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少しずつ、壊れ始めているようです



 本当にこの人は何なんだろう?


 今日もまた、ゆったりとした速さでの散歩だ。生まれやすくすためには動くこと、と医師に言われ、渋々と歩いていた。お腹も大きくせり出し、本当に立っているのも辛い。侍女を二人付け、手を引いてもらいながら談笑していた。


 そんな中、声を掛けられたのだ。


 わたしは本当に心の底から怖くなった。ここは侯爵家の庭だ。決してその辺の道ではない。しかもわたしの歩く場所を知っているところが恐ろしいと思ったのだ。彼を恐ろしいと感じたのはこれが初めてだった。


「ルイス様」


 侍女の一人が呼んだのか、いつの間にか執事長が足早にやってきた。そしてわたしと彼の間で足を止めた。まだ彼との距離はあるが、声を掛けるには程よい距離だった。


「どうしてここへ?」


 執事長が多少きつめの物言いになったのは仕方がないと思う。

 きっと内部に繋がっている人間がいるのだと、執事長が思っているのだ。ルイスはいつになく周りが見えていないようだった。ただひたすらに、わたしだけを睨みつけている。仕方がなく、わたしが問いかけた。


「何かご用ですか?」

「ロナウドを返して欲しい」


 低く、絞り出すような声だ。幾分、息が荒いのが気になる。


「どういうことでしょう?今は契約で縛っておりませんが」

「君がロナウドを僕のところに行かせないようにしているのはわかっているんだ!」


 ああ、これは話を聞かない感じだ。どうしたものかと、執事長に視線を向けた。執事長もどうするか決めかねているようにも見えた。

 まあ、せかっく来てくれたのだ。少し話に付き合ってあげよう。ついでに追い込めたらいいのだが。

 ……今の感じだとちょっとそれはしない方がいいのか?

 冷静さを欠いた彼の様子に、少しだけ身の危険を感じた。


「いいえ?誤解があるようですが、ロナルドがわたしが初めての出産で心配だからと厚意で側にいてくれているだけです。ルイス様もロナルドが優しいのは知っているでしょう?」

「ロナルドが優しくしていいのは僕にだけだ!ロナルドの愛は僕にだけあればいいんだ」


 何言っちゃっているの、この人。


 30歳に近い男が、顔を赤くしてひどい言葉で喚いている。その行動にも、言動にも驚いてしまった。本当にどうしていいかわからない。この後どうしたらいいのか、正直分からなかった。うろうろと視線を彷徨わせ、どうするべきか、とにかく考えた。


「若奥様」


 恐ろしさと混乱で動けなくなったわたしにそっと侍女が囁やいた。彼女はさりげなく手を引き、この場からわたしを移動させようとした。同じくもう一人の侍女と執事長が壁になってくれるようだった。


「ルイス様、ロナルド様にご連絡しますので、ご自宅でお待ちいただけますか?」


 ゆっくりとゆっくりと侍女に先導されて歩き出す。本当なら挨拶くらいはした方がいいのだろうが、ルイスはある意味侵入者であり、客ではない。そして今は何を仕出かすかわからない、得体のしれない者だった。


「逃げるなよ、この屑が!ロナルドにいやらしく尻を振りやがって」


 わたしたちの動きが分かったのか、彼は激高した。儚い印象しかないので、このように激高するとは思っていなかった。それに向けられた言葉に理解ができなかった。以前も理解できるとは思えなかったが、今回は言葉さえも理解しがたい。


「若奥様、聞いてはいけません。行きましょう」


 ショックに立ちすくむわたしに執事長が淡々と言うと、そのまま行くようにと侍女に指示した。明らかに無視されて、ルイスは我慢が出来なかったのか、小走りに寄ってくるとそのままわたしに手を伸ばしてきた。執事長が焦らずルイスの足をかけ、転ばせると同時に腕を捻り上げた。


「若奥様。どうかお戻りください」


 ルイスが抑え込まれているのを見て、軽く頷いた。ルイスは顔を真っ赤にして自由になろうと暴れているが、執事長の押さえつける力は緩まない。

 ルイスが動けないことにほっとしながらも、できるだけ急ぎ足で廊下を進んだ。ようやく自分の部屋へと戻ってくると大きく息を吐いた。自分でも知らないうちに緊張していたのか、体が強張っていた。


「熱いお茶を淹れますね」


 侍女が思いやるように椅子に座らせると、お茶を用意し始める。気持ちが徐々に落ち着いてくると、自分の手が震えていることに気が付いた。ぎゅっと握りしめるが、震えが収まらない。


「彼は何が言いたかったのかしら」

「気になさる必要はないかと。どうも恨み言のようでしたし」


 侍女がそう応じるが、心は晴れなかった。以前までとは違い、今日は喚いている時も汚い言葉は吐き続けていた。

 そしてその言葉の使い方に気が付いたことがある。そう、手紙に書かれていた言葉だ。やはりあの手紙はルイスが書いて姉に送っていたのだ。きっとルイスは書いた手紙をロナルドに見せてはいない。サインも印璽もないのがその証拠だ。


