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姉の真実



 強い衝撃を受けたあの日からはゆったりとした日々を過ごしていた。のんびりと、おくるみを縫ってみたり、冬用のケープを編んでみたり。


 時にはベラとその友人である夫人がわたしの気晴らしに来てくれていた。彼女たちは、出産経験、育児経験があるだけあって、わたしの疑問や不安をすぐに理解してくれた。そして、あれこれと色々なアドバイスをしてくれる。

 本来ならば、母に教わることなのだろうが、わたしの母はすでに他界している。母代わりの姉も、もういなかった。


 急激に襲ってきた寂しさに、ゆったりと息をして7か月のお腹を撫でる。わたしは一人ではない。父もいるし、優しい義両親もいる。夫には愛してもらえていないが、家族のようには接してくれていた。十分ではないか、と自分を慰めるが、どうしても母と姉が恋しかった。彼女たちの明るい笑い声が目を閉じれば聞こえてきそうだ。


「若奥様」


 侍女がわたしが考え込んでしまったのを見て、そっと声を掛けてきた。顔を上げると、彼女はお茶を差し出してくる。


「気持ちを落ち着かせるお茶です。どうぞ」

「ありがとう。なんか、変ね。今までこんな寂しさなんて感じたことなかったのに」

「妊娠中ですから、気持ちが落ち着かないのは普通ですよ」


 こちらも出産経験のある侍女の言葉だ。思わず笑みが浮かぶ。


「うふふ、そう言ってもらえると気持ちが楽になるわ」


 淹れてもらったお茶をゆっくりと飲みながら、重くなった気持ちを振り払う。どんなに恋しく会いたいと思っても、二人とももういないのだから。落ち込んでいても仕方がない。


「それから、こちらがご実家の方から届いています」


 少し大きめの箱を侍女が持ってきた。両手で抱えらえるほどのもので、奇麗にラッピングされている。


「子供の洋服かしら?」


 もう大量に実家から、というかフィーネと父であるケネスから送られてきていた。彼女はすでに臨月に入っており、子供のために買った同じものを使ってみて、と一言添えて送ってくるのだ。同時に、ケネスもまた、フィーネとは別に経験者からのおすすめを買い求めて送ってくる。


 呆れながらも、こうして無駄かもしれないものを送ってくる二人に嬉しさも感じていた。


「今回は何かしら?」

「前回は確か、肌着でしたね」

「あれはまだ何枚あってもいいから、気にならないけど……その前のぬいぐるみには参ったわ」


 くすくすと笑いながら、箱を開けていく。


「同じぬいぐるみが10個でしたか?」

「どれが気に入る顔かわからないから、全部購入したと言っていたわね」


 フィーネからもその件については手紙を一緒にもらっていた。あちらは二種類のぬいぐるみを5体づつだったようだ。理由は同じ。子供がどの顔を気に入るかわからないから、買い占めたと。ケネスはただ単に爺バカなだけだった。フィーネが部屋が手狭になったので姉の部屋を移動してもいいかと、その手紙で相談してきていたのだ。クラーク侯爵家はわたしの実家ではあるが、そこはもうフィーネの家族が生活する場所だ。好きにしてもかまわないと言ってあったのだが、気を遣ってくれたようだった。


「あら?」


 箱の中に、贈り物とは思えない箱が入っていた。首を傾げ、取り出す。どうやら手紙の保管箱の様だ。装飾のない作りのしっかりした木の箱だ。その木の箱には手紙が添えらえていた。文字からフィーネからだと分かる。


 それを開き、中身を読んだ。何度か目を通した後、箱を開けて見る。


「これって……キャンベル侯爵家で使っている封筒よね?」

「そうです」


 侍女も不思議そうにそれを見ていた。

 一つ取り出す。

 表には姉の名前。裏を返すとロナルドの名前だ。ただし、封蝋はしているが印璽がない。姉が開けたのか、封は切られていた。


 中を見るのはどうかと思ったが、フィーネからは整理したら出てきたが、どう処分していいか分からないからと送られてきたのだ。内容を確認する必要がある。姉へのロナルドからの手紙に、ちょっとだけ躊躇った。見てもいいものかと。たぶん、フィーネも同じ思いだったのだろう。


「どうしようかしら?一度ロナルドに確認した方がいい?」

「手紙の内容を確認してからにしてもいいと思います」


 侍女がじっと文字を見つめながら、告げる。そして、自分の中で何か納得したのか軽く頷いていた。


「わたしの記憶ですが、この文字はロナルド様のものではないと思います」

「代筆ということ?」

「はい。侯爵家では沢山の返事を書く場合は執事たち、それでも足りないようでしたら代筆専用の者を雇って対応しています」


 代筆と聞いて、ありえないと真っ先に思った。だって、婚約者の女性に送る手紙だ。代筆の手紙を送るなど、常識外だった。


 中身はまだ見るか、迷いがある。手紙を眺めていると、裏の隅に日付が書かれていた。その文字は姉の文字だった。受け取った日を書いていたようだ。


 迷いながら、それを日付順に並べていく。侍女もわたしが何をしたいのかわかったのか、手伝ってくれた。手紙の数は50通ほど。期間は5年程だ。初めは短い間隔で、そのうち長い間隔になっていた。


