第1話 魔王様、思いつく
暗雲に閃光が走る。
上空を厚く覆う暗雲はまるで生き物の臓腑が蠢くように流動し、強烈な稲光がその合間を迸っていた。雷光が轟くたびに陽光を覆い隠され暗黒に包まれた荒野がつかの間照らし出され、恐ろしい魔力が充満した中を獰猛な魔物どもが他者の鮮血を求め跳梁跋扈するこの世界を浮かび上がらせていた。
人間たちはこの人の住めぬ土地を魔界と呼んだ。
そんな暗黒の地、魔王領。鬱蒼とした深く黒い森の奥、脆弱なものでは分け入ろうとも思わぬような断崖絶壁に設けられた荘厳な城砦、魔王城。その最奥部、バロック卓の間。
──クククハハハハ
──キャハハハハハ
──マキマキマキキ
ちろちろと燃える青白い鬼火のランプだけの薄暗い城内には魔物たちの哄笑が反響し、瘴気がこもるように空気は薄黒くけぶっていた。時折雷光が室内に差し込むと、上座に鎮座するマントにローブをまとい禍々しい髑髏意匠の杖を携えた人物と、傍らに控える侍従、そしてバロック卓を取り囲む12のどこか異形めいた不吉な影を浮かび上がらせた。
「……よくぞ集まった我が忠実なる僕たちよ」
上座のマントとローブの男……深くかぶったフードの中に浮かび上がる三つの燃えるような赤い目と口元に輝く牙、濁った翡翠めいた肌と頭部から巨大な双角をそそり立たせた人物、魔王。
彼が宣誓とともに片手を軽く挙げるとそれを確認した侍従が部下に合図を送り、速やかに上空に展開されていた雷雲魔法と演出用ダークドライアイスの煙が撤去されて合議の体裁が整えられる。一昔前までは合議が終わるまでこれらの演出が続けられたものだが、騒音がつらい、暗くて資料が読みにくい、受動喫煙反対派からの人格否定めいた抗議などにより合議前に片付けられることに決まったのだった。
魔王が昔を懐かしみ思いに耽っている間にゴシックメイド悪魔によってカートが運び込まれる。魔王の御前にはまるで血のように赤い茶と魔界苺ショートケーキを、バロック卓を囲む面々には茶と資料を配っていくと、ゴシックメイド悪魔は一礼して退出していった。配布物を一瞥した者たちは眉間にしわを寄せ、あるいは渋面を作り、またはその厳しい視線がカートを追っていた。
「これより世界の命運を決定する!」
合議の開始を宣言する魔王の言葉に、場を埋め尽くす異形どもの気配は一気に狂気に染まっていった。陽の気の希薄な暗黒魔界の地にあまねく蠢くものたちを支配するのは耐え難い飢え、乾き、そして満たされたものへの暗く深き羨望の情念であった。それはドロドロとした拭いがたい粘性を持って、まるで誘蛾灯に群がっては油に落ちる毒蛾のごとく、魔界の住人達の欲望を人間界へと向けさせたのである。
その最初の犠牲は、魔界の住人どもに茶菓子の不備について詰め寄られた敬愛なる魔王陛下であった。
◇
魔王城バロック会議。それは魔界大暗黒魔王領の行く末を決定する最高顧問会議である。邪悪なる魔界を統括する「魔王」、彼の忠実なる腹心、魔王軍の様々な実働部隊である「魔王軍地獄の12師団」の各師団長による合議によって魔界の均衡は保たれていた。
だが今、その均衡は崩壊に向けて傾きつつあった。魔王にだけ出された茶請けにより議会は紛糾、午前中は会場の占拠と牛歩戦術により審議が開始すらされなかった。昼休憩を挟み、ようやく頭の血が胃にまで下がってきた面々により議会は進行され、緊急動議された茶請けの是非について「出すなら出す、出さないなら全員に出さない」ということが賛成12、反対1、白票1で決議された。
気が付けば先ほどまでは頂にあった暗黒太陽もやや傾いており、先ほどまで合議がエキサイトしていたことを感じていた魔王は休憩の提案をする。自分が矢面に立たされる流れを変えようと小細工を弄したのである。しかしながら、この提案は特に議会を占拠するような女子幹部に対して効果的であり、茶請けの種類までもが指定されていた。
