突き抜けた『真実の愛』理論は理解しがたい
もう何が何だかわからない。
わからないときは悩んでも仕方がないから、聞くべきだろう。
さんざん悩んだ挙句、素直にロナルドに聞くことに決めた。元々、不思議理論なのだ。わたしがどんなに考えても、思いつくとは思えない。そんな慰めを胸に、夫に包み隠さず話すことにした。
「……ということなので、わたしとしては生まれてくる子供をルイス様の子とするつもりはありません。もし、子供が必要であるならば、孤児院に行ってルイス様と養子縁組してもらってもいいでしょうか?」
仕事から帰ってきたロナルドが居間に腰を落ち着けると、何の前振りもなく、ルイスが会いに来たことを告げた。そして淡々と彼の言った内容とわたしの考えを告げる。
突然の内容に、ロナルドは唖然とした。
「は?ルイスの子としてグレースの生んだ子を?」
どうやら一度では理解できないようだ。
そうだろう。わたしだって未だによく理解していない。
いや、違う。
言葉通りの内容は理解できている。彼は単純にわたしの生んだ子をよこせと言っているだけだ。ただその背景やその内容に至るまでの心理的なところが全くと言っていいほど理解できていないだけ、その思考が受け入れられないだけだ。
「それから、突然奪われてしまうのも嫌ですので、できれば契約書の更新をお願いします」
契約書についてはすでにベラに相談していた。ルイスの言った内容をベラに説明すると、こちらもまた唖然としていた。そして、不備がないようにと契約書を作りなおしてくれたのだ。ルイスについては色々と言いたいこともありそうだが、とりあえずそこは言わずにいてくれた。
「何故そんなことに……」
「さあ?なんでもロナルドがルイスが母親になったらきっと素晴らしいだろうと言っていたということと、わたしのお腹にいる子供がとても可愛いと毎日話していると言っていました」
ロナルドが頭を抱えて呻いた。
「その二つを結びつけるなんて……荒業すぎる」
「どういう経緯かわかりませんが、そのつもりがないのであれば、契約書へのサインとルイス様への説得をお願いします」
ロナルドが大きく息を吐いた。
「わかった。契約書はサインしよう。ルイスについては……すまなかったな」
がっくりと肩を落としているロナルドにわたしは聞いてみた。
「ルイス様はわたしが仮の正妻で、本当の正妻は自分だと言っていましたが、どういう意味でしょう?精神的な愛情面ということですか?」
「ああ、多分違うと思う。お茶会を開いたのを話したことがあると思うが、それが女主人の仕事なんだそうだ。夜会も開きたいと言っていたが……やっぱりするんだろうか?」
なんとなく、わかったようなわからないような?
彼はどうしたいのだろう?
女主人ということは、もしかしたら女性になりたいのだろうか。理解するのはもしかしたら一生無理かもしれない。
「わたしはお飾りの正妻で可哀想なんだそうです。確かに夫からの愛情面についてはそうでしょうが……」
「誰だそんなことを吹き込んでいる奴は」
ぽつりとロナルドが呟いた。よくわからず首を傾げた。この様子だと、ロナルド自身がルイスに吹き込んでいるわけではなさそうだ。
「他人からの情報を入手するなら、お茶会の招待客でしょうか?」
「そうだな。ああ、面倒だ。下手に否定したら、変に意固地になりそうだ」
不思議だった。『真実の愛』を極めた二人なので同じように言われるのかと思っていて、ロナルドとはひと悶着あるかもしれないと覚悟していた。子供に関してはロナルドが何を言ってきても渡すつもりは全くないから、それも仕方がないことだとも思っていた。あの儚さが売りのルイスに子供を預けるなんて、不安すぎる。子爵家出身のルイスが侯爵家の跡取りとして育て上げることができるとは思えない。
ふと、そこまで考えて、今日のルイスの姿が思い浮かんだ。
前も儚い雰囲気はあったが、今日の彼はどことなく危うさを漂わせていた。思考にしてもそうだ。普通に考えたらあり得ない方向へ傾いている。
それを肯定してしまうのは気持ちが追い詰められている状態なのだろうか。
わたしの小さな復讐として、子供ができるまでとロナルドと一緒に過ごさせないようにしたり、わずかであるが侯爵家からの接点をなくしたりしているが、追い込みすぎ?
