妻の権限に手を出すなんて理解できません
なんだかんだで、1年が過ぎた。
もちろん、公爵家の嫁は色々と忙しい。特に夜会を開く準備やお茶会の準備など、主催者側になることも多い。招待する客の立場、好みなど色々と気を配ることも必要だ。ベラの手伝いをしながら、どんなもてなしをするのか、確実に覚えていく。
最近は事業が拡大したためか、他国の貴族をもてなすことも増えてきた。もちろん、他国の貴族をもてなすことになると、さらに覚えることが増えてくる。属する国の文化や流行、深く知る必要はないが、話題に上がっても会話ができるくらいにはならないといけない。それそれで大変であるが、楽しいことでもあった。欲を言えば、わたしも他国に行ってみたいと思う。それは夫妻で訪れるのを見ているせいかもしれない。
「そういえば、イアンのところに子供ができたようね」
「聞いています。フィーネと結婚して半年。羨ましいですわ」
ほうっと嘆息する。わたしと婚約白紙になったイアンはわたしが嫁いでしまう関係もあり、従妹であるフィーネがクラーク家の跡取りとなり、イアンと結婚した。わたしと姉が置き換わったので、わたしとフィーネが置き換わったということだ。イアンとしては予定通りにクラーク家に婿入りした。それだけはよかったと思う。しかも、彼はわたしよりもフィーネの方が好きだったから内心、ウハウハに違いない。
そして、この1年、残念なことにわたしは妊娠はしなかった。
結婚から半年はそれなりの頻度で励んではいたが、その後はロナルドの問題だ。仕事が忙しいと、帰ってくるのがここ半年、遅くなっていた。夜半過ぎに帰ってくることがほとんどだ。ロナルドは仕事だと誤魔化しているが、ルイスのところへ行っているのはすでに報告されている。
「ねえ、グレース」
ベラが新しく手に入れたお茶を味わいながら、切り出してきた。わたしはお茶の説明に目を落としていたが、呼びかけられて顔を上げる。
「何でしょう?お義母さま」
「あの子はバレていないと思っているのかしら?」
「ええ、おそらく」
困ったこと、と言う様にベラは首を左右に振った。
「仕事場は筒抜けなのに。ちょっと抜けているところが、ロナルドの可愛いところですね」
「そうかしら?あなたはそれでもいいの?」
わたしはちょっと笑った。
「申し訳ないのはわたしの方です。結婚して1年、子供ができませんでした」
「仕方がないでしょう?あの子が貴女が起きている時間に帰ってこないのだから」
「……少し、ロナルドと距離を置いた方がいいのでしょうか?」
「どうかしら?今度、話し合ってみては」
そうします、と答え、すぐに話題は今王都で流行っているドレスや宝飾品の話に移っていく。
話し合いか。
まあ、そろそろそうしないとお互い困るわよね?
というか、半年しか約束が守れないってどうなのよ???
******
ロナルドを捕まえて話し合いをするためには、夜遅くまで待っていなくてはならない。
わたしは寝室の続きの間の長椅子にゆったりと座り、お茶会で勧められた本を読んでいた。なんでも女性に人気の物語らしい。あまりこのような本は読まないから、新鮮で面白い。
かちっと小さな音と共に、扉が開く。ようやく帰ってきたようだ。
「起きていたのか」
驚いたように呟いたのはロナルドだった。わたしは手にしていた本に栞を挟み、テーブルに置いた。
「お帰りなさい。少し話があるので、待っていました」
「……帰りが遅くなってすまない」
ふわりと不快なにおいが漂ってきた。わたしは顔を顰め、バスルームを使うように告げた。
「しかし、それでは休むのが遅くなって」
「そのような他人の性の匂いをさせているのは不快ですわ。十分落としてください」
ロナルドはばつの悪そうな顔をして、言われるままにバスルームに消える。彼がバスルームに入り、シャワーの音が聞こえてきてからため息をついた。
想像以上の不快感だ。もしかして今日だけじゃなく、ここ半年、愛人を抱いてからここに戻ってきてシャワーを浴び、同じベッドで寝ていたのだろうか。そう思うと、鳥肌が立つ。潔癖ではないはずが、こればっかりは受け入れそうになかった。せめて数時間前とかでなければ、納得できそうな気がするが。
「待たせたな。話とは?」
「ええ。なんだか結婚当初の約束が守られていないようなので、どうするつもりか聞きたかったのです」
ロナルドは顔色を悪くした。すぐにわたしの側に寄って、手を取ろうとする。だが、わたしはその手を無意識に払った。
「やめてください。気持ちが悪い」
「グレース」
「どうするつもりか聞いて、離婚するかどうか決めようかと思っています」
