救国の魔女とこれからのこと
シェストン室長と別れて歩き出した時は腸が煮えくり返るほど腹が立っていたけれど、しばらく経つと私は今後のことを考え始めていた。
私は戦時中に魔術の素養がわかって魔術師協会に入った。それまでは王都に程近い町の孤児院で貧しい暮らしをしていたので、戦場に出ることをわかっていてもそこから出られたことの方が嬉しかった。
魔術師協会に入ると戦場に出るために急ピッチで魔術の訓練をさせられ、1年経ったころに小隊に組み込まれた。そして戦場を生き抜いて、今に至る。
今までの私は流されるままに生きてきたといっても過言ではない。だから今になって将来のことを自分で決められるとわかっても、荒野に一人きりで残されたように途方に暮れてしまう。
もしあの臭い伯爵と結婚するならば、私は魔術師協会を退席することになるだろう。そして貴族として新たな生活を始める。
伯爵夫人。その単語が私に与えられると考えただけで笑ってしまう。孤児の私が伯爵夫人だなんて。
私は育ちがよくないので貴族としてちゃんとやっていけるはずもない。性格的にも大人しく座って「おほほ」と上品にお話をすると考えただけでも寒気がする。
普通に考えたら私の居場所は魔術師協会だ。あのシェストン室長が言ったように、派遣魔術師の大半は協会に戻ることになるだろう。
そうなると魔術執行者になるか、魔術開発室に入るか。出世を考えるなら魔術開発室だ。ただ私はじっと一つの部屋にこもって黙々と仕事をすることが苦手だ。文字の読み書きも完璧ではないし、学術的な魔術の知識もほとんどない。
出世に興味もないので普通に考えれば魔術執行者なのだろうが、それにも魅力を感じていない自分がいた。
言われたままに魔術を使う。国や人々のためになるとわかっていても、そこまで奉仕の気持ちは私にはないし。
魔術師協会を退席するという手もある。魔術師は存在自体が希少なので、個人で稼ぐ人間も少なくない。例えばギルドに登録して依頼を請け負ったり、はたまた店を持って薬草などを売ったり。
そこまで考えて頭が痛くなってきた。どれも可能性のある未来だけれど、しっくりこない気もして。
「はあ」
「悩み事か? ぶつかるぞ」
「ん? うきゃっ!」
ぼふっと温かい何かにぶつかる。見上げるとそこには笑顔のアレスが立っていた。無意識に待ち合わせ場所まで歩いてやってきていたらしい。
「よっ」
アレスはまるで何事もなかったかのように普通だ。私も今まで考え事をしていたので、咄嗟にいつものように「なんだ、アレスか」なんて言ってしまう。
「何だってなんだよ。婚約者様だぞ?」
「うっ……」
そうやってはっきりと言われるとやりにくい。アレスはからかうように目を細めて笑う。
「お前、よくぼんやりしながら歩けるよなあ。今や有名人なんだぞ?」
「ああ……」
ちらりと周囲を見渡すと私のことをチラチラと見ながら歩いている人の姿を見かける。私が救国の魔女だという話は日に日に広まっていっているようだ。
すっと目の前に影が差す。見上げるとアレスが少し立ち位置をずらして、通りの人から私を見えなくしてくれたらしい。
「それじゃあ飲みに行こうぜ!」
「うん」
ちょうど私も飲みたい気分だ。どこかホッとしながら私はアレスと一緒に店に向かった。
私とアレスは路地にある一軒の飲み屋に入った。カウンターに並んで座ってとりあえずお酒を頼んで乾杯。
「はー、旨い!」
「生きてるって感じ!」
私もアレスもお酒が好きだ。二人共強いので、戦場でお酒が手に入った時は最後まで飲んでいる方だった。
適当に食事と追加のお酒を頼むとアレスが頬杖をついて私を見る。
「で? あれからあの臭い伯爵様から何か接触はあったか?」
