救国の魔女の固い決意
翌日も私は魔術師協会にいた。“退席届”を片手に。それを派遣魔術師を束ねる魔術師長に手渡すと、表情が険しくなる。
「君は……何を考えているんだ!?」
魔術師長は思わず周りが振り返るほどの剣幕で怒鳴った。
「“救国の魔女”になったんだぞ、君は! “魔女”でありながら出世できるチャンスを掴んだというのに……」
ああ、また“魔女”か。私は急に冷めた気持ちになる。この魔術師協会の人達は変わったようで何も変わっていない。
「すみませんがもう決めたことなので」
平坦な声で告げると師長は侮蔑の表情を隠さずに浮かべた。
「国から君を兵士として派遣し続け、ゆくゆくは宮廷魔術師に……なんていう話も来ている。そうじゃなくても利用したがる貴族達から次々連絡が来ているというのに! 我々の迷惑を考えたか!? 少し頭を冷やせ!」
自分のことしか考えない物言いに怒りは湧いてこない。あるのは呆れだけだった。頭に血が昇った人に何を言っても無駄だと、私は一礼してその場を去った。
思ったより退席に苦労しそうだとわかって気が重くなる。けれど昨日さんざん悩んだことが嘘のように私の意思は固かった。
辞めると決めてしまえば、私は協会に未練がないらしい。魔術に関わることは好きだけれど、ここでなくともそれはできる。
協会に来たのは私の居場所がここにしかなかったからだ。安心できる人が居場所を提供してくれると言うのだから、私がここにいる理由はなかった。
(でもアレスに師長の反応は言えないなあ)
協会の廊下を歩きながら一人苦笑する。相談すれば親身になって聞いてくれるとは思うけれど、お人好しのアレスのことだ。きっと自分も何かすると言い出すだろう。
アレスは辺境伯様で、魔術師協会とは何の関わりもない。これは私の問題なのだから、私が解決しなければ。
その日私は協会の中で引き継ぎのための資料をまとめ始めた。と、言っても派遣されていた私にできることは少ない。やらなければならないことのほとんどは戦争の時の記録を残しておくことだけだ。
国の方針で、次の戦争の時に役立つように記録をつけることを求められている。戦場にいた時はそんな余裕もなかったので、3年分の記録をまとめる必要があった。
もはやうろ覚えな部分もあり、日記のようになってしまうところもあるが、後世の何か役に立つのならありがたい。私は四苦八苦しながら文字と格闘し、それらを少しづつ進めていった。
時間が来て私は席を立つ。今日もアレスと約束がある。何でも王都に夜だけ開く屋台のお店ができたらしく、そこの料理が高級ではないがお酒によく合って美味しいらしい。昨夜の帰りに明日も飲みたいからと誘われたのだ。
師長の反応で嫌な気持ちにはなったけれど、こうして仕事後の楽しみがあるのは嬉しい。私は浮足立った気持ちで協会を出る。
「アレス!」
約束の時間の少し前だったはずなのに、アレスは既にそこで立って待っていた。私の呼びかけに気がつくと片手を挙げて答える。
「よ! お疲れさん」
「早かったね」
「そうか?」
アレスはまったく意に介さない様子で首を傾げた。私に気を遣わせないようにしているのか、それとも大雑把な性格だからか。とにかく気にしていないことがわかって私の気も楽になる。
「それじゃ、行くか。腹は減ってるか?」
「うん、バッチリだよ! 喉も乾いてるよ!」
「いいねえ」
そんな話をしながら並んで歩き始めた時──
「ライラ」
後ろから呼び止められた。これって昨日も……と、嫌な予感を覚えながら振り返ると、案の定そこに立っていたのはシェストン室長だ。
「昨日の返事を直接聞いていなかったのに、さっき君の上司から変な話を聞きましたよ」
シェストン室長は冷たい表情のまま私に近づいてくる。近づいただけで温度が下がるように感じるくらいの冷酷さだ。
「君が協会に退席届を出そうとしたとか。笑えない冗談を言うものですね」
「それは……」
口の軽い上司を呪いつつ、私はゴクリと唾を飲み込む。この目の前の冷酷魔術師は怖いけれど、私の意思を変えるつもりもない。逃げるわけにはいかないのだ。
「本当のことです。私は魔術師協会から退席します」
意を決して言ったのに、シェストン室長は表情一つ変えない。一つ息を吐き出すと目だけを私の隣に向けた。
「それはそこの男が関係しているのですか?」
「どうもはじめまして。ライラの上司の方ですか?」
一歩前へ出たアレスはシェストン室長の冷酷な表情に怯む様子もなく、むしろ挑むように言う。シェストン室長は口を開かずにアレスをジロリと睨んだ。
「俺はライラの婚約者のアレス・アーノルドです。ライラは王都を出て俺の領地であるウォルカに向かいますので、残念ながら魔術師協会からは退席することになります」
「ウォルカ……協会もない田舎か」
シェストン室長が吐き捨てるように言った言葉にアレスの殺気が増す。一触即発の空気にどうしたものかと冷や汗を流していると、シェストン室長が一歩下がって視線を私に向けた。
「帰るところを呼び止めてすみませんでした。また話しましょう」
アレスには視線を向けないままそう言うと、シェストン室長は私の反応も見ずにくるりと背を向けて協会へと戻って行ってしまう。私の退席に納得した様子ではなかったのが気がかりだったけれど、ひとまずこの場は落ち着いてホッとする。
……のもつかの間。
「んだ、あいつは」
殺気を保ったままアレスが隣で言う。明らかに怒った様子に私は苦笑するしかなかった。
「いやぁ……」
「話は後で聞かせてもらうからな?」
話すつもりのなかった私の退席について、アレスに話さざるを得ない状況になってしまい、私は嘆息するのだった。