オールドコンピュータ
四人が男の元へたどり着くと地面から三人分の椅子が生えてきた。
「どうぞを座りください。」
アイは客人もてなす様に笑顔で着席を促した。
三人は躊躇いながらも男と向かい合う様な形で椅子に腰かけた。
直実は押してきた赤ん坊のベットを横につけて席に着いた。
全員の着席を確認しアイが後ろに下がると男は立ち上がり静かに口を開いた。
「はじめまして。私の名前は扇眞仁。当施設、日本IPCに存在する一万人の人格の長を務めております。以後お見知り置きを…。」
お辞儀をすると眞仁は席に着いた。
IPCとは21世紀の終わりにオールドコンピューターが作られた当初の名称で、眞仁はその時代に存在した日本人一万人の有志を募り、人格と記憶をオールドコンピュータ内にインプットしたのだ。
眞仁の名を聞いた直後、龍牙は勢いよく立ち上がり物々しい足取りで勢いよく眞仁の前に立ちはだかった。
「おい!彼は君の赤ん坊を救ってくれるかも知れないのだぞ!下手な真似はよせ!!」
飛鳥の制止も聞かず、龍牙は素早く身体を前傾させ右手を眞仁に突き出した。
「握手して下さい!」
止めに入った飛鳥は勢いよくずっこけた。
「私のこの身体もアイの物と同じ実際の肉体ではないが…。」
「大丈夫です!よく分かってないですけど大丈夫です!」
「そうかい、はいどうぞ…。」
眞仁は少し目を見開いてから、おずおずと握手に応じた。
「何故…。」
「あぁ龍牙くん武道家でもあるけど、日本史の名誉教授もやってますから…」
「何故だ!あんなに馬鹿な龍牙が名誉教授教授だと?」
「飛鳥、さっきも言いましたけど龍牙くんは偏りがあるけど知識は有りますから。喋り方が馬鹿っぽいし文系脳の典型みたいな人ですから科学者の我々からは頭が悪い様に誤解されがちですけど。」
後ろで貶されていたのを知ってか知らずかホクホク顔で席に戻ってきた。
「嬉しそうだね?」
直実が尋ねると本当に嬉しそうな顔で龍牙は語った。
「もし仮に、聖徳太子や織田信長、西郷隆盛と並んで会えたら是非握手したいと思うだろ?」
「あぁ成る程。握手できて良かったね。」
「ありがとう!」
オールドコンピュータはかつて30基存在した、世界恐慌と世界規模の飢饉を打開すべく産み出されたコンピュータの一つである。
扇眞仁は日本IPC、このオールドコンピュータの建造計画の実行者として歴史に名を残す偉人の一人である。
日本史に造詣の深い龍牙が興奮するのも無理からぬ話ではある。
そんな当事者である眞仁は手を叩き場を沈めた。
「さて、そんな風に言われては私がむず痒い。雑談はそこまでにして本題に入ろう。」
その場にいる全員の顔が一気に張り詰め、場の空気に緊張が走る。
眞仁は全員の目を見て頷き口を開いた。
「君たちの要望は既に把握している。そちらにいる赤ん坊を目覚めさせて欲しいのだろう?」
直実と龍牙は深く頷く。
無脳症の治療は施され、大脳は既に培養技術で作り出され縫合済みである。
ただ、意識が戻らない。
同じ様な事例はこの百年で世界に僅か二例程しか存在せず、研究も進められない状態で治療は困難である。
そう、今の人類の科学では……。
「結論から言おう。通常の方法でこの子を目覚めさせるすべは無い。」
「なっ!?」
「何を言ってるんですか!」
龍牙が言葉に詰まり、直実は勢いよく立ち上がって激昂した。
飛鳥は手で其れを制止した。
「落ち着け直実…。通常の方法ではと彼は言ったんだ。ならば普通で無い方法ならある。そういう事だろう?」
眞仁はゆっくり頷き話を続けた。
「本来人は胎内で脳が作り出され成長する段階で既に薄弱ながら意識があるものだ。少ないながら五歳までの幼児に胎内での記憶が存在する者もいるのがその証拠だ。」
眞仁はそう言って右手を挙げた。
「あっ……。」
するとアイが赤ん坊のベットを押して四人の間、中央へと移動させた。
直実が止めようとするもその間も無くベットは移動を止めた。
「逆に考えれば『脳と意識が胎内で育まれなかった場合、赤ん坊は目覚める事ができないのでは無いか?』と考えることも出来る。」
眞仁はベットに横たわる赤ん坊を覗き込む。
その姿は複数のチューブや線に繋がれて痛々しい物である。
「スピリチュアルな言い方をすれば、この子の魂が君の子宮で育まれず宿らなかったという事だ。だから脳があっても彼は目覚める事ができない。」
