救国の魔女と新たな求婚
「ふーん」
屋台に移動して腰を落ち着けた私はアレスに退席にまつわる協会の反応を話して聞かせた。アレスは面白くなさそうな顔をして、ため息と共に声を出す。
「まあそういう反応になるだろうとは思ってたけどな」
「わかってたの?」
「だってライラは英雄だぞ? 国が一目置いてる魔術師は協会にとっても利用価値があるだろ。そんなライラを『はい、そうですか』って退席させるはずない」
「そんなぁ」
アレスは私が協会を退席することを喜んでくれたように思っていたので、何となく裏切られた気分になる。
「んな顔すんな」
そんな私の頭をアレスはわしゃわしゃと撫でた。
「それでもライラを協会のない田舎に連れ出そうとしてるのは俺だ。ちゃんと俺も背負う覚悟でいるから」
「アレス……」
アレスはすべてわかった上で今日も飲みに誘ってくれたんだとわかる。きっと私がアレスに相談するつもりがなかったことも予見して。
「ライラの覚悟は固いんだって主張し続けるだけじゃなくて、他にも手を打たなきゃな……」
「他に、って?」
「いくら自由結婚が認められてるって言ってもライラほどになるとなかなかな。だから、ウォルカでライラが必要な理由を婚姻以外でも考えておく必要があるかなってさ」
「私が必要な理由……」
私は炎の魔術が得意な魔術師で、それ以上の価値は何もない。私がアレスの故郷で必要とされる理由なんて何も──。
そう不安が頭をもたげると、その思考を遮るかのようにアレスに再び頭を撫でられる。
「その辺は俺が考えておくから安心しとけ。決まったらちゃんと報告するよ」
「でも……そんな迷惑を……」
アレスはもう1月で王都を離れる身だ。小隊長を務めていたのだから、きっとやることも多いだろう。そんな多忙な中で私のことにまで手間を取らせるかと思うと気が引ける。
そもそも私はアレスの好意に甘えてウォルカにお邪魔させてもらう身だ。アレスには婚約のことでも迷惑をかけているのに。
申し訳無さでモヤモヤとしていると、アレスの顔が近づいて間近でニッと微笑まれる。
「俺が好きでやってることだから気にすんな。俺は自分のためにライラをウォルカに連れて帰りたいんだからな」
声を潜めてそう言われるとドキリと胸の鼓動が早まった。アレスはそんな私の様子を楽しむかのように目を細める。
「もしかしたら早めに婚約届を出すことになるかもしれねえが、そこは勘弁してくれな。前も言った通り嫌だったら破棄してくれていいんだから」
「う、うん……」
いつもは冗談ばかり言うアレスが本気のトーンでそんなことを言うと調子が狂う。顔が赤くなってしまいそうなのに気がつかれたくなくて「じゃあよろしくね」と話を切り上げると、ようやく顔を離してくれる。
「そういうことだからライラも何かあったらすぐに相談しろよ? とりあえず明日も協会に迎えに行く。お前を一人にしておくのは危ないからな」
アレスにそう言われて私は頷くことしかできなかった。
翌日も私は協会にいて戦争中の出来事をまとめているのだが、どこか集中できずにいた。昨夜アレスに言われたことが引っかかっていたのだ。
「ウォルカに行く理由、か……」
私が救国の魔女と呼ばれるようになったせいで協会を容易に退席できない事態となっているのだが、一日経って考えるとそれは私自身にも原因があるのではないかと思われた。
今の私は戦争が終わった後のことなんてこれっぽっちも考えていなかったにも関わらず、漠然と協会にはいたくないと退席を申し出ている状態だ。ウォルカに行こうと決めたのも信頼できるアレスが誘ってくれたからに過ぎない。
したくないことばかりが思い浮かぶけれど、したいことは何一つ思い浮かばない。そんな空っぽな自分を突きつけられたようで、気は重くなるばかりだった。
「ダメだ……」
私は筆を置いて立ち上がる。さっきから書類もまったく進んでいない。このままでは効率が悪いので、今日はもうやめようと決めて荷物を掴んだ。
アレスが夕方に協会まで迎えに来てくれる約束になっているので、それまでどこかで時間を潰そう、と部屋を出た。魔術師協会の廊下は薄暗く、長い。
そんな廊下をとぼとぼと歩いてくると、目の前から会いたくない人がこちらに進んできているのに気がついた。シェストン室長だ。
気がつかれないといいな、と顔を下げて歩くけれど、足音が大きく聞こえてきた頃に「ライラ」と、呼び止められてしまった。
「……はい」
上司に呼び止められて無視するわけにもいかない。私は顔は上げないまま返事をして立ち止まった。
「今日は退席届けを取り下げに協会に来たのですか?」
「……いいえ、違います」
「そうですか」
早速先制攻撃を受けて怯みそうになる。だけど協会を退席したい気持ちは変わらない。私が否定すると、シェストン室長は冷たい声で続ける。
「昨日会った田舎の領主と結婚する、と言いましたか」
「……はい」
「馬鹿なことを。恋だ愛だなどという一時の感情に惑わされるとは」
シェストン室長は侮蔑の感情を隠さずに声に乗せた。アレスの大切な故郷を“田舎”と悪く言われたことにムッとして思わず顔を上げると、予想以上に冷たい表情が私を見下ろしている。それは身震いするほどに冷え切った瞳だ。
「そんなに結婚がしたいのでしたら、わかりました。それでは私と結婚しましょう」
「……は?」
そんな冷たい瞳のまま告げられた言葉が信じられなくて、私は思わず聞き返した。
「私が貴女と結婚してあげましょう、と言ったのです」
しかしシェストン室長は私の耳がおかしな聞き間違いをしたのではないと言うように同じ言葉を繰り返す。
「私がシェストン室長と結婚、ですか……?」
「ええ。幸いにも私は独身で、結婚するような予定もなかったのでね。貴女が望むなら式も挙げましょう。子供がほしいなら作ってもいい。そして共にこの協会で働き続けましょう」
「な……っ!?」
シェストン室長の言わんとしていることが理解できると、途端に身体に血が上る。この人は私を協会へ留めるために結婚すると言い出したのだ。
「すみません、シェストン室長。私にはアレスという男性が……」
「所詮は婚約者でしょう? 婚約など破棄すればいい。私と貴女の子供なら魔力量も豊富な子供が生まれてくるでしょうから、協会のためにもいいかもしれませんね」
私は言葉を失ってしまった。シェストン室長は私がただ結婚して子供がほしいだけで、アレスと一緒になろうと思っているのだ。この人に『愛』という言葉はない、とわかって怒りを通り越して呆れてしまう。
「も、申し訳ありませんが、シェストン室長の……」
「ニコールと呼びなさい。結婚するのですから」
シェストン室長がニヤリと口だけで笑うのを見て本格的に身体が震えてきた。人には気持ちがないように一方的に話を進める、なんて冷たく自分勝手な人なのだろう。
「すぐにでも婚約届を用意しましょう。貴女が望むならドレスや……」
「シェストン室長」
私は強調するように今までと同じように名前を呼び、シェストン室長の話を遮る。失礼だとは思ったが、怒りでそれどころではなかった。
「私はシェストン室長と結婚もしませんし、協会にも残りません! 失礼致します!」
このままだと怒りにかまけて身の内の炎が魔術となって外に出てきてしまいそうだ。私は強引に話を終わらせてシェストン室長の横をすり抜けて廊下を歩き出す。
後ろから「また話そう」と、まったく懲りていない声が聞こえた気がしたが、気にしないことにして、ずんずんと音を立てながら廊下を歩いていった。