救国の魔女と冷酷な魔術師
その日の書類仕事はアレスの手助けもあって捗った。魔術師協会に一時提出できるくらいまで整って、私はアレスと一緒にホッとしながら詰め所を出た。
書類仕事が終わった後はたいていアレスが家まで送ってくれる。朝のように知らない人からジロジロと見られるのが怖いので、アレスが一緒にいてくれると心強い。
歩きながらアレスの顔を盗み見る。昨日は怒ったような顔をしていたのに、今は何事もなかったかのようにいつも通りだ。
元通り喋れてはいるけれど、婚約にまつわる話はまったくしていない。聞きたいことはたくさんあるのに、切り出す勇気はまだ出ないままだ。
「それで今朝は何があったんだ?」
あれから朝のことには触れられていなかった。私も落ち着きを取り戻しているので、言葉を選んで答える。
「あの伯爵様に会ったよ」
「やっぱりか。で? 何だって?」
「昨日の話は本当か? って聞かれた。その……アレスとの婚約の話」
「ふうん。それで何て答えた?」
「……本当だって言ったよ」
アレスの問いかけには絶対に答えなければならないような圧があったのですべて正直に話した。アレスと婚約するという嘘を私も利用してしまったことが申し訳なかったけれど、当のアレスはあっけらかんとしている。
「なに申し訳なさそうな顔してんだよ」
呆れたように笑って額を軽く小突かれた。
「だって……」
「んな深く考えんなよ。俺がいいっつってんだからいいんだよ」
アレスは昨日よりも軽い調子で言う。
「気にせず甘えとけ」
「うん……」
気にするなと繰り返して頭を撫でられる。あまりにいつも通りなので、やっぱり昨日感じた「もしかしてアレスは私のこと……」なんていう考えは勘違いだったんだろう。
アレスは本当に気にしている様子はないので、素直に甘えておけばいいのかもしれないけれどまだモヤモヤとする。私は人に迷惑をかけてばかりでは気持ちが悪いのだ。
「それじゃあ何かお礼させて? なんでもするよ」
「なんでも、ねえ。俺はライラが素直に守られててくれればそれでいいんだけど……それじゃ気が済まないんだよな」
私が深く頷くと、アレスは困ったように笑ってから考え始める。
「そうだなあ……あ、じゃあ明日飲みに付き合えよ!」
「それは構わないけど、それじゃあお礼にならないような気が……」
「なんでもするって言ったのに俺の願いを叶えてくれないのか?」
「もう……わかったよ」
釈然としない気持ちはあるけれど、アレスがそれが良いと言うなら従うだけだ。私もアレスとまた飲みたいと思っていたので快諾する。
「明日は魔術師協会に行くから、その帰りに待ち合わせしよう?」
「了解!」
アレスがニコニコと笑うので、私も朝の不安が嘘のように今まで通りに笑うことができた。
翌日、私は書類を提出してから魔術師協会内にある魔術室に寄っていた。ここは魔術師が魔術を使うための部屋だ。
魔術師は体内に魔力を内包している。それは血のように身体を巡り、溜まっていく。魔力が溜まりすぎると、魔術師は身体に支障をきたす。魔力は本来なら人間の身体には毒にもなる要素だからだ。
だから魔術師は定期的に魔力を体外へと放出する必要がある。どのくらいで許容値を超えるのかは人それぞれだが、私はだいたい10日に1度は魔力を放出しなくてはならない。
部屋に入ると体内の魔力へ意識を集中し、性質を炎へと変化させる。十分に練り上がると私は魔力を外へと排出した。その瞬間、私の身体が炎に包まれる。身体全体に炎をまとうような状態だ。
自分の魔力の性質である炎に包まれると安心できる。考え事にはもってこいの時間だ。
私は炎に包まれた自分の身体を抱きしめながら、初めてアレスに魔力の放出を見られた時のことを思い出していた。小隊結成直後、アレスは私が炎に包まれているところを見て人間が燃えていると思い「大丈夫か!?」と、自分の危険も顧みずに駆け寄ってきたのだ。
慌てて炎を収めて「これは魔力の放出で、私自身は燃えないから」と説明するとアレスは自分を恥じ謝ってくれた。だけど初めて魔術を見た人からしたら当然の反応だと思って、私は「気にしなくていい」と笑ったのだ。
そんな風に誰かが私のことを心配してくれたのは初めてだった。心が温かくなったあの時の気持ちは今でも忘れずに持っている。
思えば私とアレスがまともに話したのはあれが初めてだったかもしれない。ずいぶん昔のようにも、つい最近のことのようにも感じた。
