わたしは妻として頑張っていますわ
結婚生活は順調に始まった。すでに結婚して3週間、経過している。初めの2週間はばたばたして忙しかったけど、今週に入って落ち着いてきた。
予想通り、ルイスをそのまま側に置けるとあって、彼はあっさりと契約書にサインした。ゆっくりと現実的に考えれば非常に大変だと思うのだが、そのあたりはどうでもよかったようだ。きっと、別れなくてよくなったことだけに注意が向いたのだろう。
彼がサインしたことですぐに結婚準備が始まり、婚約半年というスピード婚だった。貴族の結婚としては色々あり得ないのだが、実現できるところに両家の金の威力を感じる。
結婚式?
ああ、盛大にやったわよ。だってこの国の二大侯爵家の結婚式だ。それはもう、王族かと見間違うほどの豪華なものだった。
驚いたのは愛人が非常識にも白のフロックコートを着ていたところだ。ロナルドが苦笑いして、着替えるように言っていたけどどこか不満そうだった。
ほらね、驚くわよね。だって、ロナルドのモーニングと合わせてわたしのドレスが誂えられているのよ。それなのに、ロナルドのモーニングに合わせたフロックコートだもの。3人そろって立っていたら、招待客も驚きで声も出ないと思う。下手したらわたしの愛人かと思われるわ。
しかも、新郎の横に秘書だと言い張って愛人が居座りそうだった。流石にそれはまずいとロナルドが部屋に留めたようだけど、その後どうしていたかは忙しすぎてうろ覚えだ。
あら?でも会場にいたわね。ちゃんと無難な普通のフロックコートに着替えていたような気もする。
確か……そう、学生時代の親友という男と一緒にだったはず。
自虐的よね。自分の愛する男の結婚式を見に来るなんて。
だって、結婚式よ?
ここぞとばかりに、仲の良さをアピールするわけだから。ロナルドは手馴れた仕草でわたしにキスをしたり、抱き寄せたり、過剰なほどのスキンシップを見せるんだもの。きっと彼にもやっているんだろうけどね。でも公の場ではわたしにしているのを見ているしかない。
それに、彼らは知られていないと思っているけど、ロナルドとルイスの愛人関係はほぼ貴族なら皆知っている。
貴族だから別に同性の愛人を持つことは普通。
変な跡取り問題が発生しないから、どちらかというと推奨されているほどだ。確か、王族の方も何人か同性の愛人がいたはずだ。
とにもかくにも、結婚式は盛大に行われ、沢山の祝福と共にわたしはキャンベル侯爵家の嫁になった。約束通りにロナルドは本宅へと毎日帰ってくる。一緒に食事をして、今日一日の出来事を話し、困ったことを相談して。普通の夫婦生活を楽しんでいる。
あ、これが条件その1よ。
月の半分以上はわたしが妊娠するまでは本宅に帰ってくること。
うふふふ、これからも一緒にいることを許されて、今までと同じだと思ったかもしれないけど、わたしには跡取りを産むという使命があるわ!妊娠する前に愛人宅へ入り浸りさせるわけないじゃない。子供ができたら今までと同じようになるのだから、約束通りに頑張るしかないわよね。
もちろん本宅での暮らしなので、彼の両親も一緒だ。ベラもとても親切だから、わたしの足りないところをきちんと教えてくれるし、どうしたらいいのかアドバイスもくれる。やはり同じ侯爵家といえども、家が変われば当たり前のことが当たり前ではないのだ。小さな差異を見つけながら、ベラの仕事を手伝っている。こんな結婚はどうなんだと思っていたけど、案外、楽しめている。
「グレース」
夜になって、優しくキスされる。うっとりとしながら、彼を受け入れてもたれかかった。
「早く子が欲しいわ」
そう彼に囁いた。ロナルドはうん、と首を傾げてくる。
「だって、愛し合っている二人の邪魔になりたくないもの。わたしの役割を早く果たして、二人の時間を増やしてあげたいわ」
「……気にするな。俺は君を結構気に入っている」
小さなキスをしながら、彼が言う。
「嘘ばっかり。本当は廃嫡されて彼と二人っきりがよかったのでは?」
くすくす笑って、本心を探る。
「あの時はそうだな。でも、君の側はとても居心地がいい」
そりゃそうだ。ロナルドをわたしの方へ向けるために頑張っているんだもの。こんなにも都合のいい妻何て、早々いないわよ。愛人に理解があって、自分の役割を文句も言わずに果たして。挙句の果てには居心地がいいようにと気を配って。
まあ、彼との閨も意外と好きよ?
