23 大人の遊びってやつ
もはや日常の一部と化したあずみとの夕食によって、正史の料理能力は着実に向上していた。自分だけで食べるなら適当でいいのだが、相手がいるので同じものを連続で作るわけにもいかない。レパートリーも必然的に増える。
なにより、あずみが美味しいと言ってくれるのがよかった。もっと美味しいものを作るにはどうすればいいか、とか。考えているうちにまず調味料が増えた。ゴマ油を導入した瞬間に世界が変わった。最近ではパセリやバジルも揃えている。近々、ローレルも常備する予定だ。
「もしかして今日は、シチュー?」
漂う匂いにつられて、あずみが近づく。正史の肩越しに鍋を見るのでわりと密着しているが、もう慣れた。お玉がガタガタ震えた最初の頃とは違う。
「そうです。バケット買ってきたので、今日は洋でいこうかと」
「テラくんのお母さん感がすごい勢いで……ママみが深いよ」
「よくわからないけど嬉しくはないですね」
付け合わせのサラダをささっと仕上げて、食卓に並べていく。
「いやー。実家を思い出すなぁ」
楽しそうに準備をするあずみ。食器の位置なんかも、完璧に把握している。よそってくれと言わずとも、手際よくやってくれるから楽だ。
「そういえば、この間帰ったんでしたっけ?」
「うん。四日間だけだけどね。テラくんは?」
「帰らなきゃ……とは思ってるんですけどね」
なにかと言い訳をして引き延ばしているのだ。実家に戻るというイベントは、地味にメンタルが削れる。やれ恋人はいるのか、やれ成績はどうだ、やれ一人暮らしはやっていけるのか、――大学はどうするんだとか。
「あっ、もしかして親と仲悪いの?」
「仲は普通だと思います。良くも悪くもなく、みたいな」
「へー」
間延びした返事で、それ以上は追求してこなかった。けれど、せっかくだから悩んでいることを聞いてみようと思って、
「雪村さんって、将来どうするとか決めてますか?」
「生きる」
「ざっくりですね」
実際にそれくらいでやっていってそうだから恐ろしいのだが……
「大学って、どうやって決めましたか?」
「ずばり、学力のちょうどいいところ」
「やりたいこととかではなく?」
「あんまりはっきりしなかったからね。好きな教科を使って受験できるところみたいな。もしかしてテラくん、悩んでる?」
「実は……」
思いっきり悩んでいた。そろそろ進路調査書に『進学』とだけ書くのは先生から圧力を掛けられるお年頃なのだ。学部か、適当な大学名ぐらいは決めないと。
「うーん。別に、T京大学理Ⅲって書いとけばいいんじゃない?」
「なぜに日本最難関を」
「ぶっちゃけ、先生は喜ぶんじゃないかなって」
「だいぶぶっちゃけましたね」
「周りの人が喜ぶようにっていうのも、けっこう大事だからね。気に入られると、OGとして戻ったときに優遇されるよ」
一理はあるが……どうもしっくりこない。あずみの言っていることは正しいのだろうし、実際、大学選びなんてそんなふうに捉えている人も少なくはないのだろう。
「書いたから受からなきゃいけないわけじゃないし……友達はハーバードって書いてたなぁ」
「受かったんですか?」
「日本の大学にね」
なんという詐欺だ。
すべての準備が終わって、手を合わせて食事を始める。一時的に話題は流れたが、一通り「美味しい、さすがテラくん」と褒め終わると、あずみは思い出したように手を打った。
「大学のことと言えば大学生だよね。もっといろんなサンプルがあったらいいのかも」
「サンプル……といいますと?」
「今度、私の友達と会う?」
「雪村さんの友達、ですか?」
疑問符合戦になってしまうくらい、唐突なことだった。しかし、もっといろいろな意見を聞いてみるというのはいいかもしれない。
「うん。じゃあ、今度の木曜日なんてどうかな」
「空いてます」
「友達も誘っていいよ。大人数のほうが楽しいからね」
「……楽しい?」
「うん。楽しいんだよ」
なにを企んでいるのかは知らないが、聞いてもはぐらかされてしまった。よくわからないが、取りあえず颯太と葉月でも誘うかと決めて、正史は頷いておいた。
※
颯太を誘う電話。
「は? 女子大生の友達が来るとか、行くに決まってるだろ」
二つ返事で承諾を得ることができた。
葉月を誘う電話。
「え、……なにをするかわからない? 大丈夫? 危ない薬とかじゃないの?」
「そんなわけないだろ」
「ここまでの流れは薬に繋げるための壮大な前振りだった……とか」
「氷室はキャンセルな」
「行くに決まってるでしょう? 大学生の遊び、楽しそうじゃない」
「えぇ……」
よくわからないが、乗り気らしい。念のため颯太がいることを伝えておくと、
「途中で処理してから行くわ」
「返り血は落としてこいよ」
という運びになった。
※
かくしてやってきた木曜日。集合場所は正史の家の前。
既にライフが半分くらいになっている颯太を引きずって、葉月がやってきた。ここにくるまでになにがあったのか、知りたいような知りたくないような。
「おっすー」
「おはよう寺岡くん。この辺りのゴミ収集所はどこ?」
「木曜日は紙の日だから出せないんだ」
「流れるように人をゴミ扱いするな」
ぱんぱんと服のしわを伸ばして、颯太が姿勢を取り戻す。今日はいつにもましてお洒落というか、気合いが入っていた。
「先に言っておくが、大学生とお近づきになるために俺は来た」
「不潔な」
「男子高校生としては当たり前なんだよ! みんな、性に飢えてんの! なあ、正史!?」
「よくわからんがやっていいぞ、氷室」
待機姿勢だった葉月にゴーサインを出すと、ぎゃぁぁああ、と悲鳴が上がった。なにが起こったかは、あえて描写はしない。
階段を降りる音がしたのは、その時だった。
「ごめーん、遅くなった」
「あ、おはようございます……」
挨拶したところでスタンする正史。未だにあずみの私服姿を見ると時々フリーズが入る。最近慣れてきたと思ったのに、今日のはダメだった。
水色のブラウスに、白のミニスカート。つばの広い帽子。長くてすらっとした脚を惜しげもなくさらしているが、帽子や他の場所が清楚にまとまっているから、上品な雰囲気だ。
なんというか、大人だった。
「うわぁ……すっげえ美人」
颯太はぽかんとして本音を漏らし、葉月に耳を引っ張られていた。「なぜっ!」悲鳴が響くが、それすらも正史には届かない。
「どう、かな?」
髪の毛をくるりと指に絡めて、あずみが首を傾げる。もちろん、聞く相手は正史だ。
「ええと……すごい、似合ってると思います」
「よかったぁ」
心底嬉しそうにするものだから、それだけで立っているのが困難になりそうだ。近くにあった壁に手をつき、どうにかこらえる正史。
このままではいけないと、話しを振る。
「それで、お友達というのは?」
「あっ、今来たよ」
後ろから聞こえたのは、自動車の排気音。
「え?」
予想だにしない登場に、正史は驚きを隠せない。
「えっと……どこか行くんですか?」
「海!」
「………………え?」