【小話】人生は山あり谷あり? - ルイス -
これは、貞操の危機というものだろうか。
ベッドに体を押し付けられ、手足が動かないように全身を使ってがっちりと抑え込まれている。窓から差し込む光に自分を抑え込んでいる人物の影が浮かんでいた。部屋の仄かな明りと窓からの弱い光に表情が少しだけ見える。口元に笑みが浮かんでいた。
どことなく楽しげな雰囲気にきゅっと唇を噛み締めた。きっと僕が力で跳ね除けることができないと分かっているのだ。体を何とか捻ってみるが、抑え込んでいる人は全く動かない。
「ちょっと、やめ……!」
ぺろりと首筋を舐められて、体を竦めた。避けようにも、力強く組み敷かれてしまってはどうにもならない。器用な手が僕を押さえつけたまま、シャツのボタンの外していく。空気の冷たさに、はだけた胸元がぞくりと粟立った。
ゆったりと、剣を握り慣れたごつごつした手がふくらみのない男の胸に置かれた。確認するように何度も何度も撫でる。ただ撫でているだけでなく、どことなく官能を呼び覚ますような手の動きに息が詰まった。
「ふうん。ルイスはやはり男なのだな」
「男以外に見えるか!」
「ん?十分見えるぞ。きっと華やかなドレスがよく似合うだろうよ。今度、贈ってやろうか」
揶揄うような言葉を吐きながら、するりと宥めるように頬を撫でられた。そのまま遠慮なく下半身をまさぐられる。優しく追い立てる動きに、次第に息が荒くなっていく。
ああ、神さま。どうしてこうなったのか。どうやら僕は人生で初めて女に抱かれるようだ。
……。
あれ?もしかして僕が抱くの?
え、ウソ。
できる気がしない。
******
ロナルドと気まずい別れがあった後、僕はそのまま国外にいる叔父であるケヴィン・ベルマンのところへ身を寄せた。ケヴィンは久しぶりに会いに来た僕を見ると、やれやれといった顔になった。今までも交流がなかったわけではない。彼の住まいが国外であるため、主なやり取りは手紙だった。
きっと僕が何をしたのか知っているのだろう。僕もケヴィンになら聞かれたら素直に答えるつもりでいた。だけど、彼は僕には何も聞かなかった。
「ようやくこっちに来る気になったか。気が済んだのか?」
「うん。多分、ロナルドはグレースと幸せになれるよ」
ケヴィンはぽんぽんと昔と変わらない要領で頭を優しく叩いた。
「叔父さん、僕、もう30歳になるんだけど」
「ああ、お前もそんな年か。大丈夫、まだ需要はあるさ」
何の需要か不明だが、追及しないことにした。ケヴィンはずっと独身であるが、恋人がいないわけではない。男も女も色々、その時々に好きになった相手と恋人関係を作っているのだ。次男の気安さという処なんだろう。
仕事さえきちんとしていれば構わないとケヴィンの兄、僕にとって伯父であるベルマン男爵の大らかさがあるから許されているようなものだ。自由に恋愛をしたいために貞操観念が緩いこの国で暮らしているのかもしれない。
「色々あって疲れただろう。少しゆっくりしなさい」
「もう暇はいいよ。できれば仕事したい」
「うーん、じゃあ、まずは夜会にでも参加してみる?人を覚えていくと今後の仕事も楽だからね」
そんなわけで、僕は夜会回りをすることになった。
***
この国の夜会はとても開かれていた。
祖国では産業が中心であっても貴族位が中心であり夜会といえば貴族の集まりだ。それに対して、この商業を中心としたこの国では夜会といっても貴族だけではなく、貴族の身分のない商人や文官でも招待状さえあれば身分は問わないのだ。
だから僕のような国外の貴族の生まれの者も簡単に参加することができる。僕は交友範囲の広いケヴィンの甥であったため、夜会でも挨拶ができるほどの知り合いがそれなりにできていた。
その中で知り合った人から彼女を紹介されたのは、3回目の夜会だった。彼女は貴族の令嬢であったが、軍人をしている変わり種らしい。軍属と言っても令嬢なのだ、軍属専門の文官だと思い込んでいた。
