3 ちゃんと下着も買うように
長男だから、ちゃんとしなければならない。
それが幼い頃からずっと、正史が掲げてきた合言葉である。自分が見本を示すことで、下の弟妹に伝えることができる。間違いのない知識を、恥ずかしくない生き方を、誰よりも正史はしたかった。
その、恥ずかしくない人生の定義が今、大きく揺らいでいる。
女性用下着コーナーを遠目から見つつ、顔を引きつらせる。どのタイミングで行ったものか、わからないのだ。
あずみは今も、正史の部屋で眠っている。その間に薬と、スポーツドリンク、何か食べるものを用意しようと思ったのだが……。
当然ながら、いつまでもびしょ濡れの服を着させているわけにもいかず。上だけなら正史の服を貸せばいいのだが、下着だけはそうもいかない。
「……なんで対して関わりのない女性の下着を買おうとしているんだろうか……」
考えれば考えるほど、自分の置かれている状況が理解できなくなっていく。いっそ責任をうち捨てて逃げられれば楽なのに、彼を構成する責任感というものがそれを許さなかった。
心の中で言い訳を考えてみる。
・仲のいい女子へのプレゼントとして買う。
なるほど。確かに、ありえない可能性ではないかもしれないが、それは仲がとてもよい。付き合っていて、いくとこまでいったカップルの話だ。しかも、その場合に買う下着は普通のじゃない。派手派手でお高い、ひらひらのやつになる。
よって却下。
・男物と間違えて買う。
バカか?
・シンプルに自分用と言い張って買う。
社会的に死ぬのでアウト。
「…………」
社会的に生きたまま、女性用の下着を買う方法が思いつかない。
だが、こうしている間にもあずみは一人、ベッドの上で苦しんでいるのだ。起きたときに、そばに誰もいなければ、それこそ不安になってしまうだろう。
どうせやらねばならないことだ。
決断しろ、足を動かせ、パンツを買え。
当然のことながら、ブラも忘れるな。
※
家に戻ってもしばらくは、あずみが起きることはなかった。
正史は脱がせた白衣を洗濯機にかけ、乾燥機を回し、空いた時間で現実逃避するように文化祭の企画書を作成する。こういう、クラス行事なんかの進行を任されることは珍しくない。どんな仕事も嫌な顔一つせず、きっちりこなしてくれるからと、誰からも信頼されているからこそだ。
正史自身、そのことを誇りに思ってもいた。
時折目に入るレジ袋に心を乱されながらも、納得のいくレベルまで仕上げを終える。
その頃にはお腹も減ってきたので、冷蔵庫から適当な食材を取り出して調理を開始。野菜をざく切りにして、荒く切った豚肉と混ぜる。残った野菜を鍋に突っ込んで、中華スープの素と溶き卵で整える。
いい匂いが部屋を満たし始めたタイミングで、ベッドのほうからもぞもぞ音がする。
「あ、起きましたか?」
コンロの火を止めて、あずみの横に座る。
「なんか、いー匂いがするね」
「晩ご飯作ってるんです」
「おまえうまそうだな」
「涙腺崩壊するからやめてくださいね」
あの絵本の素晴らしさを知っているとは、……と感心している場合じゃない。相手は病人だ。それも、けっこうな。
「服、濡れてて気持ち悪いですよね?」
「脱がせてくれるの?」
「寝ぼけてるからそんなアホなこと言ってるんですよねそうですよね」
目がとろんとしているから、きっとテキトーなのだろう。本気ではないはずだ。
いや、……テキトーでもそんなこと言っちゃうのはどうかと思うけれども。
「着替え貸すんで、頑張って着替えてください。そしたら一回、シーツも毛布も替えちゃうんで」
「見ず知らずなのに、悪いね」
「あんな状態で倒れてたら、ほっとけませんって」
クローゼットから比較的だぼついたシャツとジャージを選んで渡す。大きめを選んだのは、あずみの胸の膨らみが窮屈に感じるのではないかといった、正史なりの気遣いだった。
というか、きついとか言われたらかなり動揺するから、その予防線。
「下着も買ってきたんで……使ってください」
「わぁぉ」
横たわったまま、感心した視線を向けるあずみ。そんな目で見られた正史はたまったものではない。
「立てますか?」
「起き上がるのがしんどいかな……ごめんね」
「謝ってもしょうがないでしょう、もう」
「君は優しいね」
「…………よく言われますよ」
よっこらせと体を起こすのを手伝って、肩を貸して脱衣所まで連れて行く。
「なにかあったら呼んでください。目隠ししてくるので」
「りちぎだ……」
扉を閉めて、向こう側で鍵がかかる音を聞いてやっと一安心。いや、まだやることは残っている。毛布を干して、シーツも替えなければ。濡れたままでは気持ちが悪いだろうし、着替えてもらう意味がなくなってしまう。
脱衣所であずみが着替えている、という事実から目を背けるように、正史はせっせとやることに取りかかる。