カニさんのじゃんけん
むかしむかしあるところに、ハサミが『パー』になっているカニさんがいました。
周りのほかのカニさんの、両うでについている大きなハサミはみんな二本なのですが、そのカニさんだけは、どう言うわけか指が五本あったのです。
周りのカニさんたちは、そんな何とも珍しいハサミを持ったカニさんを『パーさん』と呼んで笑いものにしました。五本の指は、ものを挟むにはあまりにも使いにくく、パーさんはほかのカニさんたちと比べエサもろくに取ることができませんでした。見た目もカッコ悪くて、どうにもカニらしくありません。
「じゃんけんで負けたヤツが、みんなのランドセルを運ぶことにしようぜ」
カニの学校に行くと、パーさんの友だちがよくそんなことを言い出しました。パーさんはこの『じゃんけん』というヤツが大キライでした。だって生まれてこのかた、勝ったことがないんです。何せ周りが、『チョキ』だらけなものですから!
「じゃあ行くぜ。じゃんけんぽん!」
の合図で、友だちのみんながいっせいに、二本のりっぱなハサミを青空の下にかかげました。『チョキ』の輪に囲まれて、パーさんはしぶしぶ自分の五本のハサミを出しました。
結果はもちろん、見るまでもありません。
友だちはみんなパーさんに黒いランドセルをあずけ、走って浜辺のパーティに出かけてしまいました。カニさんたちの浜辺のパーティは、毎晩月の出ている夜にみんなでたき火を囲みながら、空にかかげたハサミを鳴らして踊るステキなお開きです。ですが、パーさんは友だちに自分の五本のハサミをバカにされるのが怖くて、今まで一度も参加したことがありませんでした。パーさんは、友だちのたくさんの黒いランドセルを真っ赤な”こうら”いっぱいに背負いながら、自分の五本のハサミを恨めしく思いました。
どうして自分だけ、ハサミがパーなんだろう。
ほうかご、すいへいせんの向こうに沈んでいく夕日を一人ながめ、パーさんはアツくカタい”こうら”の中でカニミソをドロドロに溶かしました。
この五本の指のせいで、ノートを取るのもごはんを食べるのも、カニ一倍遅いし。
友だちにはからかわれるわ、先生には怒られるわ。
このままじゃいつまでたっても、”かにパー”には出られそうもない。
「こんなハサミ、なくなっちゃえばいいのに……」
海に沈んで行く夕日を見つめるパーさんの目には、じんわりと涙が浮かんでいました。それから夕日が沈み、夜空に明るい星たちが光り始めても、パーさんはその場にじっとして動こうとしませんでした。遠くの方で、軽やかな音楽が乗せて楽しそうに歌う友だちの声が聞こえて来ましたが、パーさんはそちらに近づこうとはしませんでした。
それから、どれくらいの時間がたったでしょうか。
ふと気がつくと、もうすっかり夜はふけ、空の星たちも眠りにつく時間になっていました。”かにパー”の音楽もいつの間にか鳴り止み、あたりは真っ暗でした。
「大変だ、早く帰らなくちゃ」
お父さんとお母さんが心配して、そこらじゅうを探し回っているかもしれません。パーさんは慌てて横歩きで自分の家に向かいました。その時です。
「あいたっ!」
パーさんは何かにつまずいて、思わずその場でひっくり返ってしまいました。夜の砂浜は真っ暗で、足元がよく見えなかったのです。パーさんは暗やみの中目をこらしました。パーさんの足元には、見たこともない小さな小さな生き物が転がっていました。小さな生き物も、パーさんにぶつかられて砂浜に頭からつっこんでいました。
「ごめんよ。大丈夫かい?」
「あいたたたた……カンベンしてくれよ」
「君は誰だい?」
パーさんはおどろいて彼にたずねました。こんなへんてこりんな生き物は、今まで海辺で見かけたこともなかったからです。小さな生き物は砂浜から顔を引っこ抜き、目を丸くするパーさんにおじぎしました。
「私は、ヤドカリだよ」
「ヤドカリだって?」
小さな生き物にそう言われ、パーさんはおどろいて口から泡を吹き始めました。
「だって、宿がないじゃないか!」
「そうだよ。今ちょうど、妻と息子たちを連れて、家族みんなで引っこし中なんだ」
宿のないヤドカリが、何も背負っていない背中を見せながら少しさむそうに言いました。パーさんはヤドカリが家の中から飛び出して来たすがたを見たことがなかったので、びっくりしてしまいました。パーさんがよく見ると確かに小さな生き物は一匹だけではなく、砂浜の中に数匹かくれていました。宿のないヤドカリが、不思議そうにパーさんを見上げました。
「そういう君こそ、誰なんだい? こんな夜中に一体何をしている?」