だが、実際紹介されて変わり種と言っていたことに納得してしまった。
彼女は僕よりも頭一つ分ほど背が高く、女性の骨格ではあったが鍛えられた体をしていた。柔らかそうなところは女性しかない胸の丸みぐらいだろうか。……というか、軍服を着ているので全く女性らしく見えなかった。瞳は鋭く、顔立ちはとても貴族らしく整っていた。うねる髪は少し短めであったが、後ろで括られている。やや男性よりの中性的な美しさだ。なんというのだろう。男臭さや粗野感がなく、女性が好みそうな姿をしていた。
「初めまして。アリーシャと呼んで欲しい。貴殿は美しいな」
そんな固い口調で挨拶された。これで25歳だというのだから驚きだ。僕よりもよほどしっかりしている。差し出された手を握り、こちらも挨拶した。握った手は女性の柔らかな手ではなく、剣を握り慣れたタコの多い手だった。
「初めまして。お褒め頂いてありがとうございます?」
語尾が上がってしまったのは許してほしい。実際褒められているのか、貶されているのか、わからなかったのだ。彼女、アリーシャ・レグナーは屈託なく笑った。
「褒めているのだ。わたしは貴殿のような美しい男性が好きなのでな、つい味見をしたくなる」
「……」
なんだか変な含みを感じた。気のせいかもしれないし、そうでないかもしれない。
そこまで考えて、自分の考えにおかしくなった。僕は女性に好かれるタイプではない。どちらかというと男性に好まれるタイプだ。
きっと冗談の類なのだろう。恋愛に奔放なこの国らしい。
にっこりと笑みを見せて直接言葉を返すことを避ける。彼女の問いには答えていないが、まあいいだろう。そこそこ会話をすると、次へと移っていった
これが彼女、アリーシャとの出会いだった。
***
何度目の夜会だったか。
色々な人と知り合いになり、ケヴィンにも一人で大丈夫だろうと判断されて一人で出席していた夜会だった。きっと慣れてきて気が抜けてしまったのだと思う。信じられないことに、酒に酔ってしまったのだ。
まずい、と思った時にはすでにくらりと体が揺れた。
「気分が悪いのか?」
ふらつく僕を支えたのはいつの間に側にいたのかアリーシャだった。驚きとともに顔を上げた。彼女は僕の腕をがっちりと掴んで体を支えてくれていた。少しだけ笑みを浮かべ、謝罪する。
「申し訳ありません。少し、酔いが回ったみたいで」
「ああ、この酒を飲んだのか」
何とか零さないように持っていた僕の飲みかけのグラスを空いている方の手で取り、飲み干す。その行動が信じられず、唖然とした。何故、残った酒を彼女が飲み干したのか理解できずにいた。
混乱する僕にかまわず、彼女は近くにいた給仕の者に空いたグラスを渡している。その間も僕の腕を掴む手は緩まない。
「この酒はこの国の者は好んで飲むが、他国の方には少しきつい」
「そう、なんですか」
なんでそんな酒を置いておくのか。内心盛大に罵りながらも、大きく息を吐いた。くらくらしていた頭もちょっとづつ治ってきた。一時的にかっと酒が回っただけのようだ。
うん、馬車に乗れば大丈夫そうだ。
今日は一人で参加しているため、落ち着いたところで退散することにした。このままいても、いいことがなさそうな気がしたのだ。
「ほら、こちらだ」
ところが、僕が断る間もなく、アリーシャは僕を引きずるようにして会場を離れた。彼女は僕のことなどお構いなしに、会場を抜け、庭を突っ切る。薄暗い庭園は色々なところに人の影を浮かび上がらせていた。時折、艶めかしい声が漏れてくるのだから、気になっても人影には視線を向けられない。
どのくらい歩いただろうか、彼女が連れていた場所に僕は眉を寄せた。こんなにも奥に入り込んで大丈夫だろうか。そんな心配だった。言葉にしなくとも、態度で分かったのか、アリーシャがくすりと笑う。