それから3年。私達は戦場で死線をもくぐり抜けて今も生きている。私はアレスを心から信頼しているし、アレスもきっと同じだと信じたい。
そんなアレスと一時的とはいえ婚約することになるなんて考えもしなかった。不思議な気持ちになりながらぼんやりと炎を眺めていた。
魔力の放出を終えると身支度をして足早に魔術師協会を後にする。アレスと飲む約束をしているので、待ち合わせ場所に急がなくては。そうして協会を出て歩き出したところで「ライラ」と落ち着いた声に呼び止められた。
振り返ると魔術師の制服を着た見覚えのない男性が立っている。胸のところについている勲章を見るに、私よりも高位の魔術師であるらしい。
「ニコール・シェストン魔術薬開発室長です」
私を呼び止めた銀髪の男性は聞いてもいないのにそう名乗ってきた。灰色の瞳は冷たく、真顔なのにこれから怒られるのではないかというような迫力があった。
魔術師協会にも様々な組織がある。私のように国の兵士として駆り出される派遣魔術師もいれば、国の要請で自然を守るために魔術を使う魔術執行者、新しい魔術を開発する魔術開発室などがある。名乗った肩書から推測するに、このシェストンさんという方は魔術を注入した薬を開発するところの偉い人のようだ。
「救国の魔女ライラ、君の噂は聞いています。兵士として派遣され、功績を残したそうですね」
「恐縮です」
私は魔術師協会に入ってからすぐに兵士として派遣されたので、魔術師の上司にほとんんど関わったことがない。だからどう接すればいいのかもわからず逃げ腰になりながらも話を聞く。
「して、今後はどうするつもりですか?」
シェストン室長は話しながらどんどん私に迫ってきていて、気がついたら手の届くところにいる。背が高いので見下される形になって、元々威圧的なのがさらに増したようで怖い。
「今後、と言われますと……」
「協会でどの組織に行く予定なんですか?」
苛立ったように尋ねられて身が竦む。丁寧な言葉づかいだけれど、威圧的な口調だ。
「戦争は終わりました。派遣魔術師は大半が協会に戻って来なくては困ります。国は君を兵士として留めておきたいんでしょうが、我々としては戻ってもらいたいと思っています」
戦争が終わってホッとしたところだったので、今後のことまで考えられていなかった。ふと、そういえばアレスも王都を離れるんだったっけ、と思い出して気持ちが沈む。
「もし行き先を決めかねているなら魔術薬開発室に来なさい」
「え……」
「貴方みたいな怖い人がいるところに行きたくありません」と即座に断りたい気持ちを抑えてシェストン室長を見返す。このままでは押し切られてしまう予感がして控えめに口を開く。
「あの、私は炎の魔術師なので、魔術薬開発には向かないかと……」
「蓄えられる魔力量が多いでしょう。側に寄っただけでわかりますよ」
シェストン室長の真っ白な手が伸びてきて、反射的に一歩下がる。魔術師は触れただけで相手の魔力量を正確に図ることができる。それをしようとしたのだと理解はできたけれど、会ったばかりの怖い男性に触れられるのは嫌だった。
私の反応で察してくれたのか、シェストン室長は手を戻す。
「そのくらいの魔力量があればどんな魔術でも使えるはず。戦争中は必要なかったのかもしれませんがね」
魔術師は自分の得意な属性を持っているが、呪文や魔法陣を媒介とすれば別の性質の魔術を発動させることも可能だ。私はほとんどやってこなかったので、できるかどうかはわからないけれど。
「それに炎の魔術が魔法薬にまったく役立たないことはないですから。薬草を煎って性質を変えることも可能ですからね」
「はあ……」
「とにかくこの話、考えておいてください。開発室に入れば出世だって可能です。貴女のように有名人になった人ならなおさらね」
嫌な言い方をされて表情が歪みそうになる。私はそれを必死にこらえた。
「地味だと言われている我々としても、貴女の名前は利用価値があります。例え実際はただの“魔女”であったとしても」
「なっ……!?」
シェストン室長は歪んだ笑いを私に見せた。それが本性だとわかって、私は血の気が引く。
彼が言った“魔女”は英雄を意味する言葉じゃない。戦争前から使われている差別的な意味で、だ。
「貴女にとっても悪い話ではないはずです。よく考えて、いい返事を期待していますよ」
言いたいことだけを言うとシェストン室長は私の前から去っていった。思わず「なんだあの人……」と、呟いてしまったくらい、私のことを下に見ているとしか思えない男だった。