 普段聞きなれない言葉だけに、自分に向けられて衝撃だった。あれほど汚い言葉など、下町でないと聞かれないのではないだろうか。貴族たちが使う上品だが悪意のある言葉とはまた異なっていた。暴力的にも感じる言葉に、今もまだ心臓がバクバクしている。どうしてか、ひどく心を傷つけられたような痛みを感じた。


「ねえ、ルイス様って子爵家出身よね?」

「そう伺っていますが」

「どうしてあんなにも言葉が汚いの?」


 わたしに問われ、侍女も驚いたような顔をする。目を何度か瞬き、首を傾げた。


「確かに……あれでは荒くれ者と変わりませんね」

「どういうことなのかしら……」


 わたしは用意された熱いお茶をゆっくりと飲みながら、徐々に心を落ち着かせた。そして、初めてルイスの生家を思った。子爵家の嫡男だったのではないかと記憶を辿るが、彼はすでに28歳。当然、家は継いでいない。

 あまり気にしたことはなかったが、とても不思議なことではある。16歳からずっとロナルドといたことを考えれば、彼はロナルドを選んだことで跡取りではなくなったのかもしれない。学生時代の二人の醜聞もあるから、それが一番自然な理由かも、と一人納得した。



******



 わたしが去った後の事の顛末を説明してくれたのは、執事長だった。

 結局、彼を自宅に送り返さずに部屋に閉じ込めて、ロナルドを呼び戻したらしい。ロナルドはすぐに飛んできて、今は彼と話をしているようだった。


「やっぱり理解できないわ」

「そうですね」


 否定せずに執事長が重々しく頷く。


「わたしとロナルドには愛情はないと初めから言っているのに、ロナルドはわたしを愛していると彼は思い込んでいるようだわ。普通に優しくするだけでもダメなのかしら?」

「さあ、わかりかねます」


 それもそうだろう。執事長だからといっても、彼のことなど理解できるとは思っていない。ただただ、わたしの中に溢れる疑問を誰かに聞いてもらいたかっただけだった。


 なんとも消化しきれない思いでいると、ロナルドが入ってきた。どうやらルイスと話してきたようだ。かなり疲弊した様子だ。


「本当にすまなかった」

「……何の謝罪でしょう?」


 唐突に謝るロナルドがよくわからなかった。本宅にはもう来させないと約束したのにやってきたことなのか、それともルイスがわたしを罵ったことなのか、手を出してきたことなのか。


「すべてだ。多分、俺が悪いんだろう」


 自嘲気味に笑みを浮かべる。わたしは肩をすくめた。


「そう言われましても。ルイス様のことはロナルドはよく知っているでしょう?うまくやってください、としか言いようがありません」

「……そうだな」


 少し突き放されたように感じたのか、ロナルドは切なそうな目でわたしを見てくる。もうこの際だからと、侍女に止められていたことを聞いてしまおうと思った。


「ずっと聞きたかったことがあるのですが、今いいですか?」

「何?」

「姉への手紙です。あれはロナルドの指示ですか?」


 姉への手紙、と聞いて彼は眉を寄せた。しばらく考えていたがすぐに首を左右に振った。


「そもそもブリジットからは手紙は来ていないだろう?」

「……受け取っているはずです。お茶会や夜会へのエスコートのお願いなど月に何通も出していました。最後には月に1通程度でしたが。見ていませんか?」


 ロナルドは唖然としていた。本当に知らないようだ。目を細め、ロナルドの様子を観察した。


「そんなはずは」

「では、その手紙に対する返信も知らないですか?」


 そういって、侍女に箱を持ってくるように告げる。その箱を侍女から受け取ると、テーブルに置き、ロナルドの方へと押し出した。ロナルドは自分の前に来る箱をしばらくの間、じっと見つめていた。小さく息をつくと、覚悟したように顔を上げる。


「見てもいいのか?」

「どうぞ」


 ロナルドは躊躇いながらも、箱を開ける。


 出てきたのは侯爵家の文様が入った封書。


 宛名にはブリジット、裏を返せば彼の名前が入っている。それを何度も何度も表と裏を確認した。箱に入っているほかの封書も同じように丁寧確認する。


「そんな馬鹿な」


 彼はそう呟き、一番最初の日付の手紙を取り出した。手紙を広げ、さっとそれに目を通した。読み進めていくうちに、驚愕に目を見開いた。


「なんだ、これは」


 小さく呟きながら、次々と手紙を開けて読んでいく。ひどく真剣な顔であったが、手紙が進むにつれて、どんどんと顔色が悪くなっていく。全部を読む必要はないだろうが、それでも彼は読み進んでいった。


 そして、最後の手紙。

 それには姉の手紙も入っていた。


 ロナルドは入っていた手紙を読んだ後、震える手で姉の手紙を開いた。読み終わると、小さく呻いて頭を抱えた。


「俺が……俺が彼女を殺したのか」


 わたしは何も言わずにそんな彼を冷めた目で見ていた。


 少しは自分にも責任があると思ってもらえたようで、何よりだ。





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