7 私をあげちゃう
思いっきり首を傾げられて、あずみは当てが外れたような顔をする。渾身の作戦が外れたといった表情だ。ただ友達の助言を実行しただけなのに。あまりにピュアすぎて、それがイタズラとも知らずに。
その仕草がやけに真剣で、からかいの意味を含まないのだから、正史は大いに困った。ゆっくりと眉根をもみほぐして、先ほど言われた言葉の真意と、出てきた経緯を探る。
「えっと……まず、お礼っていうのは昨日とかのことですよね?」
「うん」
まあ、確かに、お礼を言われるような内容ではある。死にそうなところを助けたし、過大評価でもなんでもなく、正史は紳士的な振る舞いをした。ノーベル平和賞にノミネートされてもいいレベルだった。
だから、そこまではギリギリわかる。
「で、お礼は私、というのはどういう意味なんですか?」
「あげるってことかな……?」
「そんな大事なこと俺に聞かないでくれません!?」
あずみのほうは自覚がないらしく、くれと言えば本当にくれそうな調子なのが困った。男子高校生的に、それはすごく困った。
土日は体調最悪でそれどころではなかったのだが、あずみの顔とか、雰囲気自体は嫌いではないのだ。素材はいい。A5ランクと言ったのは、お世辞でも何でもない。
だからってあずみをもらうほどの覚悟はできていないし、まだ学生だし、っていうか会ってからの日にちが足りてないし、いや、足りてるからもらうってわけでもないんだけどね!
困り果てた正史になにか感じたらしいあずみは、うんうんと頷いて、
「じゃあ、寺岡くんのこと困らせちゃうし。あげちゃおう」
「もらえるかぁ!」
「……ほしくないの?」
「それとこれとは別ベクトルじゃあ!」
そんな寂しそうな目で見ないでほしい。深い意味なんてなくても、男子はとにかく誤解しやすいのだ。お願い、一生のお願いだからその目をやめて。
あずみがじっと見つめるので、正史は逸らすしかない。これ以上見つめ合っていると頭がおかしくなりそうだった。
「難しい。こんなに考えてるのに……出口が見えない迷宮みたい」
「まだ入り口にもたどり着いてないですけどね」
二人して廊下に突っ立っていると、どこからか「くぅっ」と可愛い音が聞こえた。
「……違う」
「まだなにも聞いてないですけど」
「お腹が空いてるだけ」
「だから鳴ったんですもんね!」
「でもお礼はする」
「でもって……別に逆接関係はないですけどね」
「なおさらお礼をする」
「お腹が減ったから!?」
「つまりお礼をする」
「もうわからないですね!」
意志が強いことだけひしひしと伝わってくる。正史がなんといおうと、引き下がってはくれなそうだ。その内容がいささか不穏なことになっているが……。
ため息を一つついて、
「とりあえず、ご飯食べませんか? 雪村さんまだ病み上がりだし、そういうのはまた今度でいいんで」
「ご飯。……恩の重ね売りは注意しろってひかりが言ってた」
「下心はないですが!?」
「ひかりが」
「誰ですか、その、ひかりって」
「友達」
それでなんとなく、正史の中で合点がいった。バラバラだったピースが上手い具合に重なって、さっきからの言動のすべてが一つになる。
「もしかして、お礼のことってその、ひかりさんが?」
こくんと頷くあずみ。
「この変な空気は、ひかりのせい」
「信じた雪村さんが悪いんですけどね??」
このまま続けたところで、カオスに発散するだけだ。ここらへんで話題を打ち切って、変えるべきなのだろうと、正史はドアを開ける。
「まあいいです。ご飯にしましょっか」
「……そんな、これ以上になったらお礼が数値化できなくなっちゃうよ」
「今のところできてるところに驚きですけど! 具体的にはどのくらいなんですか?」
「3000キロカロリー」
「太る!!」
どんな肉の塊をプレゼントされるところだったんだよ……本人はきょとんとしているし。世間知らずって怖い。
玄関に靴を並べて、我が家の明かりをつける。当然のことながら、あずみの匂いや痕跡が色濃くなった部屋だ。ほんの二日で、ずいぶんと様変わりしたように思う。
「ただいま、っと」
正史の後ろから、あずみも中に入る。
「ただいまー」
そのまま手洗いうがいを交互にして、あずみはトコトコ、ベッドの上に腰掛ける。正史はキッチンに立って、冷蔵庫の中身から今日の夕飯の準備に取りかかろうとして……。
(いや待って、なんかおかしくない!?)
そのあまりの自然さに、一人で絶句するのだった。