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1人目を妊娠しました



「おめでとうございます。ご懐妊です」


 あまりの気持ちの悪さに起き上がれなかった日、往診に来た医師が満面の笑みを浮かべてそう言った。ベッドの上で青い顔をしていたわたしは思わず聞き返す。


「今なんて……?」

「ご懐妊です。3か月です」

「本当に?」


 突然のことで真っ白になった。こんなに唐突に来るなど思ってもいなかったのだ。部屋の隅で診察の様子を見ていたベラが嬉しそうに近づいてきた。先ほどまでは心配で不安そうな色を見せていたが、今は笑顔だ。


「おめでとう」

「お義母さま」


 そっとわたしを抱きしめた後、医師に向き直る。


「先生、どうかこれからもよろしくお願いします」

「はい。若奥様は悪阻がかなりひどい体質のようです。あまり無理せずゆったりとした気持ちでお過ごしください」

「わかりました」


 そんな会話をしていたが、実は余裕はあまりなかった。とにかく気持ちが悪いのだ。胃の仲は空っぽのはずなのだが、それでも何かがこみ上げてくる。


「少しおやすみなさい。横になっているだけでも違うわ。わたしは先生のお見送りの後、食べられそうなものを料理長と相談してくるから」


 侍女にいくつか言付けて、ベラは部屋を医師と出て行った。

 侍女も部屋を整えてから、何かあれば呼んでくださいと、一言断りを入れてから隣の控室へと移動した。ようやく一人になった部屋でほうっと息を吐く。なんとなくベッドで丸くなっていると気分が和らいだ。


 ロナルドからルイスの仕事について相談を受けてから5か月。

 よほど離婚したくないのか、普通の時間に本宅へ帰ってくるようになった。


 子供を産むために結婚したようなものだから、子供を作る努力ができないようなら簡単に離婚できるように契約内容には盛り込んでいた。他にも色々細かく指定してあるのだが、これが一番重要だ。


 半年も努力を怠ったのだから、ロナルドはわたしと離婚するつもりだと思っていた。二人で過ごせる時間が少なくなれば、当然、現実が我慢ができなくなると思っていたし、最終的にはわたしと離婚して後継者から降りるのだろうな、と。無難な結末ね。


 すでに婚約期間を含めてわたしが割り込んで2年。毎日、一緒に暮らしていたのに、ほとんど会えない状態になった。二人の真実の愛?とかいうやつが、再度、愛が燃え上がり、やっぱりお互いだけを選んで何もかも捨てる。世間が好む美談になる流れだ。


 私にしたら離縁になるのだから不名誉のことであるけど、貴族界では有名な二人である。わたしについては二人の派手な噂ですぐにでも消えるはず。

 わたしとしても少しの間だけでも嫌がらせ、いや、復讐ができたのだから万々歳だ。離縁という不名誉は復讐の代償であればトントンだと思う。再婚は難しかもしれないが、離縁するときにでもまとまったお金をもらえば、今後の生活はどうにかなるはずだ。


 ぼんやりとそんな未来を描いていたけど。


 ロナルドに離婚を考えていると伝えた結果、彼は予想外の行動に出た。


 彼はルイスの求めている夜会や茶会へエスコートしない埋め合わせを休日や昼間の時間でやり始めた。夜一緒にいられない離れた時間がスパイスになるくらいには、ルイスにとってもロナルドの行動は新鮮だったのだろう。

 不満が一転、うっとりと恋焦がれる時間に変わったことを知って、『真実の愛』ってすごいんだと本気で感心した。


 何故こんな細かいことを知っているかというと、ロナルドとの毎日の会話の中でさりげなく報告されている。今日の休みはこう過ごしただとか、昼間はどこに行ったとか。


 初めはどうでもいい話だと聞き流していたが、日に日に変わっていく二人の様子に、どこかの芝居を見ているような楽しさが芽生えてしまっていた。


 多くの障害を二人の努力で乗り越える。


 これこそ、『真実の愛』なんだろうと。

 婚約者がいたわたしには到底経験することのない境地だ。もし生まれ変わったなら、わたしも『真実の愛』を経験してみたいとまで思えるほどにぐっと心を掴まれた。


 その話の中で突き抜けたエピソードも多々ある。どれもこれも秀逸だが、特に驚いたのはルイス主催のお茶会だ。学生時代にルイスを巡ってライバルであった男どもを呼んでお茶会モドキをやったらしい。


 その話を初めて聞いた時、首を傾げた。お茶会は基本的には女主人が友人や知人を家に招いて開くものだし、女主人の腕が試されるところでもある。


 わたしの中ではそれが常識であった。社交界へのデビュー以来、そのようなお茶会にしか参加したことがなかった。男性が開く男性だけのお茶会は初めて聞いた。


 わたしの知識や経験なんて20年しかない。もしかしたら他国にはあるのかもしれないし、皆がこっそりと行っているのかもしれない。


 そう思いつつも、同時に疑問もわく。


 その集まりはお茶会というのだろうか。普通に友人の訪問としてはダメなんだろうか。男性だって普通に友人と集まってお茶くらい飲むだろうし、お菓子だってつまむだろう。それを敢えて女性のような茶会と称した気持ちがよくわからない。


 だが、相手は男の愛人。その行動がわたしの理解の範囲を軽く超えてきても当然かも。


 なんだろう、このドキドキ感。

 あり得ないと思っている常識を軽やかに吹き飛ばすエピソード。


 傍観者としてこれほどいいポジションはないのではないだろうか。わたしはもしかして、一生この位置から二人を見ていくことになるのではないかと。


 そんな状況の中、子供ができた。


 なんてベストなタイミングなの。契約内容の通り、ロナルドはわたしのところではなく、ルイスのところへ毎日帰ることになる。これで二人は濃厚な愛し合う時間が取れる。『真実の愛』を熟す時間となるはずだ。


 そう、さらなる『真実の愛』の進化が見えるはず。

 どんな進化なのかしら?