流石に年が8つも離れているせいか、とても上手い。経験のないわたしでも、初日でさえ辛さを感じたのは本当に最初だけだ。時々、次の日に動けなくなるほど責められるのはどうかと思うけど。
本当は心配していたのよね。実は男にしか欲情しないんじゃないかって。わたしってほら、意外と胸があるし……男のような体つきではないから。
「他のことは考えるな」
返事をする前に噛みつかれるようにキスされた。
******
「どうしました?」
あり得ない場所にありえない人がいて驚いた。わたしはこれから茶会に出席するため、身なりを整えて玄関へ向かう階段を下りていた。
玄関では執事とあり得ない人物ルイスが押し問答している。不思議に思って声を掛けると、執事が困ったように説明を始めた。
「奥様にお会いしたいとおっしゃっています」
「お義母さまなら、お留守です。先触れを出されましたの?」
ルイスはどこか取り乱したような様子だ。何があったのかよくわからないが、ここは侯爵家本宅。愛人が騒いでいい場所ではない。当主夫人に会いたかったら、先触れを出して約束を取り付けるのがルールだ。
「いつも会う必要がないと、返されるのです」
「なるほど。ですが、今日はお義母さまはお留守ですし……もし困ったことがあるのでしたら、お手紙をお出しになるか主人、ロナルドに相談なさったら?」
とても常識的なことを言ってみる。ルイスは思いっきりわたしを睨んできた。
「今まで僕はロナルドの秘書として仕事をしてきたんだ。侯爵家の行事でも彼の関係することはすべて僕の仕事だ。それなのに、情報を全く開示されなくなって……!」
要するに今までやっていた侯爵家の仕事が回ってこなくなって焦って本宅まで乗り込んできたと。
ああ、納得。
「それはそうでしょうね」
「え?」
「だって、今までは妻がいなかったからお断りをする必要がありましたもの。今はわたしがほとんど対応しています。だから、ルイス様が侯爵家に関することで何かをする必要がなくなりましたの」
困ったように首を傾げて見せた。申し訳なさそうに見えるように目を伏せた。
「そんな」
「私設秘書であることは主人から聞いています。ですから、そちらのお仕事を優先させてもらえませんか?侯爵家の仕事は侯爵家の人間であるわたしの仕事ですし……侯爵家の人間ではない主人の恋人がお手伝いするものでもありませんから」
少しの嫌がらせを含ませ告げると、執事にルイスを落ち着いてから帰すように指示する。わたしはこれから予定されているお茶会に向けて出発した。
一人馬車に乗り、うふふと笑みを浮かべた。
そろそろ、妻の役割がなんなのか理解してきてもいい頃だ。少しずつ、今までと違うと、違和感を感じてもらわなければ。
彼も一応子爵家の人間らしいが、あまり貴族夫人の役割を理解していないようだった。
ただ単に、家のためだけに嫁ぐのが貴族夫人ではない。貴族のつながりを作り出し、さらに関係を深め、維持するのも仕事だ。
独身だったロナルドに色々と誘いがあったのは、結婚相手にどうかと探りを入れるため。結婚してしまえば、今度は結婚相手と繋がりを作ろうと夫人たちの交流が始まる。
わたしは婚約期間中からベラに誘われて、キャンベル侯爵家のお茶会に参加している。同時にわたしが招待されたお茶会にベラを誘い、ベラも新しい繋がりを作っていた。
そして茶会と称した場所ではあらゆる場所の噂話から、信憑性の高いココだけの話まで様々な話題を夫人たちは持ち寄っている。お互いに持ちつ持たれつだ。
そんな社交の場に愛人の、しかも男の愛人がでしゃばるところではない。
「さて、どれほど我慢ができるかしら?」
お茶会で教えてもらっている情報が沢山ある。もちろん全部が本当ではないだろう。だが、すべてを広げてみれば、共通するところは見つかるものだ。
ロナルドとルイスの学園内での恋物語はそれはそれは一部の支持者がいるほど、ドラマチックなものだ。同性の恋人を持つことのない女性にして見たら、いわば娯楽の一つ。ロナルドと同世代の夫人たちが扇で口元を隠しながらも興奮してあれこれ知らないことを教えてくれる。
中でも特質するべき点は、ロナルドのルイスへの独占欲だ。どうやら学生時代は同性のライバルが多かったようで、常に一緒に行動をしていたらしい。それを学園卒業後、大学でも継続し、社会に出てからも継続していた。10年間もそんな生温い環境だったのだ。だから彼はちやほやされていることに慣れていても嫉妬することには慣れていない。
わたしだって、今更ロナルドがルイスへの独占欲をなくすとは思わない。ただ、今までのようにルイスの存在が全てでもなくなってくる。特に結婚して妻ができたのだ。ロナルドの中にわたしも何割か存在し始める。その上、子供のこともある。子供が生まれれば、さらにルイスの占める割合は減る。わたしの存在感を増すためにも、頑張っていかないとね。
これがルイスが女性で、子供を持つことができたならば、いくら正妻がいたとしても気持ちは楽だったろう。子供がいるのだから精神的な支えになる。だが、彼はどんなに努力しても子供を産むことはできない。頼れるつながりなど、見ることのできないロナルドの気持ちしかないのだ。
後継者を降りたらそんな心配もなかったのに。一人で独占することが可能だった。
自分の評判が落ちることを危惧したのか、はたまた本当にロナルドのことを思っていたのか。
ロナルドが放棄しようとしていたのに健気にも止めて見せた。別れる素振りさえ見せた。
その時を思い出し、不快感に襲われる。あの契約書を二人が正しく理解するのにどのくらいの時間がかかるだろうか。
まずは、キャンベル侯爵家における自分の立ち位置から理解してもらおう。
愛人には侯爵家の中に立ち位置などないのだときちんと理解してもらわなければ。