これがわたしの復讐ですわ
本当ならば、自分で聞いて何が起こっていたのか知りたかった。
だけど、別室に行く途中で歩けなくなるほど、お腹が痛くなった。どうやら陣痛が始まってしまったようだ。色々なことがあって、衝撃的な出来事もあったせいなのか、本当に突然だった。崩れるように膝をつきお腹を抱えるようにして前屈みになる。
ロナルドが慌ててわたしを抱きこむが、痛みのあまりにその後の記憶は曖昧だ。ひたすら、痛い!と赤ちゃんは大丈夫なの!を繰り返し叫んでいたような気がする。
お産が始まってしまったので、ルイスの事とかジェフリーの事とか、一気にどこかへ飛んで行ってしまった。ひたすら波のように押し寄せる痛みに耐え、何とか赤子を産んだ。ようやくいろいろなことに気が回るようになったのは、子供が生まれて一週間も経っていた。
赤子は男女の双子だった。男の子はわたしに似て、女の子はロナルドに似ていた。男の子はベンジャミン、女の子はヴィヴィアナと名付けた。
一度に2人生まれたことで、義理の両親からも父からも大量の子供用品が持ち込まれていた。未だに落ち着かない環境であっても、わたしが何かをするわけではない。何か忘れているな、とベッドの上で色々と考えているとようやく忘れているものに気が付いた。
「どうした?」
ロナルドが仕事の合間に子供達の顔を見に部屋にやってきた時に、ぐっとその腕を掴む。
「ねえ、ルイス様はどうなったの?」
「ああ」
ああ、じゃない。どうなったかを知りたいのだ。ルイスが乱心したようにわたしを攻撃しようとしていたのだ。簡単に流すんじゃない。
「ロナルド、誤魔化さないで」
「……ルイスは出て行ったよ。グレースに申し訳なかったと伝えてくれと言われている」
出て行った???
「何故」
「何故って、君を傷つけようとしたから。申し訳ないが、表沙汰にはできないから断罪はできない。ルイスが国から出て行くことで納得してもらえないか」
「違う!『真実の愛』で結ばれていたんじゃなかったの!!!」
ああ、とロナルドが納得したように頷いた。
「真実の愛は勝手に作り上げられたものだ。俺とルイスの間にはそのような愛はない」
「え?」
根底が崩れた。何のために、わたしは復讐を決意したのか。『真実の愛』が存在しないのなら、あの復讐は全く復讐になっていないということで……。
「『真実の愛』がないのなら、何故、あんな行動をとるの」
ルイスは女主人になりたいかのような行動をしていた。ロナルドの愛は自分にあると告げ、男なのに女のような役割を欲しがる。最後にはわたしを排除しようとした。
「愛人はそういう行動を取るものだと」
「何それ?」
「俺に聞かれてもよくわからない。ただ……」
ロナルドはベッドに寝ていたヴィヴィアナを抱き上げた。優しく包み込むように抱きしめる。その行動は何かに縋っているようにも見えた。
「ただ、何?」
中途半端な言葉にわたしは先を促した。だがロナルドはそれ以上を言わなかった。弱々しい表情を消すとちょっと笑い、ヴィヴィアナを抱きしめたまま、わたしの頬にキスをする。
「グレース、ありがとう」
何のお礼だ。全くさっぱりだった。一人納得しているロナルドに釈然としないまま、ルイスの話は終わってしまった。
名残惜しそうにヴィヴィアナを抱きしめていたが、仕事に行けとロナルドを部屋から追い払った。
一人になった部屋で、どういうことかを考える。
本当に彼は何をしたかったのだろう。ルイスの行動はただただロナルドを傷つけただけだと思う。わたしを傷つけたかというと実はそうでもないのだ。確かにぶっ飛んだ行動に驚きはした。理解もできずにどうなんだろう、とは思っていた。ただそれだけだ。
だけどよく考えてみれば、どことなく嘘くさかった。なんというのか……始終、何か出来のいい物語を観賞しているような。途中からは『真実の愛』の進化を見たいとまで思わせるほど、心をぐっと掴まれている。
初めてルイスに会った時、本当にこれで26歳かと信じられなかった。
結婚式の時の衣装にも驚かされた。怒りよりも、驚きのあまりに毒気が抜かれた。
初めて本宅へ来たときは、ルイスを追い詰めることができる、姉の復讐ができると考えた。