直美の顔はまた徐々に暗いものへと変わり涙を浮かべる。
眞仁も暗い顔となり言いづらくとも静かに残酷な現実を告げる。
「……ここに彼はいない。」
直美は再び大声で泣き出した。
自分が病院へ行き、胎内にいる段階で無脳症の治療を行っていれば彼が目覚めていたという事を改めて思い知らされたからだ。
自分が我が子を殺したと、そうも思ったのだ。
龍牙は直実の肩を抱き眞仁を睨みつけた。
眞仁はその視線を受け止めて再び口を開いた。
「さて、そこで君達に提案だ。」
「提案?」
「うむ…。」
それを聞き直実は肩をひくつかせながらも前を見た。
「ぐす…どの様な内容ですか?」
「彼に自我は無い。ならば別の所から持って来ればいい。」
「え?」
「??」
直実は理解して声を漏らしたが、龍牙は案の定首を傾げた。
見兼ねた飛鳥が眞仁に確認する。
「赤ん坊に別の人間の人格を宿らせるという事か?」
「その通り。」
龍牙は理解して頷いたが、そこで湧き上がるある疑問を口にした。
「何処から?」
「うむ…或いは誰から持ってくるのか。当然の疑問だ。極論だが、君達も既に成熟しきったヨボヨボの老人の人格や、欲や悪意に汚れた罪人の人格を宿らせるのは嫌だろう。」
龍牙は深々と頷いた。
「そして赤ん坊が自分以外の子供であるという意思を持って育てる事も避けたいところでもあるはずだ。攫ってきた子供の人格を植え付けられでもすれば子供の顔を見るたびに他人の親の顔を意識する事になる。」
直実も頷いた。
そもそも元からの人格でないのだ。そこは意識したくないだろう。
「全ての問題を解決するわけではないが、今言った問題をある程度解決する方法として、我々が作り出した新たな人格を宿す。これが私の提案だ。」
「おぉ〜!」
「ちょっと待て!ちょっと待て!」
龍牙が感心して声を上げるが飛鳥がそれを遮った。
直美も少し疑問を残している様子だった。
「新たに作り出した人格とはどう言う意味だ?お前たちが作り出したAIをこの赤ん坊に宿らせる気か?」
「AIではない。そもそも我々の人格というのは二千年以上前に存在した一万人の日本人の人格をトレースしたもの。その方法はいくつかの段階に分かれる。」
「段階?」
「手順といってもいい。まずはデータ上に人間の肉体と脳を含めた神経活動をインプットする。次にその人物の脳内に構築された神経回路を再現する。個々人で神経回路の違いがあるからね。更にその神経回路の細かな挙動も再現し最後に記憶を書き込み人格のトレースは完了する。」
それを聞いた飛鳥は好奇心に駆られたが更にまくし立てた。
「なるほど只のAIでは無いのだろう。だが、お前は新たに作ったと言ったのだ。通常の人格でないのは明白だ!」
「彼女を見たまえ。」
眞仁は三人の後ろにいるアイをさした。
「彼女は我々が作り出した人格の一人だが、先程もごく自然に会話ができていただろう?更に我々には一万人分の人格モデルがある。新たに作るのは難しい事でもない。」
「難しくなくても実在しないのなら問題じゃないか?お前たちの中の一万人から宿らせる訳には行かないのか?」
「我々は当時、全員が既に成人していた。あれから二千年の時も過ぎて成熟しきっている上に、今更データ上から脱出したいと思うものも存在しない。」
飛鳥は息を呑み姿勢を正して、本音を語った。
「許されないんだ。それをすれば貴様らコンピュータどもの世界侵攻を許すことになる。我々日本日本グリスは君達の一部でも外に出ることは許さない!……決して。」
眞仁は飛鳥を見据えてその言葉を聞いていた。
「君達、日本グリス…国際公益財団法人日本グレゴリウスはそもそも国外の勢力だ。口出しは無用。それに…」
眞仁は少し皮肉げに笑って言った。
「君達に我々を止められるのかい?」
飛鳥は歯をくいしばる。
その様子は明らかに不可能であると言うことを肯定してしまっていた。
日本グリスは現代の天才達が集まる組織ではある。
しかし彼らの科学力は現代の常識を少し超える程度の範疇でしかない。
現代の人類は第四次世界大戦時に科学文明がリセットしている。
日本も大きな後退を強いられた。
その後の科学の発展もコンピュータやAIの使用は大きく制限され遅々としており、現代の世界の科学力は24世紀前後と変わらないぐらいと言われている。
