5 ラブソングが始まる その1
三輪颯太は、寺岡正史の級友である。
しっかり者の正史とはどちらかと言うと逆で、勉強も部活もそこそこに、遊びにこそ精を出して高校生活を満喫するタイプの人間だ。だが、どういうわけか彼らは波長が合い、学校にいる間は一緒にいる時間が長い。
そんないつもの昼食時に、正史が語ったこの土日の話を聞いて、三輪颯太はあんぐりと口を開けた。
「………………………………? 聞き間違いかもしれないから、もっかい最初から頼む」
「金曜日に家の前で倒れてた女の人を看病するために今朝まで泊めてた。今朝、大家さんに連絡がついて、大学帰ってきたら鍵が戻ってくるから元の生活に戻るって」
「という夢を見たんだな?」
「俺がそういうタイプの人間じゃないってことは、颯太が一番よくわかってるだろ」
「うん。困ったことに、正史のその目はマジの目だ。…………薬だな?」
「乱用してないぞ!」
きっちりと否定してくる正史に、颯太は「うへぇ」と困ったような声を上げる。週末はよく女子と遊ぶし、彼女だって四人いたことがあるけれど、知らない女を家に泊めた経験はない。
「これからはお前が性欲マスターだな」
「そんなもの極めてどうするんだよ」
「マハラジャするしかないだろ。ビバハーレム、一夫多妻制、現代日本の少子化社会を解決だ」
「倫理観のアップデートしとけよ、週末までに」
「ウィンド〇ズだとデータ吹き飛ぶから嫌なんだよなぁ」
「いっそ吹き飛ばしてしまえ」
「しっかし、正史がハーレムかぁ……」
「どこからでてきたんだよ、完全に脱線してるだろ。っていうかハーレムって、実在するのか?」
「おっ、興味があるのかい?」
ニヤニヤと笑う颯太に、「ぐっ……」と正史は唇を噛んだ。図星というわけではないが、嵌められたような気がしてイラッときたのだ。
「興味がない。自分のことだけでも手一杯なのに、ハーレムなんてやってられるか。疲労で死ぬだろ」
「ハーレムキングはしないんだろうな。ま、現実社会では体力的にも時間的にも、経済的にも不可能だろうさ」
「そうそう。一人いれば十分なんだからさ」
「ソーデスネ」
颯太はつい最近、浮気がバレて女子たちからボコボコにされたところである。今も教室の女子には構ってもらえず、男子からすらも「あいつと話してると女子から嫌われる」という理由で距離を置かれているのだ。
気にせず変わらずなのは、正史くらいである。
「しっかし、正史は変わってるよな。普通、浮気が原因でハブられたやつと一緒にいないだろ」
「それは俺の人生と直接的な関係がないだろ」
「ドライだなー」
気持ちいいくらいに大きく颯太が笑えば、教室の女子たちは眉根をひそめる。露骨に陰口をたたく者もいる。
「ま、正史はな。もとがちゃんとしてるから、だれといても評価が下がることはないわな」
「颯太。もし、お前が逆の立場だったらどうする?」
「ふつーにハブるけど? ダメ?」
「知ってたよ。そういうはっきりしたところ、嫌いじゃない」
「ほうら、変わってるんだよお前は」
うっしっしと笑う颯太は、内心で真剣に考えてみる。もし、仮に、この寺岡正史という鉄骨を組み上げたようなバカ真面目が浮気をして、それで周りが離れていって……一人になったら、自分はどうするだろうかと。
しばし考えた結果、当初の予定通りハブることに決まった。
(そもそも俺、こいつが真面目だから一緒にいるんだし)
正史がおちゃらけた人間に変わるのは、颯太にとっては詐欺のようなものなのだ。冷蔵庫を買ったと思っていたら、オーブントースターだったくらいの、甚大な詐欺。
「で、その変な星の下に生まれた変人バカ真面目くんは、その女の人になんか思わないわけ?」
「ちゃんとご飯食べてんのかなぁって」
「オカンか!」
「あと、ちゃんと寝てるのかなぁって」
「オカンか!」
「新聞の勧誘とか、断れなさそうだなぁって」
「いやだからどこ目線だよ! どんな人生送ったらそんな老成した考えになるんだよ! 一人暮らしがそうさせたのか!?」
「颯太、うるさい」
てでしっしと払って、身を乗り出した友人を押し返す。颯太は心外だと口をとがらせつつも、自分の領地へ戻っていく。
「あのなぁ、俺が聞いてるのは、美人だったかとか、そういうことだよ」
「美人…………」
「まさかお前、顔くらい見たよな?」
「見たけど……なんというか」
風邪を引いていたし、たぶん寝不足だったし、食事も適当に済ませているのがありありと伝わってきたし、髪の毛も肌も、あんまり手入れしているようではなかった…………。
「A5ランクの和牛を幼稚園児が料理したみたいな」
「猛烈にわかりにくいたとえをするな」
「素材の味を生かし切れていないというか……素材の味でしかないというか……風雨にさらされて素材が傷みきっているというか…………いや、でも、元は綺麗な人なんだろうなとは思う」
「気を遣ってフォローしたのか?」
「……本心、だと思う……」
なにかに困惑するように、ふいっと窓へ視線を逸らした正史。耳が薄ら赤くなっているし、なにより視線が泳ぎすぎだ。
(おお……? これは……まさか、もしや)
突如訪れた友人の変化に、三輪颯太は内心で浮き足立つ。
※
――同時刻、雪村あずみ。大学の学食にて。
「やっほーあずー! ケータイ壊れちゃったんだって?」
西条ひかりは、あずみの数少ない友人の一人だ。大学生らしい、明るい茶髪にカーディガンとミニスカート。活発な性格でテニス部に所属しており、その天真爛漫さから、既に多くの男子学生からアプローチを受けているが、本人はまったく気がついていない。
そのくらい鈍感で、他人の目を気にしないひかりだから、いつでも白衣で歩き回っているあずみとも仲良くできるのだ。大抵の場合は、なにかわけありなのかと距離をおくし、あずみの日常生活の適当さに呆れてしまう。
二人は空いているスペースにトレーを置いて、向かい合って座る。
「そうそう、大変だったんだよ本当に、でも大変だったのは私じゃなかったんだよ」
「さっさく今日も難解な日本語だね! 日本語検定ゼロ級だね!」
「んとね、簡単に言うと。拾ってくれた男の子の家に二泊した」
「ブフーッ!」
ひかりはお茶を噴き出した。