「ううん、今日は大丈夫。あの人、結構しつこそうだからこれで諦めるとも思えないけど……」
「ふーん、じゃあそのことじゃないのか」
「そのこと、って?」
「さっきぼーっとしてたろ。俺とのことか?」
口に出しにくい話題を自分から振ってくるところがなんともアレスらしい。私は思わず笑いながら首を振った。
「違う違う。これから何しようかなって思っててさ」
「外で飲もうか家で飲もうか?」
「そういうんじゃないって。仕事のこと」
私は追加でやってきたお酒を一口飲んでから続ける。
「私って兵士として派遣されてたけど、たぶん協会に戻ることになるんだよね。これから何の仕事しようかなって」
「ライラ、協会に居続けるのか?」
アレスが意外そうに聞くので私も驚いてしまう。
「何、私が協会にいたら意外?」
「うん」
アレスははっきりと頷く。
「お前、組織にいるようなタイプじゃないだろ。てっきり独立するもんだと思ってたけど」
「独立、かあ」
アレスの言う通り私はどちらかというと縛られるのが苦手で自由にしていたい方だ。
「独立って言っても食べていくのは大変だよ。私、不器用だし」
様々な属性の魔術を器用に発動させられる魔術師ならともかく、私は戦闘でしか役に立たない炎しかまともに発動させられない。この後も戦いの場に身を置くつもりはないし、どう稼げばいいのやら。
「ウォルカに来ればいいだろ」
アレスが当たり前のように言う。
「えっと、だから結婚は……」
「結婚のことは置いておいても、だ。俺の領地にライラが来ることに問題はねえだろ?」
「それは……」
言われてみれば確かにそうだ。戦争も終わって自由なのだから、協会さえやめてしまえばどこへ行ったって構わないはずだった。
「ウォルカは田舎だが、住んでる人間はいいやつばかりだ。昔の遺跡なんかもあって楽しいぜ。屋敷に空きはあるはずだからライラはそこに住んで、のんびりするのもいいし、暇でたまらなくなったら何か仕事を探せばいい」
アレスは魅力的なことを次々と言う。田舎、かあ。
私は田舎というものをちゃんと知らない。戦でルドレス帝国との国境の方へは行ったけれど、基本は砦での暮らしだったので外にはほとんど出ていなかった。
アレスはウォルカのことを楽しげに話してくれる。アレスの表情から、アレス自身がウォルカの土地が好きなのだとわかって、きっといい場所なのだろうと確信できた。
新しい選択肢に目が覚める思いだ。アレスのことは信頼しているし、離れるのは寂しい。一緒に行けたらどんなにいいだろう。今までで一番心が動く。
「私を連れて行って迷惑じゃない?」
「迷惑なもんかよ。住民が増えるのは大歓迎さ」
アレスのいる町で暮らす。心がホッと温かくなる気持ちがする。
「今まで頑張ってきたんだ。ちょっとくらいゆっくりしようぜ。仕事のことはのんびりした後で考えてもいいだろ」
ふと店の外を見る。路地だと言うのに人がせわしなく歩いていく。王都を離れて田舎へ。なんて素敵なんだろう。
「そう、しようかな」
ポロリと口からそんな言葉が飛び出るとアレスが笑みを深めた。
「ああ、一緒に行こうぜ。ウォルカに。ついでに俺と結婚してくれてもいいんだからな」
「うっ……」
アレスは本気か嘘かわからないような調子でそう言う。私は反応に困ってお酒に逃げる。アレスも笑顔のままグラスに入ったお酒を一気に飲み干す。私はまだほとんど飲んでいないというのに、酔った時みたいに頭がほわーんと浮いているようだ。
「さ、今日は飲むぞ!」
私はまだ飲み終わっていないというのに、アレスは次のお酒を注文する。慌てて私もグラスに口をつけて、定まらない表情を誤魔化した。