しかし彼らオールドコンピュータはその様な制限を一切気にせず、リセットや後退も起きずに凄まじい速度で発展を続けてきた。
今の彼らの科学力は未知の領域なのである。
戦国時代の十万のサムライと核の一撃でどちらが怖いか。
科学技術の違いは兵力差をいとも簡単に覆す。
オールドコンピュータの彼らが本気になれば、世界に止めるすべは無いのだ。
ふと見ると、眞仁はいつのまにか先程見せた皮肉げな表情から穏やかな表情に戻っていた。
「安心しなさい。今日私は君達と交渉に来たのだ。乗るも反るも赤ん坊の両親であるこの二人次第だ。」
それを聞いた途端、飛鳥は説得の対象を直実と龍牙に切り替えてまくし立てた。
「植村直実、断るんだ!人類のため、ひいては世界の為。我々日本グリスの義務を全うするんだ!」
直実は暫く俯いて考え、赤ん坊の方を見て答えた。
「私、この子が生まれて来るまで赤ん坊を研究対象か実験体としか思っていなかった。只の知的好奇心を満たす為の道具だった。だけど登山の途中、山頂付近でお腹が痛くなった時もの凄く嬉しかった。それでいざ産まれてきて頭が無くて死にかけてるこの子のを見た時凄く悲しかった。」
「な、何を言って…」
「私、自分の子供が可愛くて仕方ないの!」
そう言って飛鳥を見る直美の目からは、また大粒の涙が流れ出ていた。
「私にはこの子を殺す様な選択は出来ない……。絶対に出来ないよぉ!!!」
そう言うと叫ぶ様にまた泣き始めた。
飛鳥は感情的になっている直実よりまだ説得の余地がある龍牙に頼み込んだ。
「星岡龍牙、何とか言ってくれ!事は世界を揺るがす問題だ。地上にこいつらの脅威が一部でも曝露すれば人類が滅亡しかねない。拒絶して止めてくれ!」
龍牙は腕を組み、目を閉じて沈黙した。
通常時、彼は大抵の問題は間髪入れず即答できる。
既に自分の中の答えが決まっており後は覚悟するだけであるというように選択の本質を理解しているからである。
彼にとってこの沈黙は覚悟の時間である。
そして龍牙は目を見開き力強い眼差しで飛鳥を見た。
「悪いな飛鳥、その要求は受け入れられない。」
「〜〜〜!?何故だ!」
「まず俺はそもそも日本グリスを信用していない。俺たちの一族が超能力に対する抵抗力が有ると言う理由で管理下に置き、生殖や恋愛のみならず、衣食住や社会活動まで制限されている。叔父は力がなかったから自由にやっているが、親父は死に際に『無念だ』とはっきり言っていた。俺の中では反感の方が大きい。」
明確な拒絶であった。
龍牙が説得に応じる人種では無いと飛鳥は分かっていたがここで諦める訳にはいかなかった。
人類の未来をこんな言葉の応酬で諦める事は出来ない。
飛鳥は怒鳴ると言うよりは叫ぶ様にまくし立てた。
「人類がどうなっても良いのか!?そんな個人的な怨みの為に世界を犠牲にするのか?」
「………お前らは日本を救わなかったじゃないか?」
「!!!」
龍牙が冷たく言い放った言葉には殺気すら混じっていた。
飛鳥は恐怖で言葉を失い、足が立たなくなり尻餅をついてしまった。
日本グリスの役目は国家間の政争や紛争に介入して解決する事でなく、超能力者や超常的性質の物、場所、生物を管理して人類の社会や歴史に出来るだけ影響を与えない事である。
皇国政府は協力的ではあったがそれで贔屓したりする事はなく、一国の興亡に介入する事は殆ど無い。
だが龍牙にはそれが赦せなかった。
日本の現在の人口は7800万人。
国家の最大人口が大きく制限される現在、この数は決して少ないものではなかった。
更に日本は自国の利益の為でもあるが、海外の怪しい勢力である日本グリスを受け入れ協力も惜しまなかった。
一方で日本日本グリスは日本の戦争に際しての協力要請や、部分的な情報共有を無視して放置した。
日本グリスにはその義務はない。
国家の枠組みを超えた存在であり平等を喫する為という名目で日本を切り捨てた___そう解釈されても仕様がない。
事実今回飛鳥がここを訪れたのは、日本の滅亡に際してオールドコンピュータがどの様な振る舞いを見せるかの確認でもあったのだ。
飛鳥はここに来て確信していた。
オールドコンピュータは故国日本が滅びれば日本グリスや人類に反旗を翻すと。
「させない…。お前たちの思い通りにはならんぞ!」
よろよろと立ち上がり懐から筒状の缶の様な金属物体を取り出した。
「EMP(電磁パルス)発生装置だ貴様ら全員、強制停止させてやる!」