1 しっかり者、なまけ者を拾う
いつか結婚するのなら、きちんとした人がいい――そう、しっかり者の寺岡正史は思う。
※ ※ ※
雨の強い夜だった。
年に何度か降る、やたらと激しいやつだ。ゲリラ豪雨と言うのがしっくりくるけれど、この雨は2時間経ってもやむ気配がない。
正史がびしょ濡れになってアパートに戻ってきた原因は、想像以上の長雨だ。
水の滴る髪を振って、抱えてきたカバンが濡れていないことを確認する。制服を絞ると、濡れ雑巾くらいにボタボタ水が落ちて萎えた。早く風呂に入って洗濯機を回して、乾燥させなければ。
早足で階段を登って、3階に到着。
そこで、正史の足はぴたりと止まった。
「……なんだ、あれ」
廊下の真ん中に特大雑巾が敷かれている。
いや、あれはそうじゃない。見れば小さく上下している。呼吸のリズム。間違いない、人間だ。
白くてやたらと長いその服が白衣だと、気がつくのに時間がかかったのも無理はない。なぜならここはアパートの廊下であって、実験室ではないからだ。
しかも倒れているのは正史の部屋の前ときた。
それに元々、こういう状態の人を見逃すことができる性格ではない。正史は近寄って、肩を揺すってみる。
「あの、……もしもし、生きてますかー?」
「観測されるまでその可能性は不確定だよ」
「会話できたので確定ですね」
「へくちっ」
生きてはいたがくしゃみが出た。
女の人はうずくまると、小さくなって体を震わせた。体温が下がっているのか、顔が青い。
「部屋、戻らないんですか?」
「戻らないんじゃなくて、戻れないんだよ。ここから2メートル先にある部屋に戻るだけなら、ナマケモノにだってできるんだよ」
「いや、わからないですけど」
「鍵をなくしたんだよ」
なおも寒そうにする女性。
「ああ、雪村さんですか」
さっきの会話から、彼女が隣人であることを知った。引っ越してきたときも挨拶しなかったし、生活周期が違うのか、会うのは初めてだ。
「えっと、友達に助けてもらうというのはどうでしょう」
「この雨で誰も来てくれない。っていうか携帯、水没しちゃった」
「うわぁ」
目も当てられない惨状というやつだった。
こうしている間も、雪村はどんどん具合悪そうになっていく。このままでは風邪を引くかもしれない。いや、もうとっくに引いていて、悪化するかも。
そう考えたら、自然と口は動いていた。
「じゃあ、うちに来ますか? ちょうどゼロメートルのところにドア、ありますし」
「いいの?」
「いいもなにも、このまま放っておいたら死ぬでしょう」
「死ぬってどんな状態なんだろうね」
「好奇心覗かせないでください」
家の鍵を開けて、ドアを開く。ばったりと倒れた雪村に手を伸ばし、
「立てますか?」
「人類を代表して立つよ」
「なんて迷惑なチャレンジ精神」
巻き込まれる70億人の気持ちにもなってほしい。案の定、ちっとも立てていないし。
「ほら、手、貸しますから」
「ん、ありがとう」
触れ合った手が、やたらと熱い。
「熱ありますね……しかも相当」
正史は顔をしかめ、手を貸しても立ち上がれない雪村を見つめる。息苦しそうな呼吸に、不健康な目の下のクマ。
「ほんとに死にそうじゃないですか……」
ため息を一つついて、首の下と膝の下に手を入れ、持ち上げる。いわゆるお姫様抱っこというやつだが、雪村はぐったりしていて、遠目から見れば土葬にしか見えない。
「ごめんね、初対面なのに」
「いやもう、反省したほうがいいと思いますよ。初対面ですけど」
いちおう、周りに人目がないことを確認してから、正史は家に入った。
名前しか知らない、女性を抱きかかえて。
※ ※ ※
いつか結婚するのなら、ゆる〜い人が絶対にいい――そう、なまけ者の雪村あずみは思う。