24 このままじゃ終われない
ちょうど五人乗りのハイブリッドカー。運転席の窓が開いて、溌剌とした女性が顔を出す。健康的な笑顔が特徴的な、ひかりだ。あずみの数少ない友達にして、今回の発案者でもある。
「やほほい、あず。その子たちが件の高校生?」
「そう」
「ほーん。で、そっちの彼があずの命の恩人くんだね」
車から降りると、ひかりは正史の前までやってくる。
化粧もちゃんとした、あどけないが大人な印象を受けた。高校生とはまったく違う、大学生とはこういう人のことを言うんだろうなと、直感的に思う。
「ウチは西条ひかり。よろしくね。あずから話はいろいろと聞いてるよー」
「あ、そうですか……じゃあ知ってるかもしれないですけど、寺岡正史です」
握手を求められたので、特に考えずに返す。ふむふむ、と上から下までなめ回すような視線。
「付き合って良し!」
「……いやいや」
急になにを言い出すんだとは思ったが、これくらいは想定内だ。正史は平然を保ったまま、冗談としてそれを受け流す。
あずみの友達。その存在は前から知っていたし、ところどころで暗躍している気配も感じていた。だから、今日に向けての準備は万全にしている。
付き合う、ってほら、男女交際のことじゃなくて普通にお隣さんとして付き合っていくことでしょう? みたいな顔をしてそれ以上の追求を許さない。
「ふむぅ……なかなかやるね」
「鍛えられてますから」
ちらっと、あずみのほうを見る。あの人は考えずに話しているから、なにかと嬉しい方向に誤解してしまいたくなる。それをどうにか勘違いだと、調子に乗るな自分と落ち着けるトレーニングを日々行っているのだ。
「ありゃりゃ、そういうふうに勘違っちゃってるかー。まあ、それはあずも悪いんだろうなぁ……」
額を押さえてやれやれ、と嘆くひかりだが、その意味は彼女にしかわからない。ひとしきり考えた後で、まあいいかと割り切り、
「それで、そこの二人はカップルなの?」
「私は氷室葉月と言います。そこにあるのは汚物です」
「英語の例文みたいに俺をディスるな。……三輪颯太です」
三人は目を合わせ、
「「「ほぅ」」」
と、やけに息の合った様子で頷く。
彼らの中だけで伝わったのは、「この人があの鈍感どもの裏側から糸を引いてたのか」という深い納得であり、同士としての結託。
積もる話はあったが、しかし、この場では顔合わせだけにしておく。本題を忘れてはいけない。
「じゃあ、さっそく行こっか。特に理由はないけど、あずは助手席乗っちゃダメだからね」
「なんで!? ひかりんの運転好きなのに」
「正史、ぶっちゃけると俺は西条さんの顔がかなりタイプだ。助手席は譲れ」
「お前……欲望に忠実すぎるだろ」
完璧なまでの連携で、葉月を含む三人を後部座席に詰め込む。一人アウェーに放り込まれた葉月は、すぐに窓の外を見ることで空気と化す。
五人を乗せた車はゆっくりと加速して、高速道路に乗った。運転が落ち着いてきたところで、ひかりが切り出す。
「寺岡くんは大学選びに困ってるんだっけ?」
「はい」
それこそ、本来今日の目的だったはずなのだが。友達はひかりしかいないらしい。まあ、あずみにたくさんの友達がいることもイメージしづらいし、驚きはしなかったけれど。
うんうん、と頷きつつ、ルームミラーで正史の様子を確認する。
「じゃあ、参考までにウチのこと言おっか。学部はあずみと同じ工学系なんだけどね。残念ながら、物理が好きだとか、機械が得意だとかじゃないんだよね」
「じゃあ、どうしてなんですか?」
「就職。取りあえず、工学系のとこ出とけば働き口はあるかなって。女性でもちゃんと男性と同じくらい稼ごうと思うなら先生がいいらしいんだけどね。それはむいてないかなーって」
「就職ですか……」
「そそ。給料とか、労働時間とか、どこの企業にいけるかとか。そういうの難しいし、まだ考えてないけどね。ざっくり問題なさそうなところに行ったんだ」
どう? と聞かれて、正史は軽く頭を下げる。
「参考になります」
「硬いなぁ。まあ、なにかあったらひかりお姉さんに聞きなさいな」
トンネルをいくつかくぐると、急に視界が開けた。
キラキラと光を乱反射する紺碧――
「海だよ、ほら、テラくん海!」
「海ですね……っ」
真ん中に座ったあずみが窓に近づいてくるので、間にいる正史はたまったものではない。触れすぎないように苦戦するが、どうしてもすべすべした肌の感触からは逃げられない。
「おぉー、綺麗なとこっすね」
「でしょでしょ。免許取ったから来たかったんだよねー」
「いいなあ免許、俺も早く取りたいんすけど」
料金所を通って一般道に降りると、海水浴場はすぐだった。時期が時期だけあって混み合ってはいるが、平日だからマシなほうなのだろう。
「そういえば、水着持ってきてないですけど」
「海につかる予定はないからね!」
「そうなんですか?」
海なのに?