 全然、想像できないわ。わたしなんかでは想像できないくらい、突き抜けた何かになるはず。


 つらつらと色々と思い巡らせながら、暖かなベッドの中で微睡んだ。



******



 わたしが妊娠したのだから、ロナルドは以前のようにルイスと甘い生活を送るものだと思っていた。それなのに、彼は妊娠前と変わらず、本宅に帰ってくる。

 色々な意味で不機嫌に眉を寄せると、休んでいるベッドに近づいてくる夫にこれ以上近寄らないようにと告げた。


「何故……」


 わたしに強く拒絶されて悲しそうな顔をするが、そんなもので許せるわけがない。匂いを嗅がないように口と鼻を手で覆う。


「そのルイス様の移り香が気持ちが悪いです。申し訳ありませんが、しばらく彼のところで暮らしてください」

「匂いがダメなのか?」

「ええ。食事の匂いもダメなくらいなので」


 ロナルドはため息をつくと、肩を落とした。


「では、ルイスのところにはしばらく行かないでおく。それなら君と過ごしてもいいだろう?」

「は?」


 ロナルドが何を言っているのかさっぱりわからない。眉間の皺を自らぐりぐりと伸ばしながら、確認した。


「契約ではわたしが妊娠したら好きにしてもいいとしていましたが。本当に次の子供を計画するまでは、わたしのことを気にすることなくルイス様の元で過ごされてもいいのですよ?」

「そうだったな。だけど、君のお腹には俺の子がいるんだ。見守りたいと思うのは普通だろう?」

「そう……なのですか?」


 なんだかよくわからない。ロナルドはさらに続けた。


「君にしたら俺の気持ちは不思議だろう。俺にしてもきちんとこの気持ちを理解できていない。だが、君の側は心地よいし、できる限り小さな命を守りたいと思っている」

「それは……ありがとうございます?」


 ロナルドは理解できていないわたしを見て、声を立てて笑った。


「では着替えてくる。匂いが落ちたら抱きしめてもいいだろう?」

「ええ、まあ」

「ちょっと待っていてくれ」


 一人残されて、呆然とした。


「何、あれ」


 もしかしたら子供ができたことで、父性愛に目覚めた?

 だけどちょっと早すぎるような気もする。男性が父性愛に目覚めるのは子供が生まれてからと誰かから聞いたことがある……誰だったかしら?


 まさかの、わたしへの愛情?


 確かにルイスへの関心を薄めるために、ルイスの嫉妬を掻き立てるように、ロナルドには好かれるように接している。政略結婚で愛人がいるような相手だと夫婦間がギスギスするのが普通であるが、そうならないように注意していた。


 罵り合う憎悪を伴う障害は愛を手が付けられないほど燃え上がるのだ、とお茶会で色々な夫人から教えてもらっていた。燃え上がるような激しい『真実の愛』は、ぼやを起こすから気を付けようと思ったものよ。

 ロナルドにはわたしと一緒にいる心地よさを、ルイスには少しずつ現実を見せつけるように振舞って、突然引火しないようにしていたけど、この反応は想定外だ。


 どう受け止めていいのかわからないが、愛情ではないとしておこう。

 だって、今のわたしは結婚当初とは違って嫌がらせの復讐をしつつ、『真実の愛の進化』が見たい。突き抜けて、行きつく先をどうしても見てみたい。


 だからこそ、今の『真実の愛』を熟す時間は絶対に、絶対に必要。妊娠期間程、適した時間はない。


「グレース、ハーブティーを貰ってきた」


 まだ湿っぽい髪をしたロナルドがポットを手に入ってきた。近寄ってきても、先ほど嗅いだ匂いを感じなかった。ほっと安心して体から力が抜ける。

 ロナルドはポットをサイドテーブルに置き、カップに注いだ。そのカップを受け取って、一口飲んだ。


「ああ、美味しいわ。今日はペパーミントティーね」


 ベラが悪阻のひどいわたしのために複数種類の悪阻を緩和するお茶を取り寄せていた。じっとわたしの様子を見ていたロナルドが手を伸ばし、私の髪を指に絡めた。


「少し痩せたな」

「そう?あまり食べられていないから」


 悪阻がひどいと吐いてしまうため、今はスープや口当たりのいいものを選んでもらっていた。料理長がお腹の子供がちゃんと育つようにと用意をしてくれているが、前ほど量が食べられていない。だから、痩せたと言われても不思議はなかった。


「子ができるのは何とも不思議な感じだな」


 するりと髪を指から解くと、そのまま優しくお腹に手を当ててくる。


「まだ気持ちぽっこりしているだけです」

「そうか。もう動くのかと思った」


 思わず笑みを浮かべた。


「ロナルドでも知らないことがあるのね」

「沢山あるさ。夫婦生活がこんなにも心が満たされることも知らなかった」


 あら、普通の仲の良い夫婦のような会話じゃない?


 なんだかよくない空気を感じながら、ロナルドのどこか幸せそうな笑みを見つめた。彼の瞳はわたしのお腹に向けられ、さほど膨らんでいないお腹を優しく優しく撫でている。


 ねえ、二人の『真実の愛』、死にかけていないかしら?

 あれほど感動的だった『真実の愛』、これで消えてしまうことってあるの?

 わたしは『真実の愛の進化』を見ることはできるの?


 なんだかとっても……心配になってきたわ。





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