「ぼくは……」
パーさんはそこまで言って、ふと自分の五本のハサミのことを思い出しました。
「ぼくは……パーさんだよ」
「パーさん? カニじゃなくて?」
「カニじゃないよ……」
パーさんの言葉に、ヤドカリのお父さんは首をひねりました。
「そうなのかい? 見たところ、君はカニに見えるがね」
「カニじゃないってば」
「だって、その真っ赤なこうら。凸凹して、ちょっとやそっとじゃ破れそうにないじゃないか。私の知っているカニさんは、みんなそんなこうらをしているよ」
「違うって言ってるでしょ」
ヤドカリのお父さんが、少しうらやましそうにパーさんの入っているこうらをながめました。パーさんは話しかけられたくなくって、急いでその場を離れようとしました。
「ほら、だって横歩きしてる」
家に帰ろうとするパーさんを、小さな小さなヤドカリのお父さんが呼び止めました。
「カニさんは、みんな横歩きしているよ。やっぱり君はカニなんだ。カニの子供だろう? こんな夜中に出歩いて……お父さんとお母さんに連絡して上げるから、待ちなさい」
「だから、ぼくはカニじゃないってば!」
ヤドカリのお父さんの言葉に、パーさんは投げやりに叫びました。
「ほら、見てよ」
パーさんは心配するヤドカリたちの前に自分のハサミをかかげました。ヤドカリの家族たちはびっくりしてパーさんの五本のハサミを見上げました。
「ハサミが二本じゃなくて、五本もある。これじゃ、使いにくくってしょうがない。こんなカニ、世界中どこ探したっていやしないよ……」
そうつぶやくパーさんの声は、心なしか少しかすれていました。ヤドカリのお父さんは目を丸くしていましたが、やがて大きな声を上げました。
「こりゃすごい! りっぱなカニのハサミだ!」
「え?」
パーさんは思わず首をかしげました。ヤドカリのお父さんの顔は、いつもの、みんなに笑われているような顔ではなくて、なぜか夜空の星を見上げた時のようにキラキラとしていました。
「がんじょうそうなこうら! こんなこうらなら、どんなに雨や風が吹いたってへいちゃらだろうなあ。それに、その白と赤のもよう! こんなおしゃれな貝がらは、世界中どこを探したって見当たりはしないよ」
やがて宿のないヤドカリたちが砂浜からのそのそと出てきて、彼の五本のハサミをうらやましそうに見上げ始めました。それからパーさんに向かって、おずおずとたずねました。
「カニの坊や。もしその余分なハサミがいらないってんなら、どうか私たちにゆずってくれませんか?」
「ぼくの指に住むってこと?」
ヤドカリのお願いに、パーさんはおどろいて泡を吹き出しました。小さなヤドカリさんたちはみんないっせいにうなずきました。パーさんは自分の五本のハサミをほめられうれしくなりましたが、いくらなんでも自分の指を引っこ抜くことはできません。
「そうか。カニのハサミに住めたら、私たち家族のりっぱな宿になると思ったけど……残念だなあ」
ヤドカリのお父さんはガックリと肩を落としました。パーさんはちょっと申し訳ない気持ちになりました。
「おじさんたち、ぼくがカニに見えるの?」
「当たり前じゃないか。君がカニじゃなけりゃなんだってんだい。パーさんなんて生き物、世界中探したっていやしないよ」
「でも、指が五本あるし……」
「カニのハサミが二本じゃなきゃダメだなんて、知らなかったよ」
「じゃんけんにだって、友だちにいつも負けちゃうんだ」
「ふうむ」
すっかりしょげ返るパーさんを見て、ヤドカリのお父さんが言いました。
「君、ちょっと両手を合わせてみて……そう。それから指を組んで。そら、『グー』ができただろう。これからはそうやってじゃんけんしてみるといい。じゃんけんは、両手で一つの形を作っちゃいけないなんて決まりはないんだからね……」
それからヤドカリのお父さんは、近くの浜辺交番でパーさんのお父さんとお母さんに連絡を取ってもらいました。
「ありがとう。宿なしのヤドカリのおじさん」
「君、もし指がいらなくなったら、すぐに連絡してくれよ」
そう言って宿なしのヤドカリさんたちは、パーさんに別れを告げました。
パーさんは今度こそとびっきりの笑顔で、五本の指で手を大きくふってヤドカリさんたちをいつまでもいつまでも見送りました。すっかり星の眠った、静かな夜のことです。むかしむかしあるところに、踊りが大好きで、ハサミが『パー』になっているカニさんがいました。だけど不思議とそのカニさんは、いつの日かじゃんけんに負けなくなりましたとさ。おしまい。