救国の魔女は求婚される
10年も続いた隣国との戦争が終わりを迎え、国を挙げた戦勝の祝いの雰囲気も落ち着きを見せて来たある日。私は王城からほど近くにある兵士の詰め所の一室で事務処理に追われていた。
「んんー」
私にとって書類仕事は苦手な分野だ。計算は苦手だし、文字を書くのも読むのも時間がかかる。横に置いておいたはずの書類はすぐに行方不明。
ちなみに今は自分の書いた文字が汚すぎて読めなくて困っている。唸りたくもなる、というものだ。
そんな私を見兼ねてか、戦争中に同じ小隊で戦っていた小隊長のアレス・アーノルドはよく仕事を手伝いに来てくれている。
「おいライラ。ここの数字間違ってるぞ」
アレスが私の名前を呼んだので緩慢な動きで顔を上げた。私の一つにまとめているキャラメル色の髪の毛が肩にかかって視界の端に入る。
「え、本当? どこ?」
「ここだ。魔術師協会から支給された薬品の数だが、使用した分と在庫が合わない」
私の机まで書類を持ってきてくれたアレスは、高い背を曲げて私に顔を近づけた。ゴツゴツとした武人の指が細かな数字を指し示す。
「あー、本当だ。計算が間違ってる。ありがとう、直さなきゃ」
戦争も終わったので、じきに私が所属していた小隊は解散となる。それでもアレスは戦時中と同じように私のことを気にかけ、彼には必要のない書類まで手伝ってくれていた。
「疲れただろ? ちょっと休憩にしようぜ」
アレスは燃えるような赤髪を揺らしながら提案してきた。アレスの赤茶色の瞳が細められるのを見ると、いつもホッと安心できる。
「そうだね。お茶淹れるよ」
「自分で淹れるぞ?」
「手伝ってくれてるんだから、それくらいさせて」
「そっか、ありがとな」
私とアレスは先の戦争で同じ小隊に組み込まれたことで出会った。私は魔術師、アレスは兵士として。
魔術の力は戦争においてかなりの戦力になるが、その分敵に狙われやすい。魔術は咄嗟に出すのが難しいため急襲されることが苦手だ。そんな魔術師を守るために武器を扱える兵士が同じ小隊に組み込まれる。
アレスは私より2つ年上の22歳で、戦争の間は小隊長と魔術師隊員という関係だったのだが、彼からの申し出で敬語も使わずに話をしていた。私だけではなく同じ小隊の面々はみんな同じようにアレスに気さくに話しかけている。アレスはそうさせるだけの親しみが持てる男だ。
そんな彼にだからだろう。私は淹れたお茶を飲んで一息つくと、気が緩んでため息をついてしまっていた。
「そんなに疲れたか? まだ今日はほとんど進んでないだろ」
「あー、違うよ。ちょっと頭が痛い事態が起きててさ……」
失礼な勘違いをされそうだったので訂正する。アレスに私の懸案事項まで話すつもりはなかったのだけれど、口に出してしまったので言うしかなさそうだ。私は少し躊躇ったけれど、結局話し始めた。
「実は私と結婚したいっていう男の人が現れてね」
ピクリ、とアレスの眉間が動いた気がする。まじまじと見ると、ほんの少し驚いているようだ。長い付き合いだからわかる些細な変化だった。
「驚くよね。この私と結婚したいだなんて」
アレスが驚いたことに私は怒ったりなんてしない。だって自分でもおかしな話だと思うから。
私は孤児で、その上“魔女”だ。そうじゃなくても女らしさの欠片もないから、結婚相手として望まれるはずがなかったのに。
「変なことになっちゃったよねえ」
「それは“救国の魔女”のせいか?」
「うん……まあね」
アレスに言い当てられて私は苦笑する。
“魔女”という言葉は元々差別用語だった。魔力を持ち、魔術を使える人間を“魔術師”と呼ぶのだが、女の魔術師は能力が低いと考えられているので“魔女”として区別されるのだ。
確かに男性で優秀な魔術師はたくさんいる。しかし魔術師である私からして見れば女性も同じように素晴らしい力を持っている。男女関係なく平等に。
だが長年染み付いた“魔女”という概念は覆らない。そう思っていたのに、そんな差別用語が英雄を意味する言葉に変わるなんて、戦争前のキュリア王国の誰に言っても信じてはもらえないだろう。
「誰が言い出したんだか知らないけど、こっちとしてはいい迷惑よ」
「みんな戦争が終わって浮かれてんだ。英雄を作りたくもなるんだろ」
私が初めて小隊に組み込まれて戦場に出た時は、前線ではなく後方支援に回っていた。魔女は役に立たない、前線には男性の魔術師がいるべきだ、という考えからだ。
ただ戦争が長引けばそうも言っていられない。徐々に敵国のルドレス帝国に押し込まれると、私の配属も徐々に戦場へと近づいていく。
私達の小隊が山に囲まれた砦を守っていた時、突然の奇襲を受けた。ルドレス帝国はキュリア王国が絶対に安全だと思っていた山側から回り込み、いよいよ戦争を終結させようと畳み込んできたのだ。