ゴシックメイド悪魔によりバロック卓の面前に茶と茶請けが置かれていく。魔王たるもの同じ過ちはそうそう繰り返すものではない。部下たちも断末魔の叫び声をあげる生きの良い魔界苺の乗ったショートケーキに舌鼓を打ち、各々の口内に茶を含みながら思い思いに談笑に花を咲かせている。そんな部下たちの和やかな様子に、魔王も満足そうに頷いた。
「フフフ……皆の口に合ったようで何よりである。ところで、諸兄らの食べているケーキを最後についに魔王城の備蓄は底を尽いた」
一斉に吹き出された茶がバロック卓の間に差し込む西日をキラキラと反射し、七色の虹を描き出す。光の屈折によって浮かび上がる自然の芸術は、魔力に満ち人間の住めぬ魔界の地においてなおその美しさを失わなかった。
◇
なし崩しに再開される形となった合議はどこか言いようの無い重苦しい気配に席巻されていた。12人の軍団長たちは苦い表情で手元の資料をねめつけながら、魔王の傍らに控える人物、老齢に差し掛かりつつも整えられたラウンドの髭と艶を感じさせる白髪を後ろに固め、気品と上等な衣服に内包された活力をあふれさせる魔王の腹心「地獄の執事」グレゴリーの報告に耳を傾けていた。ピリピリとした静寂に包まれたバロック卓の間に近衛部隊「魔王様FC」トップも勤めるグレゴリーのバリトンボイスが響き渡る。
「魔王様がこの魔界に君臨されて以降、それまで魔境に暮らしていた少数の集落または魔素溜まりやダンジョンを彷徨っていた者たちを次々とその庇護下に治め魔界の人口が爆発的に増加いたしました。ここ200年ほどで人口はおおよそ1000万人から1500万に増加。これに対応するため魔境の開拓政策に邁進してまいりましたが思うように成果があがっておりません」
グレゴリーの解説に卓を囲む面々に苦いものが浮かぶ。
「現在は各軍団による狩猟と漁業、一部のドリアードやトレント系魔族からの果実の採集などでしのいでおりますが肝心の農耕がうまくいっておらず……基本的に魔力があれば生きていけるデーモンや不死系、なんでも食べることができるスライム系住民の食料を他に回すなどの場当たり案も検討しましたがあやうく暴動に発展するところでした」
事前に知らされることのなかった腹心の不穏な報告と一部の刺す様な視線に反応した自らの危険察知スキルの警鐘を感じながら、魔王はどうしたものかと思案した。彼の脳裏に、飢餓対策に鳴り物入りで導入したじゃがいもの栽培が失敗した苦い記憶が呼び起こされる。あれは暗黒太陽がじりじりと照りつけるじゃがいも圃場の収穫日のことであった。
人間界より密かに入手した種芋を蒔いてから三月、圃場の畝に青々と良く繁ったじゃがいもの草体は地下に眠る大きな芋を想起させるのに十分な出来だった。すでに芋煮会の準備は万端であり、あとは食べるだけとばかりに意気揚々と鋤を突きたてた畑から飛び出してきたのは無数のキラーポテトであった。執拗に尻に噛み付いてくるポテトの群れに魔王軍は撤退を余儀なくされ、今ではその圃場はS級フィールドダンジョンとして一般人の立ち入り禁止区域となっている。
「まさかじゃがいもが魔物化するとは……」
じゃがいも圃場の失敗は多くの魔王領民を失望させた。魑魅魍魎が跳梁跋扈するこの魔界においては力こそすべて、実績こそすべてなのである。そして魔王城の備蓄すら放出せざるを得ないこの状況は急務であり、今こそ魔王の統治者としての威厳を回復させねばならない。ではどうするか。
魔王はしばし思案すると、一同を見渡した。その場のすべての者が魔王に注目し、固唾を飲み込んで己の敬愛する絶対強者の言葉を聞き逃すまいと注視する。
「……食料を輸入する!」
ここに魔界暗黒魔王領1000年に及ぶ鎖国が解かれ、人間界との外交の道が開かれたのである。