妊娠した時は、ルイスとロナルドはお互い愛し合っているのだと認め、真実の愛の行きつく先が見たいと思った。
出産間近では、ロナルドがわたしを愛していると知ってわたしを排除しようとした。
最後は、綺麗にに国外へ退場だ。しかもロナルドの心に治らない傷を作った。
「……」
そうだ、これは物語だ。素晴らしいほどの起承転結。ルイスの書いた台本に違いない。
ただ、彼が何を思ってこんなことをしたかはわからない。彼には今後も会うことはないから永遠に謎だろう。
だけど、これはないと思う。
結局はわたしの復讐は失敗だということだ。しかも、『真実の愛』の進化さえ見ることがかなわなかった。
何一つとして成功しなかった事実だけがわたしに残されたものだった。
******
子供を育てるのは手を貸してくれる人が沢山いるとはいえ、双子なので大変だった。あっという間に時間も経ち、気が付けば子供が生まれて半年もたっていた。二人ともとても活発で、毎日のように乳母たちや侍女たちの悲鳴を量産している。
その子供達を中心とした賑やかさも微笑ましく、ロナルドとの間もなんとなくほんわかしてきた。ロナルドは意外と親馬鹿で、ベンジャミンはいいとしても、ヴィヴィアナは嫁に行くのが大変そうだ。
自然と、わたし達夫婦は子供中心の生活になっていた。
子供がいて、ロナルドがいて、義両親がいて。
毎日が単調だけど、穏やかな生活はとても幸せを感じさせた。不思議なことに何の不安も、心配もなかった。大抵のことは乗り越えていけると根拠なく思っていた。
ただルイスがいなくなって復讐が不要になっても、ふとした瞬間に気持ちがルイスに持っていかれる。彼の行動の意味がはっきりとしなかったせいか、ルイスについてはなかなか気持ちに整理がつかなかった。
そんな中、ちょっとした気晴らしにと久しぶりに実家を訪ねた。もちろん、子供達も一緒だ。乳母たちも連れていくことで外出の許可が出た。クラーク侯爵家にはフィーネが子供と一緒に待っていた。こちらはわたしよりも早く子供を産んでいる。そのおかげで、部屋はすでに子供達にとって快適な環境になっていた。
「来てくれてありがとう」
「ううん。ずっと放っておいてごめんなさいね」
フィーネの依頼は、わたし達姉妹の荷物の整理だ。流石に嫁いで3年弱、姉のブリジットが亡くなって6年以上経っている。思い出の品と処分していい品の仕分けを頼まれていた。
沢山の品が残ってるが自分の物は嫁ぐときにほとんど整理していたから、残っている物は処分するだけだ。
問題は姉の持ち物だった。わたしも一度も整理したことがないのだ。部屋を移動するときにフィーネがきちんと整理してくれたようだが、それは整理であって選別ではない。一つ一つ箱を開け、箱ごと、いるものいらないものに分けていく。ドレスや帽子などは要らないし、こまごまとした雑貨もいらない。
ただ、宝石類だけわたしが持っていく。大半は父ケネスから、そして残りはロナルドからの贈り物だ。わたしは使わなくても、子供たちが使うかもしれない。
箱を開け、どんどん整理していくと残りは本や書類だけになった。本は背表紙を見れば、姉の好きそうな物語や経済学など様々な分野のものが置いてあった。これはそのままクラーク侯爵家の蔵書が置いてある部屋に移動だ。
次に書類が入っている箱を開けて見た。手紙がほとんどだった。手紙は申し訳ないけど処分すると決めていた。
「あら?」
一冊のファイルとしてまとまっている手紙を見つけた。これだけは特別なのか、他の手紙はそのまま箱にしまってあったのに、きちんとファイルされている。何気なく開く。
「これは」
中を見て、目を見張った。慌てて広げて、目を通す。何通も何通も。どれくらいの量があるのだろう。沢山の手紙を斜めに読んだ。どくどくと心臓が嫌な音を立てている。見てはいけないものを見たような、そんな気持ちだ。
「……そうなの」
最後に出てきたのは、姉の字で書かれた送られなかった手紙。そして、一冊の本。落ち着かない気持ちを落ち着かせるために、まず本を開いた。
「『真実の愛』で結ばれた二人……なにこれ」
ぽつりと呟いた。どうやら『真実の愛』をテーマにした物語の様だ。最後まで捲ると、息を大きく吐いた。なんとなくだが、事情が見えてきた。