「この屋敷はわたしの知人宅でな。一泊するようにと用意されていたのだ」
そう言いながら通されたのは、豪華な客室だった。いつでも休めるようにしているのか、部屋の明かりは抑えられていた。アリーシャは僕を広いベッドに座らせると、サイドテーブルに置いてあった水差しからグラスに水を入れ、僕に渡す。
「気分がよくなる」
一口、飲み込むと冷たい水が喉を通った。火照った体が少しだけ楽になる。ほうっと大きく息を吐きだした。
酒に酔うなんて、本当にどうかしている。酒に酔って不要な醜聞を作るところだった。それにあのまま倒れてしまったら、ケヴィンが仕事を任せてくれなくなってしまう。過保護な伯父は僕が幾つになっても過保護だ。特に手元にいる今はかなり制約されるはずだ。
残りの水を一気に飲み干すと、さらに気持ちがすっきりした。アリーシャが空のグラスを受け取ると、サイドテーブルに置く。
「貴殿は……」
「ああ、ルイスで構いません」
アリーシャが堅苦しく呼ぶので、つい、言ってしまった。彼女は驚きに目を見張ったが、すぐにとろりとした笑みを浮かべた。その笑顔を見て、女性だったら一発で落ちるんだろうなとどうでもいい感想を持った。
「ルイスは警戒心がないのか?」
「はい?」
警戒心?アリーシャ相手に?
そんなことを思っている間に、ぐっと体を倒された。のしかかられて、唖然とする。僕の上から覗き込むアリーシャを見つめた。彼女の美しい緑の瞳に自分の呆然とした間抜けな顔が映っている。
まさか、女性に襲われるとは思っていなかった。力に任せて、抑え込まれるとは……!
慌てて押しのけようとするが、彼女の押さえる力は強い。体格が違うとはいえ、女性の力だと思っていた。それなのに、全くびくともしない。自分の非力をこれほど呪ったことはなかった。
「体の相性が良ければ、わたしはルイスと結婚したい」
「は?」
理解できない。頭の中が真っ白になる。アリーシャは笑った。
「わたしは軍人で女だが、伯爵家を継がなくてはいけないんだ。だが、どうも気に入った男がいなくて困っていたんだ」
「……僕は貴族令嬢が結婚できるような人間じゃない」
「知っている。ロナルド・キャンベル次期侯爵の愛人を10年以上していたのだろう?」
僕は黙ってアリーシャを見上げた。彼女はひどく真面目そうな顔をしている。できればこの拘束を解いてほしいのだが……何度やっても力の強さで押しのけるのは無理そうだった。
「気にならないと言えばウソになるが……ルイスの経歴を調べる限り、女は初めてのはずだ」
「それは」
「逆にわたしは処女ではない。安心して身を任せるがいい」
なんか、なんか違う……!
反論しようとしたが、すぐに唇が塞がれた。息までも吸い取りそうな強引な口付けはとても上手だ。唇が解放された時には、息が上がっていた。息が上がってしまった僕を見下ろしながら、彼女は続けた。
「ルイスとの結婚に反対する者はいない。反対しても沈めるだけだ。問題ないだろう?」
沈める、って。何だか問題だらけのような気がする……!
こうして僕はアリーシャと関係を持ってしまった。彼女の宣言通り、とても気持ちがよかった。女性と関係を持ったのは初めてであったが、僕でも役に立つんだとぼんやりしながら思った。ベッドで後ろからアリーシャに抱きしめられたままじっとしていた。アリーシャは何が楽しいのか、僕の髪をいじって遊んでいる。
「さて、結婚については任せくれ。ルイスが素晴らしく可愛らしく見えるようにわたしが自ら整えよう」
「あああああ」
どう反応していいのかわからないが、彼女から逃げられないことだけは理解した。
ねえ、ロナルド。
僕は女性と結婚することになったよ。
驚いただろう?僕だってびっくりだ。
ルイスを幸せにしてみたいと思い、結婚相手を作りました。
きっとこのまま幸せになってくれるはず。