救国の魔女と作戦会議
「……はあ」
数日後。珍しく休みだった私は届けられていた手紙を見て思わずため息をついてしまった。
差出人はシェストン室長。中には几帳面な字で必要事項が書かれた婚約届だけが入っていた。
「勘弁してよ……」
シェストン室長側の保証人にも、私の側の保証人にもそれぞれ協会の師長の名前が入っている。もちろん私は今見て初めて知ったことだ。
婚約届は私が署名して国に提出さえすれば済むようになっている。今すぐ破り捨ててしまいたいけれど、師長のことを思えば今はそれはできない。
私は逆側の手で家に保管してあるもう一つの婚約届を持つ。そこには大胆な文字でアレスの名前が書かれていて、アレス側の保証人には女性的とも言える綺麗な文字で弟さんの署名が入っている。そこに私の署名も済ませてあって、空いているのは私の保証人欄だけだ。
(ここさえ埋められれば私はアレスと……!)
しばし私の手にある二枚の婚約届を見下ろしてからシェストン室長のものを封筒に、アレスのものを部屋の棚にしまった。どうかアレスとの婚約届を国に提出することができますように。
「よしっ」
私は気合を入れて支度を始める。今日はアレスとパーティに向けて作戦会議をする予定なのだ。
誰に保証人になってもらうか当たりをつけて、顔や個人情報を覚えておく。その話し合いのために私は出かけた。
「お、おじゃま、します」
今日の作戦会議の場所はアレスの家だ。偉い人の個人情報を話すのにいつも使っている飲食店は使えない。誰かに聞かれたら困る話だからだ。
最近は小隊の兵士達も残務処理で詰め所に顔を出すようになったのでそこも使えない。そうなると誰にも邪魔されない場所はアレスの家くらいしかなかったのだ。
アレスは王都に部屋を一部屋借りている。入った瞬間にアレスの匂いがして、まるでアレスが近距離にいるようで急に意識してしまった。
ここへ来るまでは純粋に作戦会議のことだけを考えていた。だけどよく考えたら男性の部屋に入るのははじめてのことで、ましてやこれから婚約しようとする男性の部屋だ。
本当に来てよかったのかわからなくなってきて、急に心臓の鼓動が速くなる。
「適当に座っててくれ。茶でも淹れる」
アレスは詰め所にいる時と変わらない様子で落ち着いていた。私はソファの端に腰を下ろして部屋をぐるりと眺めながら考える。
アレスに婚約を申し込まれてからしばらく経った。はじめは私を臭い伯爵や他の人からの求婚から守るために申し出た嘘だと思った。
でも実際に婚約一歩手前のところまできている。どうしてアレスがそこまでしてくれるのか、私はまだいまいち掴めずにいた。
普通に考えたら面倒見がいいアレスは本当に私を守るために婚約を申し込んでくれただけで、いずれ破棄するつもりなのだろう。実際にそうしていいとも言われた。
だけど最近、不思議と婚約を破棄する未来のことを考えるとモヤモヤとする。アレスと一緒にいられるのは一時的なことで、いずれ離れてしまうことが──
嫌なんだ。
私はぎゅっと拳を握る。遠くでお湯を沸かす音が聞こえた。
どうしてこんな気持ちになるのかはわからない。どうしたら離れずに済むのかも。
最近ふと思うことがある。もしかしたら私は、アレスが私と離れたくないと思っていると言い出してくれることを願っているのではないかと。
「お待たせ」
アレスが湯気の立っているカップを持ってきてくれた。「ありがとう」と受け取りながらアレスの顔がうまく見られない。ゆらゆらと揺れる湯気の向こうをぼんやりと見ていると、身体が左側に傾く感覚がした。
ぱっと左側を見ると、アレスが私の隣に座っている。動揺して目の前を確認すると、アレスの部屋にはソファが一つしかない。アレスも座るなら当然ここに座るしかなかった。
それでもこんな近距離に意識しないわけにもいかず、私は身体を固くする。
「じゃあいいか? まずは資料を見てもらいたいんだが」
アレスはカップをテーブルの上に置いて代わりに紙の束を手にした。あっさりと本題に入ったアレスに不思議とがっかりしている自分がいて、その事実に居心地が悪くなる。
(なんだか私、変だ……。ちゃんとしなきゃ)
私もカップをテーブルに置いてアレスから資料を受け取った。頭を切り替えるためにそこに書いてある文字を必死に読み始める。
「保証人になってくれそうだと俺が選んだ候補は3人だ。全員軍でそれなりの地位についている人間で、一番頼みたいのはこの人。侯爵家の次男っていうなかなかの家柄だし、近い内に王族の近衛騎士隊長になるんじゃないかって噂されてる。それがダメでもこの人。この人なら俺達の小隊をまとめる補佐をしていて俺も面識がある。たぶんなんとかなると思うんだよな」
私が文字を読むのが苦手なのを知ってアレスが口頭でも説明してくれる。人の顔を覚えるのが苦手だけれど、写真を見て必死に人相を叩き込む。
その後も候補者と話を弾ませるために趣味趣向を覚えていく。時間をかけて覚え終わった頃には私の謎の緊張もなくなっていた。
「お疲れさん」
「ありがと」
アレスが淹れ直してくれたお茶を飲みながら一息つく。もう用事は終わったけれど、脳が疲れているので動ける気がしない。
「パーティなんて面倒だと思うけど頑張ろうな。終わったらいよいよウォルカだ」
「うん」
気がつけばアレスの故郷に戻るまでそう日にちがなくなって来ている。そろそろ協会への退席届けを受理してもらって私自身も準備したいところだ。
「ウォルカに戻ったらライラの魔術を見せてくれな」
「魔術を? 別にいいけど……」
見ても楽しいものじゃないと思うけど。と思っていると、心を読んだかのようにアレスは微笑む。
「俺はライラが魔術を使っているところを見るのが好きなんだ」
「……そうなの?」
「ああ。綺麗だと思うよ」
アレスは眩しいものを見るかのように目を細める。そんな表情が私に向けられていると思うとドキリとしてしまう。
「アレスは魔術が好き?」
「魔術がっていうよりライラの炎が、かな」
「はじめは燃えていると勘違いしたのに?」
「そんなこともあったな」
少し笑ったアレスは照れたような顔をした。
「弟や領民にもライラの魔術を見せてやりたいな。魔術に馴染みがないからきっと喜ぶぞ」
「そう……かな?」
「ああ、もちろん。ウォルカの人間は新しいもの好きだから」
アレスが言うなら本当にそうかもしれないと思ってしまう。ついこの前までは“魔女”などと差別されていたことも忘れて。
「受け入れてもらえたらいいな」
ウォルカの地にいるアレスの大好きな領民に私の魔術を知って受け入れてくれたなら嬉しい。そしてそれをなにか有益なものに使えたらどんなにかいいだろうか。
アレスがポンっと私の頭の上に手を置いて撫でる。アレスの嬉しそうな笑顔が目に入って心臓が破裂しそうなくらいの衝撃を訴えてきた。
(なんだろ……変なの)
今までだってアレスにはこうして撫でられてきた。軽いスキンシップなら日常茶飯事だったはずなのに、どうしてこんなにドキドキするんだろう。
私は欲深くなってしまったようだ。撫でられるだけじゃなくて、アレスとずっと一緒にいたい、アレスの力になりたい、認められたい、と私がアレスに染まっていく気がする。
私はそのまましばらくアレスに撫でられるまま大人しくしていた。