「安心しなよ寺岡少年、スイカならあるから。もちろん、木刀もね」
「割るんですか」
「もち」
ぐっと親指を突き立てるひかりは、イケメンだった。
砂浜に降りて、海の家でパラソルを借りて日陰を作る。荷物をそこに降ろして、じゃあやろうか、と勢いよくスイカを地面に置く。ルール説明は、ひかりだ。
「テニスサークルに伝わるイベントに『飲酒ぐるぐるバットスイカ割り』っていうのがあるんだけどね」
「なんですかその悪鬼羅刹のようなイベントは」
「今回はぐるぐるの回数を増やすだけだから、安心して」
なんだそれなら……と、安心しかけた正史へ。
「五歩ごとに三回転するだけだから」
「いや多いですよね!?」
そんな感じで始まったスイカ割りは、熾烈を極めることになった。
「そいやぁっ!」
「雪村さんまだ一歩も歩いてないのに!」
スタート地点で上段から振り抜くあずみに、
「お酒がないならこんなの余裕だよ!」
的確に場所を狙って振り抜いたはいいが、べちんっ、と固い皮に弾かれるひかり。
「前、前、右、右、――ってなんでこっち近づいてんだ葉月たん、横に薙ぐな! スイカ割りで横振りは存在しねえよ!」
「寡聞にして知らなかったわ」
「嘘をつけ嘘を!」
隙を突いて颯太を亡き者にしようとする葉月と、
「このへんか?」
空気を読んでか、そこそこの場所で近くを狙って外した颯太と(付き合いの深い正史だけが察した)、
「いやわからないなこれ!」
普通にふらふらして狙えなかった正史とで、二巡目に突入した。
最終的なリザルトは、スイカに与えたダメージでひかりが優勝。とどめを刺したのは正史だが、ほとんど崩れた後なので達成感のようなものはなかった。
割ったスイカを五人で分けて食べ、まったりと海を眺める。
「なんか不思議だねー。初めて会うはずなのに、前から知ってるみたい」
楽しそうに言うあずみに、
「「「そりゃあね」」」
と、完璧に息を合わせて頷く正史以外の三人。目的を同じくする同士たちが当然だと肯定する。
そのままの流れで目配せして、
「ちょっと飲み物買ってくるから、二人は留守番しといて。なにがいい?」
「お茶!」
「あ、俺もそれがいいです」
「オッケー。じゃあ、三時間ぐらいは戻ってこないけど、変なことしちゃダメだよ」
「どこまで買い出しに行く気なんですか!」
ひらひら手を振っていってしまった女子大生に、してやられた気分になる。すっかり気を緩めていたところに、これだ。
あんなこと言われると、多少なりとも意識してしまう。
正史はもう一度強く思う。今日、ここは敵地のド真ん中だと。
「あの三人、仲いいねー」
そんなことはつゆ知らず、楽しそうに背中を見送るあずみ。
「まあ、仲はいいんでしょうね……」
複雑な気分だが、仲が悪いよりはずっといい。はずだ。
ぼんやりと海を眺める正史。その横顔をしばらく見つめてから、あずみが声を掛ける。
「どうかな? 大学生も楽しいと思うんだけど」
「まあ、そうですよね……」
こんなふうに思いっきり遊べるのも、大学生の特権というやつなのだろう。
「悪くないと思います……うん。なんだろ、大学生になるのは、なってもいいかなって思えました」
「よかった」
ほっとしたように膝を抱え、満足そうに上目遣いを送ってくるあずみ。しばらくじっとして、どこか言いづらそうに、恥ずかしそうに、
「私の大学に来ればいいのに」
「……え?」
潮騒の音が、二人の間に流れて。耳からゆったりと抜けていった。
「――あ」
ぴたりと、あずみは固まって。視線を泳がせる。
「えと、そうすれば、楽な授業とか教えてあげられるし、テラくんに恩返しできるし、うぃんうぃん? みたいな感じかなって」
