8 したことないです
自然だ……。
あずみが部屋にいて、正史が台所にいて。鍋の湯が沸いているこの空気感があまりにも自然すぎる。付き合いたてのカップルみたいに甘くはないし、熟年夫婦のようなギスギスもないし、なんというか、兄姉みたいな当たり前感がある。
(いや、誰が付き合いたてのカップルだ!)
内心で強烈なツッコミを入れつつ、手は慣れた手つきで野菜を切り、肉を切り、料理を進めていく。男の一人暮らしで鍛えられたスキルなので、そんなにレベルは高くない。食べられればいいか、くらいの気持ちだ。
そこそこの量と、悪くない味と、パッと作れる簡単さがあればそれでいい。
そのスタイルは、あずみがいるからといって崩そうとは思わなかった。どうせ頑張ったところで、変なところにボロがでるだけだ。ならば、普段からやっていることを普段通りでいいのだろうと思う。
「おぉ……すごいね」
料理に集中していると、後ろからのぞき込んでくるあずみに気がつかなかった。肩のところにほとんどくっついて、楽しそうにコンロを見ている。
(あたっ……いや、あたって……ない……のか、いや、でもこのあったかいのって……おっ……いや、)
密着状態に激しく混乱している正史を無視して、あずみはニコニコ楽しそうだ。顔を正史に向けて、
「なに作ってるの?」
「み、みみ、味噌汁と親子丼です」
「す、すごすぎるよ……!」
ただでさえくっついているのに、その距離で質問されるのはまずい。視線をコンロから動かさないようにする。横を向いてあずみを見れば、あまりの近さに卒倒する。女性への免疫は皆無に等しいのだ。
さっきから心臓がバクバクうるさいし。
看病してる時は一度もこんなことにならなかったのに……もしかしたら、あずみの風邪がうつったのかもしれない。
「テラくんって」
「だいぶ容量がでかそうな名前ですね……」
「親子丼作れるってことは、パティシエなの?」
「日本料理なのでどう足掻いてもなれませんね」
あずみの中では一体どこの料理に所属しているのだろうか。っていうかパティシエってスイーツの職人じゃなかったっけ……。
「それに、親子丼はそんなに難しくないですよ」
「そうなの? 私にも作れる?」
「……難しいかもしれないですね」
「え、今、簡単って言ったよね!?」
「難易度は人によって上下するんです。この世界は相対評価でできているので」
「そうなんだぁ」
特に気を悪くした様子もなく、あずみはケロッと笑う。その諦め方があまりに自然で、正史は聞こうとしていたことを切り出してみることにした。
「雪村さんって料理とかするんですか?」
「前世はね」
「してないんですね」
あずみはこくんと頷く、さも当然のようにされるので、正史も妙な納得をしてしまった。確かに、あずみが包丁を持っているところなど想像できない。怖いからやめてほしいのが本音だ。
だが、そうなると気になるのはいつもの食事だ。
「普段はなにを食べてるんですか?」
「食べ物」
「もうちょっと絞ってもらえますか!?」
「あ、料理はしてるよ」
「そうなんですか?」
もはや正史には疑いしかない。期待せずに聞いてみよう。
「うん。お湯入れてる」
「カップ麺じゃないですか!」
やっぱりな、と嘆息して、これ以上の期待はかけないことにした。
「そんな生活してるから体壊すんですよ……」
「確かに……」
あずみは胸にそっと手を当てて、
「最近ちょっと、痩せたかもしれない」
「…………っ」
どこが、とは正史には聞けなかった。ちらっと後ろを振り返ったことを激しく後悔する。
「も、もうすぐできるんで……向こうで待っててください」
「はーい」
スタスタと正史のベッドへと戻っていくあずみ。どうやらそこを定位置に定めたらしい。座ったり転がったり、なにもないのに楽しそうだ。
今日の夜そこで眠ることができるのだろうか……正史の中の変な欲求が鎌首をもたげ、鎮圧するのは一苦労になりそうだ。
(……誰だよ、ご飯一緒にどうですかって誘ったやつは……)