれるよ」
「基準がゆるゆるだってことに気がついてくださいね。外食したことないんですか?」
「あるけど、美味しかったよ」
「うっ……」
なんだその真っ直ぐな目は。正史はついそっぽを向いてしまった。ダメなんだ。あずみの、屈託のない表情を向けられるのが。
年上なのに仕草はちっともそれらしくなくて、あどけなくて、そのアンバランスさが一々心をざわつかせる。嬉しい表現が素直だから、そう……。
無限に甘やかしてしまいたくなる。
捨て猫に似ていると表現したどこかの誰かは、本質をついているなと苦笑い。正史は額を押さえて顔を上げると、
「親子丼の作り方、教えましょうか?」
「作らないと思うよ。覚えても」
「嘘でもいいから迷わないんですか?」
「嘘をつくのはよくないことだよ」
「そうだけど違う!」
言っていることは正史のほうが正当なはずなのに、あずみは腰に手を当てて叱りつけるような顔をしている。いや、その嘘は嘘だけど嘘じゃないんだって。
「それに、私はね、料理が作れないんだよ……」
「え、……?」
なにか事情があるのかと、正史は表情を険しくする。
「包丁を握ってみたんだけど、野菜を見ただけでやる気がなくなっちゃった。疲れそうだなぁって」
「頑張って!?」
「本当は作りたいんだけどね」
「嘘はダメって言ったのは誰でしたっけ?」
「これは嘘だけど嘘じゃないんだよ」
「いや嘘ですよ!! 紛うことなく、純度百パーセントの虚偽です!」
さも当然というように、あずみはこくこく頷いている。どこに納得ポイントがあったんだろう。きっと、正史とは別次元のところに理性が存在するのだろう。
「はぁ……」
「本題、テラくんの欲しいものはなに? この世界?」
「そんな大層なもん願ってないですよ!?」
諦めてため息をついた正史に、ここぞとばかりに話題替えをするあずみ。本題というのは本当のようで、真剣さがさっきとは違う。
それでやっと正史は、こんな状況になった理由を思い出した。
お礼がしたいと、あずみは言っていたのだ。だから……ええと、なんでお礼をされようとしているのにご飯を作ったのだろうか。そのへんは記憶が飛んでいて、わからなかった。
「べつに、お礼とかいらないですよ。そんなつもりで看病したんじゃないですし」
「むぅ……」
「だから、あんまり気にしないでください」
「ぐぬぅ……」
「困ったときはお互い様って言うでしょ?」
「ぐぎぎぎ……」
「あれ? 本気で怒ってる!?」
伝説のスーパーサイヤ人になりそうな雰囲気だ。どうしよう、ヤバい、止めないと。どうする? ええと、ここはあれだ!
「やっぱりしてもらおっかな。うん。欲しいです、お礼してほしい」
「なにがいい?」
一転して乗り気になったあずみが、そのまま身を乗り出してくる。テーブルに手をついて、前のめりになる形だ。
食事前に白衣は脱いでもらって、ブラウスになっているので、押し寄せたことで谷間が強調されてすごいことになっている。気にしないようにしていたが、すごい戦闘力だ。スカウター爆発しそう。
「私にできることなら、なんでもするよ?」
そんなことを至近距離で言われて、意識が保てているのはほとんど奇跡だった。
視線はさっきからがっつり胸元にホールドされてしまっているが、血反吐を吐く思いで目蓋を落とした。そのまま額をテーブルにつけて、心頭滅却。煩悩よされ。初夏だけど除夜の鐘鳴ってくれ。
深呼吸を思いっきりして、
「欲しいもの、ないんですよ」
「え?」
「したいことも、ないんです」
「そうなの?」
「はい」
これは嘘ではなかった。正史は、やるべきこととやること、任されたことはたくさんあるが、自分が求めているものはほとんどないのだ。あるいは、自覚していない。だから、あずみになにかを差し出されても、どうやって受け取ればいいのかがわからないのだ。
「うーん」
あずみは腕を組んで、考える姿勢になった。
離れたのを確認してから、正史はのっそりと顔を上げる。
これで引き下がってくれると平和なんだけどな、と思ったのは、一秒後に粉砕される。
「じゃあ、なにが欲しいのかを一緒に探そう! それを見つけるのが、私からの恩返し!」
「え?」
「え?」
なにを言っているのか、正史には理解できなかった。
「テラくんにも欲しいもの、してほしいこと、きっとあるはずだよ。だからまずは、見つけなきゃ!」
満面の笑みで手を差し伸べるあずみに、正史はあっけにとられた。
悪い気がしたのではない。バカだなとは思ったが、それでも胸の奥の方は温かくなっていた。
それくらいに、あずみの笑顔は強い光だったから。