砦を守っていた私達は必死に対抗した。帝国の兵士たちが崖のように急な山を下ってくるのを炎の魔術を使い、山ごと焼き払った。
ルドレス帝国は後方の砦に魔術師はいないと踏んでいたらしい。魔術での攻撃に十分な備えをしていなかったルドレス帝国は大打撃を受けた。
結局私達は砦を守ることに成功し、それがルドレスの力を削ぐこととなる。それをきっかけにキュリア王国は盛り返し、戦争に勝つことができたのだ。
「実際に戦ったのは私だけじゃないのに。私ばかり担ぎ上げられるのは納得いかない」
「まぁ気持ちはわかるけどな。だけど実際生きて帰れたのはライラのおかげだと俺は思ってる。誇ってもいいと思うぜ」
アレスは宥めるように言う。アレス自身は自分が歴史の影に隠れた存在になることを気にしていないらしい。
確かに私は炎の魔術を得意としていて、あの襲撃の日もたまたま体内の魔力量が十分に満たされている日だった。だから一番率先して魔術を使ったのは私だったけれど、他にも魔術師はいて一緒に戦っていた。
魔術師だけではなく、アレス達兵士も必死に戦った。きっとアレスがいなければ、私は今生きてここにはいられなかっただろう。
それなのにたまたま先頭に立って魔術を使っていた私だけが“救国の魔女”などと言われて担ぎ上げられることに居心地の悪さを感じている。
「それでライラに言い寄ってるってのはどこのどいつだ?」
アレスに尋ねられて話が逸れていたことに気がつく。それにしても心なしかアレスが不機嫌そうなのは気のせいだろうか。
「それがね……」
「失礼する!!!」
本題へ入ろうとした時。ノックもせずに扉が開く音がして、それと同時に大きな声が響き渡る。嫌な予感がして、私は恐る恐る首を扉の方へと向けた。
「おお、ライラ! やはりここにいたのだね!」
芝居がかった大きな反応を見せながら、部屋に無断で入ってきた男性がこちらへ向かってくる。私は反射的に立ち上がって一歩後ずさった。身体が彼を拒否している。
「今日こそこの婚約届に名前を書いてくれたまえ! そして今からこれを国に提出しに行こうではないか!」
この男こそが今アレスに話していた、ここ最近ところ構わず現れて私に求婚してくる人物だ。名前はドルザン伯爵家子息のエルリック。
無駄に大きい声ももじゃもじゃの髪の毛も好ましくはないが、私がこの男を拒否する一番の理由はそこではない。男性が私から5歩程の距離までやってきて、思わず私は顔を顰めてしまった。
……臭い!!!
彼の体臭はきつすぎるのだ。見た目には汗をかいているようには見えないのに、常に汗をかいているような臭いがする。それも腐敗したような臭いだ。
思わず吐き気を催しそうになって、それをぐっとこらえる。伯爵家の方の前で吐いてしまうなど、失礼極まりないことだからだ。
「さあ、ライラ。ここに……」
「おい」
臭い伯爵がもう1歩近づいて頭がクラクラとしてきた時、間に大きな背中が割って入った。アレスだ。
その背中からは殺気が感じられる。アレスのこんな強い殺気を感じるのは戦場以来のことだった。
「ライラに近づくな」
「お、お前……!!!」
アレス越しに見える臭い伯爵の顔は怒りで赤くなり始めている。
「私が誰だかわかっているのか!? 私はドルザン伯爵家の次期当主だぞ!? そしてライラの未来の夫だ!」
「ああ?」
臭い伯爵がわーわーと叫ぶのを、アレスは低い声で一蹴した。
「嫌がってんのがわかんねえのか?」
「い、嫌がってなどないだろう! ライラは照れているだけだ」
「気安くライラの名前を呼ぶんじゃねえ!」
そう言い放つと突然目の前のアレスの手が私の肩に伸びて、ぐっと引き寄せられる。
「悪いがライラは俺と結婚する。お前との結婚は認められねえな」
「──!?」
「なっ……!?」
これには臭い伯爵だけでなく私も驚いた。私はアレスと結婚の約束をした覚えはなく、完全なる初耳だ。
臭い伯爵は顔を真っ赤にしている。これはまずい。私達よりも身分が高い伯爵家の人を怒らせたらどうなるか──
「お、お前! 俺はドルザン伯爵家の……」
「さっきも聞いたが、それがどうした?」
アレスは私の肩を抱いたまま冷ややかな瞳を臭い伯爵に向ける。
「俺はアーノルド辺境伯が当主、アレスだ。ウォルカ地方を任されてる」
「……は?」
臭い伯爵だけでなく、私も口をポカンと開けてしまった。アレスが辺境伯?
「ドルザン伯爵家は鉱石を採掘して流通させていたはずだな? その鉱石はどこから採ってるんだったか?」
「……ウォルカ、です」
顔を真っ青にした臭い伯爵はかすれた声で言う。それを聞いて満足したようにアレスは頷いた。
「で? 俺の女になにか用か?」
私はアレスに支えられながら臭い伯爵の小さくなった背中を見送る。頭は真っ白でパニックだ。
アレスは辺境伯で、私と──結婚する?