ロナルドは長椅子にどさりと腰を下ろした。まだ濡れている髪からぽたぽたと雫が垂れる。色っぽいのだとは思うが、今は嫌悪感の方が強い。早く話を終わりにして出て行ってもらいたかった。
「グレースと離婚はしたくない」
「ですが、すでにここ半年まともに帰ってきていませんよね?わたしは言ったはずです。子供ができるまでは我慢してくださいと」
「わかっている……!わかっているが」
ロナルドは息を大きく吐き出した。
「相談なんだが……ルイスに仕事を与えてやれないか?」
「仕事、ですか?」
「ああ」
不思議に思い首を傾げた。ルイスがしなくてはならない仕事など、わたしが持っているはずがない。
「例えばどんな?」
「そうだな……夜会の準備や茶会の準備とか」
「無理ですわ」
あり得ない内容に笑ってしまった。
「ロナルドはキャンベル侯爵家を笑いものにしたいのですか?どこの貴族の家に、愛人に、しかも男性の愛人に準備を手伝わせる者がいるのです。品位を疑われます」
「だが……」
「彼はロナルドの私設秘書なのでしょう?仕事はそちらにあるはずですわ」
ロナルドが再び息を吐き、両手でぐしゃぐしゃと髪を掻いた。
「ルイスができる仕事なんてそれほどないんだ。初めは侯爵家経由で来る手紙に断りの返事を書いていた。あとはちょっとした買い物や衣装の手配などだ」
「その中でわたしが取ってしまったのは侯爵家経由の手紙だけです。それなのに、夜会や茶会の手伝いにどうつながるのです?彼は男性ですよね?そもそも主催したことがあるのかしら?」
思い浮かぶ疑問を続けて口にした。ロナルドは口を挟まず疲れたように頷く。
「したことなどないだろうな。夜会や茶会は貴族夫人の役割だ」
「それなのに、手伝いたいと。そう言っているのですか?」
「ああ」
意味が分からない。
沈黙が部屋の中に重苦しく漂う。
「あの」
「なんだ?」
「ルイス様は正確には何を望んでいるのですか?」
埒が明かなくなって、ついに聞いてしまった。
ロナルドは何度か口を開いて、言葉にすることなく閉じてを繰り返した。そして、諦めたように話し始める。
「夜会に俺にエスコートされて参加したいと」
「はい?」
これほどおかしな話はない。驚きのあまりに目を見開いた。
「茶会にも俺と一緒に参加したいと言っている」
「申し訳ありません。理解できません」
ぐりぐりとこめかみを揉んだ。同性の愛人が夜会にエスコートされて出席することなどあるのだろうか。同じく茶会にも。夜会も茶会も社交だ。異性の愛人であっても、妻がいるのに愛人をエスコートして出席するのはこの国ではタブーだ。
愛人が堂々とエスコートされるのは、どちらも独身の場合のみ。
その場合は愛人関係というよりは恋人同士という見方だ。ただ、それも同性同士の恋人はあまり当てはまらない。認めらえているとはいえ、やはり日の目を見ない関係だからだ。同性の愛人は許されても、婚姻関係が結べないのがその証拠だ。
どちらにしろ、妻を差し置いて愛人がエスコートされて夜会などに参加することなど、ありえない。
「無理だと何度も言っているのだが、ヒステリーを起こすばかりで」
「今までもエスコートしたことがあったのですか?」
「いや……友人宅の茶会に一緒に訪問したことがある程度だ」
なんとなくこの半年何が起こっているのか理解した。
ようするにロナルドがわたしと結婚し、両家が本格的に資本提携したため、事業が拡大した。そのためロナルドは忙しくなる。その上、わたしとの契約で1か月のうちほぼ3週間は本宅で生活だ。
一人でいる時間が長くなったことと、今まで数が少なくとも招待状の件で連絡が本宅からあったのがなくなったこと、合わせて華やかになった本宅を見て疎外感を抱いたのだ。
疎外感も何も元々がそうであったのに。比べる先ができてしまって、ひどく変わってしまったと思ったのだろう。
「失礼ですが、ルイス様は学生時代、かなり優秀だったと聞いております」
「そうだな。学生時代は成績は良かった」
「どうして普通の仕事をしないのですか?」
「仕事は……したくないと言っていたから」
なるほど。釣った魚が大きかったから、働くつもりはないと。
バカだ。バカすぎる。
「わたしが彼にさせる仕事はありません。そちらでどうにかなさってください」
想像以上に置かれた状況だけでルイスの精神を追い込んでいることだけが分かった。やはり嫉妬されることには慣れていても、嫉妬することには慣れていないのだろう。読み通りと言えば読み通り。
……というか、自滅していることが理解できた。
うん。復讐が成功していると考えておこう。ここは一発、高笑いだ。
おーほほほほほ。正妻に勝とうなんてありえませんわ!
どうかしら?
先ほどの読んでいた小説のセリフですけど?
……わたしも少し疲れているようだわ。