「これ、すべて同じ人の文字ですね」


 ぽつりと侍女が呟く。そして首を傾げた。


「これほど長い間同じ人が代筆するとなると……執事長でしょうか」

「執事長が書いた内容なら、見ても大丈夫かしら?」

「大丈夫だと思います」


 隠すような内容でないと判断すると、思い切って一番最初の手紙を開いた。


「……なにこれ」


 内容を見て唖然とする。慌てて、次から次へと手紙を読んでいった。ぶわりと涙が溢れてくる。そして、後悔した。これほどひどい言葉を姉に投げつけるロナルドと結婚し、家族のように接していたことを。


 震える手で日付の入っていない読まれていない手紙を開く。その手紙にはもう一通、封の切っていない手紙が入っていた。


「姉さまの字だわ」


 どうやら手紙を読まずに突き返していたようだ。まずは姉の送った手紙を開けた。


「そういうことなの」


 ずっとわからなかった。何故、姉があの日約束の時間を過ぎても待ち続けていたのか。あまり顔を合わせてもいない婚約者なのに、さっさと帰らなかったのか。


 ようやく姉の行動を理解した。


 もう一通、返信された手紙を広げる。やはりそこにはひどい言葉で色々と書き連ねていた。


 最後にこの手紙を読んでいなくてよかったと、それだけが救いだった。



***



 姉のブリジットは母に似たとても大らかで優しい人だった。いつも笑顔を絶やさず、気配りも上手。

 わたしは妹だったから、優しい姉に纏わりついてよく困らせていた。姉がどこかに出かけようとすると駄々を捏ねたり、勉強をしていると一緒のテーブルでやってみたり。姉の家庭教師にも沢山質問した。姉に少しでも褒められたかった。母もそれを見て困ったように笑っていたが、姉が嫌がらなかったから小言は言ってもやめさせたりしなかった。


「困った子ね」


 3歳しか違わないのに、姉はよくそう言って笑った。そして優しく頭を撫でて、キスをしてくれる。


 母が死んだのは、姉が8歳、わたしが5歳の時だった。母は流感に罹り、治療の甲斐もなく亡くなった。屋敷から火が消えたように感じるほど、皆が沈み込んだ。だけど、いつまでもそれではいけないと、前を向いたのは父ではなく姉だった。姉はわたしにとって母代わりにもなった。


 そんな姉に婚約者ができたのは姉が10歳の時だった。正式に婚約が決まっただけで、姉が生まれた時にはほぼ決まっていたことでもある。わたしは婚約ということがよくわかっていない年だったから、いつも遊んでいるお兄さまが家族になるんだとしか思っていなかった。


 姉とロナルドの仲は悪くはなかったはずだ。二人には5歳の年の差があったが、いつも楽しそうに話していた。遠くから二人を見ていると、切り取られた絵のようにとても美しかったのを覚えている。


 それが崩れてきたのは、ロナルドが16歳から入る学園に入ってからだった。男子しかいない学園で、英才教育をする上位貴族とそのつながりを求める中位・下位貴族子息たちが通っていた。5歳の年の差があるため、ロナルドは婚約者がいながら、姉が15歳になるまでは自由に恋愛することが許されていた。


 ロナルドは婚約者がいるからと、恋愛相手に同じ男子生徒を選んでいた。それも学園から卒業するまでだと姉には説明していた。貴族としては男の愛人はさほど珍しくない。だから、姉もそれならばと頷いたのだ。


 それが間違いだったのかもしれない。ロナルドは恋愛に夢中になった。姉のことを蔑ろにし始めたのは学園に入ってから1年経った頃からだ。約束も守られず、キャンベル侯爵家に出向いても留守であった。姉が社交界にデビューした15歳になってからは、夜会のエスコートさえ捕まらない始末。


 あまりのひどさに、両家の親が頭を抱えた。それでも今だけだから、と宥めていたのは姉だった。


 姉の笑顔が仕方がない、というものから悲しみを湛えるようになったのはいつの頃だったか。断りの手紙を見て、瞳を曇らせていた。きっとわたしがあの場にいなかったら、姉は泣けたんだろう。だけど一人にしたくなくて、わたしはいつも側にいた。


 たった一度だけだ。

 姉の目に涙が溢れていたのを見たのは。

 静かに静かに声もなくただ泣いていた。


 それからしばらくして、ロナルドと約束をしたことを教えてくれた。待合場所と時間を告げて、会いに行ってくるわ、お土産を待っていてね。と笑みを浮かべて出かけて行った。


 それが姉と会話した最後だった。



***



 手にした手紙を破り捨てたい気持ちもあったが、これは証拠でもある。思わず握りつぶしてしまってぐちゃぐちゃになった手紙を丁寧に伸ばし、もう一度読み直し、元の封筒へと入れた。


「絶対に許さない」


 初めは姉の受けた心の痛みを二人が少しでも感じてもらえればいいと思っていた。それでも愛を貫き通せるのなら、それでもかまわないと。最悪、ロナルドが後継から降りるなら、離婚したってかまわないとも思っていた。


 だけど、この手紙を見た今。

 そんな気持ちは霧散してしまった。


 絶対に幸せになんかしない。

 多くの障害を乗り越えて結ばれる愛が素晴しいなんて嘘だ。

 その後ろにどれだけの人の思いが踏みにじられているのか。

 ロナルドとルイスなど、姉の涙の上に立っているだけではないか。


 他人の気持ちを踏み台にして作り上げた『真実の愛』なんて、壊さなければ。





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