救国の魔女とナンパ男
馬車が王族専用のゲストハウスに到着すると、どこか甘かった雰囲気は一気に霧散した。私は背筋を伸ばしてしっかりと立つ。
保証人を見つけて協会から離れる。今日は勝負の日だ。アレスにエスコートされながら会場へと足を踏み入れた。
会場は独特の熱気に包まれている。入ってきた私達をチラチラと参加者たちが見ているのがわかった。
アレスは周囲に目を配って目的の人物を探しているようだ。どうやら見つけることができたようで「行くぞ」と、耳元で囁かれてその場所へと足を向ける。
そこには数人で歓談中の軍の上司がいた。
「お話中失礼いたします」
「おお、これはこれは! 救国の魔女様じゃあないですか!」
口ひげを蓄えた男性は私を見て大げさなリアクションを取る。そこに嘲りが感じられてあまりいい気分はしないけれど、ここで台無しにするわけにはいかないので我慢した。
「ライラと申します。こちらは婚約者のアレス・アーノルドで……」
「婚約者? 聞いていた話と違うな」
男性はアレスを見て首を傾げる。
「救国の魔女様と婚約するのは魔術師協会のニコール・シェストンだと聞いたのだが」
「なっ……!?」
軍関係者の口からシェストン室長の名前が出たことに動揺した。そのことはアレスにも言っていないのに。
「より強力な魔術師を産み出すため、だなんて言われたら軍も祝福せざるを得ないよ。おまけに救国の魔女を協会に戻す代わりに軍に魔女を10人多く配備させるっていうんだ。軍としては魔術師は多い方がいいからな。例え“魔女”でも」
ははは、と周りも同調するように笑うのを見て寒気がする。軍は私を手放すことを了承した? だとしたら私の保証人には……
同じことを考えたのだろう、アレスは私の手を固く握ったまま「失礼します」と言ってその場を辞した。
「そんな……」
人の少ないところまでやってくると、私は壁にもたれかかってうなだれる。まさか軍と協会の間でそんなやり取りがなされていたと思わなかった。
「あの、アレス……」
私はアレスに謝らなくてはならない。私が変な気を回してアレスにシェストン室長から求婚されたことを伝えていなかったからこうなってしまったのだ。
しかしアレスは私が謝る前にそれを阻止するように私の頬を撫でる。
「俺が心配しないように隠してたんだろ?」
逆にお礼を言ったアレスの顔からは隠しきれない疲れが見て取れた。その無理な笑顔を見ることは素直に糾弾されるよりも苦しい。
アレスも落胆しているのは火を見るよりも明らかだ。それなのに私が落ち込んでしまったから隠している。それが悔しかった。
「何か飲み物でも持ってくる」
そう言ってアレスは私から離れて人混みへ消えていく。その後ろ姿を見ていたら泣きたくなった。
保証人にと当てにしていた軍関係者はどう考えても頼れるような状況ではない。私の知らないところで取り決めが行われていたのだから。このままでは私はアレスと婚約することができない。
その事実がただただ悲しい。目に涙が浮かんできて、私はうつむいてそれを耐える。ここで泣いてはダメだ。わかっていても悲しくてどうしようもなかった。
「こんばんは、お嬢さん」
私の前に影が差して誰かが話しかけてきたようだ。一人にしてほしいのに……と思いながら顔を上げると、ニッコリとどこか胡散臭い笑顔の男性が立っていた。
「素敵なドレスですね。よくお似合いですよ」
男性は息をするように私のことを褒める。背が高く黒髪の男性は、アレスよりも線が細い。腰の位置が私のお腹の辺りにあるくらい足が長く、明るい茶色の瞳はキラキラと私を映していた。
「ありがとうございます」
正直こんな美丈夫に褒められても虚しいだけだ。だけどどこの誰ともわからない男性に失礼があってはならないと、一応お礼を言った。
「髪型も貴女の美しさを際立たせている。とても綺麗です」
終わりにしてほしかったのに、男性は私をさらに褒めてくる。それどころか私に一歩近づいて髪の毛に手を伸ばそうとした。
咄嗟に身を引いてしまってから失礼だったかと私はすぐに謝る。
「す、すみません……」
「いえ、気にしないでください」
男性は気にした様子もなく微笑んだままだ。
「それにしても本当に貴女は綺麗だ。今度改めてお食事でもどうですか?」
「え……ええ?」
「綺麗な貴女を連れていきたい場所があるんです」
それどころか男性は私との距離を詰めながらぐいぐいと誘い文句を口にする。慣れていない私でも、これは口説かれているのではと気がついた。
「あ、あのすみません。私には婚約者が……」
「ボクは気にしませんよ」
婚約者を理由に断ろうとしたのに、ナンパ男は食い下がってくる。って、婚約者がいるのを気にしないってどうなのだろう。
「貴女は魅力的な女性ですから婚約者がいても不思議ではありません。ボクはその辺り気にしませんから、貴女の二番目の男でも」
「えええ……」
とんでもない発言をされている気がする。断っても食い下がってくるナンパ男に困っていると──
「ピューマ!!!」
ナンパ男の後ろから女性の怒ったような声が聞こえてきた。ナンパ男は笑顔のまま固まり、ゆっくりと時間をかけて振り返る。
「やあ、リリィ」
「やあ、じゃないわよ!!」
リリィと呼ばれた女性は明らかに怒っていた。紫色の瞳を釣り上げて燃えるようにナンパ男を睨みつけている。
「私を放って他の女性に声をかけるとはいい度胸ね?」
「挨拶をしていただけだよ、ねえ?」
「は、はあ……」
ここで私に話を振られても困ってしまう。顔を引きつらせているとリリィがツカツカと近寄ってくる。
「貴女もピューマに声をかけられてまんざらでもないんじゃなくて!? この人、顔は良くて物腰は柔らかいんだから!」
「い、いえ、そんな……」
「それじゃあリリィ。ボクは別のところに挨拶をしてくるよ」
「あ、ちょっと……」
「逃げようったって無駄よ? 確かにピューマは魅力的ですけどね? だからと言って貴女には渡せないの」
「え、いや……」
いつの間にかリリィの怒りの矛先が私へと向いていた。当の本人のナンパ男はすすっといなくなってしまったし、これは困ったことになったようだ。説明しようにも口を挟む隙もないのでどうしようかと口をパクパクとさせるしかない。
「ライラ?」
そこへ助け舟がやってきた。アレスだ。
「ア、アレス!!」
これは助かった! と、私はアレスの腕をぎゅっと掴んでリリィに見せつけるようにくっつく。
「私はこの男性と婚約する予定でして……」
「リリアージュ王女?」
「……え?」
アレスが発した言葉に私は唖然とする。リリアージュ王女? その名前は聞いたことがある。キュリア王国の第一王女の?
目の前のリリィは私とアレスをじっと見つめていた。