やけに慌てた様子の弁明に、つい噴き出してしまった。
「……なんで笑うの?」
「いや、ちょっと面白かったので」
「面白いとはなんだ……」
むすっとした顔を近づけられて、ぐらりと後ろに倒れてしまう。
「いや……あの、ちょっと」
シートの端まで追い込まれてしまった。
「ギブです。すいませんでした」
「テラくん」
「……はい」
なにか真剣な目で見つめられている。どくん、と胸が鳴る。なんだこれ……。
最近のあずみの変化は、正史も気がついていた。だが、今日は特に、……なんというか様子が違う気がするのだ。海だからか? 雰囲気がそういうふうにさせているのか? わからないけれど、危険だ。
しばらく見つめ合った後、あずみはゆるゆると首を振った。
「やっぱりなんでもない」
「なんでもない……って」
「なんでもないよ。イタズラしたかっただけ」
さっと身を引くと、さっきまでのことが嘘みたいに自然体になる。
三人が戻ってきて、飲み物を渡される。その後はダラダラ時間を潰したり、砂で城を作って、かき氷を食べて――
日が暮れた頃に、ひかりが車に戻ると言った。
「みんな、今日は遅くなるって言ってあるよね?」
「あっ、ひかりん、私も行く」
「荷物なら俺も行きますけど……」
「テラくんたちはここにいて」
手でダメ、とされた。
「うける、フラれてやんの」
「…………」
「なんも言い返さないんだな」
「返したら負けだからな。鬱陶しいことに」
「でも、いい人そうじゃない」
「それは間違いない。ひかりんさん激カワ。おまけに彼氏いないとか激アツ」
腕組みして満足げにする颯太。連係プレイをしている裏側で満喫していたらしい。
「三輪は黙って入水して」
「どんどん殺害方法が酷くなってない?」
ねえねえ、と問いかける颯太を無視して、
「夜の海でなにをするのかしら……もしかして亡命とか?」
「前から気になってたんだけど、氷室も相当変わってるよな」
「時代の荒波が私を変えたのよ」
「スケールがでかい」
どんな青春を送っているというのだろう。
「夜の海でやることっつったら、俺には一つしか思いつかないけどな」
視線で颯太が示す。その先を追っていくと、戻ってくる二人の女子大生。手にはバケツと、なにやら大きな袋を抱えていた。
その指し示すものがなにかわかって、一瞬、なにもかもが消し飛んでしまいそうなほど衝撃を受ける。
どうしてあずみが、今日、正史のことを連れてきてくれたのか。その意味がわかってしまって、なにも言えなくなった。
バケツに入った水をとぷとぷ揺らしながら、満面の笑みで彼女は言う。
「花火しようよ!」
息が詰まった。苦しくて何も言えなくなって、ただ、あふれそうなくらいに感情が大きくなる。この夏になにひとつ悲しい思い出を残さないように。来年に繋いだものを、確かめるように。
今日という日を、くれたのだ。
「寺岡くん……?」
「なんでもない……」
なんでもない、はずがない。
※
伝えたい言葉があるのだと思う。きっとそれは、知らないうちに大きくなって、もう、隠していることができなくなりつつあるもの。
どうすれば少しでも、自分は大人になれるのだろうか。正史は考える。どうすれば、どこまでいけば自分はあの人と対等になれるのだろうか。追いつけるのだろうか。
三年。あと三年早く生まれることができていたら、違っただろうか。こんなふうに、やるせない気持ちにならずにすんだろうか。
わからない。
わからないけれど。
「線香花火、勝負しようよ。――正史くん」
その眩しい笑顔を見るたびに、思うのだ。
「やりましょうか。――あずみさん」
このままでは終われない。
終わっては、いけないのだと。