常識的な範囲だから妻の権限としてこのくらいはやってもいいと思うのだが……どうだろう。姉のように少しは苦しめばいいとは思っていたが、精神を壊してほしいとは考えていない。
「こんなことを言うと怒るかもしれませんが……ルイス様、精神的に大丈夫ですか?」
「どういう意味だ?」
「いえ。あまりにもおかしな思い込みだと思ったので。わたしはロナルドを愛していないし、このことはロナルドだって知っていますよね?なのに、わたしがロナルドを心から愛していて、ルイス様に嫉妬していると。わたしは子供を産む道具で、愛しているロナルドから冷遇されていて可哀想だと言う感じで色々言っていました」
真剣な顔で心配されて、言われている意味がさっぱり分からず混乱してしまった。だけど、よく考えてみればその思い込みはおかしい。
わたしは初対面の時に、結婚はイアンとしたいと確かに言っていたはずだ。ロナルドが後継者から外され、イアンがわたしと結婚して侯爵家の後継者にすると現当主であるお義父さまが言ったのを否定して覆したのは彼だ。どの状況を見ても、わたしがロナルドを愛しているという結論は出ない。イアンに心を残していてと責められるならわからなくもないが。
なのに、あの思い込み。
ちょっと異常すぎた。『真実の愛』では説明がつかない……と思う。
「わかった。教えてくれてありがとう」
ロナルドは少し考えてからそう言った。わたしはそれには答えなかった。言ってよかったのかどうか、自信がなかった。
「ルイスのことは気にしなくてもいい」
ロナルドが優しく言った。
「気にするなと言われても」
「もうここにも来ないようにも言っておく」
ふうっとロナルドはため息をついた。
「どうしてこうなったんだろうな?やっぱり素直に後継者を降りればよかった」
「後悔しているの?」
彼の言葉に驚いて聞いてしまった。ロナルドはくすりと笑う。
「ああ。ルイスが嫌がるから後継者を続けることを選んだが、精神的に追い込むのならやめておけばよかったのではと思うよ」
「……ルイス様はロナルドの望みは全て叶えたいと言っていましたが」
「俺にしたら彼の笑顔が一番なんだがな」
そうだろうな、と同意する。
政略結婚であるが、紙きれだけの関係ではないのだから、不快な思いをするのは当然だ。ルイスが彼のためにしてあげたいと願うものはすべてわたしが担っていくのだ。夜会のパートナーとしても、生活のパートナーとしても。
彼に残されているのは、愛している人が帰ってくるのをただ待つことだけ。結婚前に一緒いた時間の長さを考えれば、疑心暗鬼になってしまうほどの孤独を感じるはずだ。
彼はいつ来てくれるの?
まだ愛してくれているの?
そんな感情に捕らわれてしまうはず。ロナルドだってそんなルイスを慰めるのは大変だと思う。愛する人を悲しませている罪悪感を存分に感じて欲しい。
ルイスの中での政略結婚の折り合いがつかなかった原因は、ロナルドがわたしを家族のように普通に大切にしているところなんだと思う。結婚したとしても、夫婦が憎しみあっていればまだ慰められるだろうが、ルイスがわたしを非難しても、ロナルドはそれに同調しない。
ロナルドは姉の婚約者だったし、幼い頃からわたしは遊んでもらっている。付き合いが途切れたのは、ロナルドがルイスと出会った後からだ。だから長い付き合いがあるのだ。ロナルドも心のどこかに妹として存在していたわたしがいるから、家族のように大切にしてくれるのだ。
これで子供が生まれれば、普通の父親くらいの愛情は子供に注いでくれると思う。
彼はそれを間近に見続けなければいけない。
ロナルドが憎む相手の子供なら、単に子供に罪はないと慰めればいいのだが、それができない。自分が愛する人の子供を産めない性だということをまざまざと感じるようになる。
家族愛を持っているわたしの子供を可愛がるロナルドを見るのはどんな感じなんだろう。子供ができれば、子供の繋がりで親子で参加することも多くなるだろうし、ますますルイスは孤独になっていく。そして壊れていくのかもしれない。今でも勝手に壊れつつあるのだから。
わたしはそれを狙っているのだから、効果が出て嬉しい限りだ。むしろ、その葛藤をもっと見せてもらいたい。『真実の愛の進化』へ到達するための苦しさだと思ってもらえたら、死ぬ前には幸せだったと言えるはずだ。わたしも姉の復讐ができて大満足だ。
そう思うのだけど。
本当なら、ざまあ、と小説の主人公のように高笑いするところだけど。
だけど、なんとなく喜ぶ気持ちが萎んでいっていた。