まず、姉のブリジットとルイスは文通友達だった。
姉はルイスに愛人を継続して欲しかった。
ルイスは姉を苛めているふりをして、姉の結婚時に身を引くつもりだった。その参考にするための本だろう。ここに出てくる女主人公の行動はとてもよく知っている。実際に目にしたから。なぜあの行動になったのか、初めて理解した。
そして。
息を整え、姉がルイスにあてた手紙を広げた。
衝撃のあまりに、読み終わった後もしばらく呆然としていた。
***
「ということなの」
お茶を飲みながら、呆然として座っているジェフリーにそう締めくくった。わたしが知った事実と考えたことを簡単に説明したのだ。すっと彼の前に手紙の入ったファイルを置く。
「これは……?」
「姉が貰った手紙です。読みたくなければ読まなくてもいいし、読みたければどうぞ」
姉の手紙から、ロナルドと婚約解消し、ジェフリーと結婚するつもりだったことが分かった。それを知って、父ケネスにも確認を取った。ほとんど根回しが済んでおり、あとはロナルドとブリジットの話し合いによって決まるところまで話はまとまっていた。ところがその前にブリジットが事故で亡くなったのだ。亡くなったことによって、この話は終わる。
ジェフリーはしばらくそのファイルを見つめていたが、覚悟を決めたように読み始めた。わたしはただただ静かに彼を見ていた。
彼に見せたのは少しでも事実を知って気持ちが整理できればと思ってのことだ。ルイスに対するジェフリーの態度は、彼もまたブリジットの死の原因がルイスにあると考えていると示していたから。
わたしもわかった時には愕然としたし、どうしていいのかもわからなかった。
それでも知っているのと知らないのでは全く違う。
姉の死もただの不幸な事故であったと徐々に思えるようになったのだ。
姉の手紙を見つけて、二週間。
どうするべきか考えた。
その中で、きっと心の傷になっているだろうジェフリーには事実を伝えるべきだと思ったのだ。だから、こうしてクラーク侯爵家に来てもらった。キャンベル侯爵家でもよかったが、ジェフリーが気楽に来られるのはこちらの屋敷だろうと思ってのことだった。キャンベル侯爵家の使用人たちはわたしを一時的にでも怖がらせたとしてジェフリーを嫌っているのだ。
「……ブリジット」
読み終わると彼は弱々しく姉の名を呟き、顔を両手で覆って項垂れた。もしかしたら泣いているのかもしれない。姉は確かにジェフリーと一緒に未来を歩くつもりでいたのだ。
どのくらいそうしていたのか。ジェフリーがようやく顔を上げた。その目には涙はなかったが、赤くなっていた。
「ロナルドにも見せるんだろう?」
「いいえ?」
わたしの否定の言葉に、ジェフリーが目を瞬いた。信じられないような顔をしてわたしを凝視した。わたしは首を少し傾げた。何をそんなに驚いているのかわからない。
「だが、一番、悔いているのは……」
「そうね。きっとロナルドは姉を間接的に殺したと思っているでしょうね」
ジェフリーの言いたいことはわかっている。きっと生きている中で一番後悔しているのは、ロナルドとルイスだ。だけど、わたしは二人に伝える気はなかった。
「理由を聞いてもいいかい?」
「いいわよ。単に嫌がらせよ」
「……随分行き過ぎた嫌がらせだ」
「では言い直すわ。これは復讐なのよ。一生悔いればいい」
ロナルドには姉の気持ちを理解せずに逃げたことへの復讐。
ルイスにはわざとわたしを怖がらせたことへの復讐。
「ロナルドは君を愛している」
「そうかもしれないわね。でも、彼には言われていないわ」
ジェフリーは困ったような顔をした。
「あまり頑なになるとグレース、君が辛くなるよ」
「ロナルドがわたしにちゃんと愛を伝えてきたら考えるわ」
この時はこんなに時間がかかるとは考えていなかった。ロナルドがわたしに愛を伝えてきたのは、双子が10歳になってからだった。わたしはこの時4人の母になっていた。
***
「グレース、愛しているよ」
唐突に、前触れもなく告げられた愛の告白はわたしが去年産んだ4人目の子供のおしめを手に持っていた時だった。侍女に任せてもいいのだが、こうして家族でいる時にはなるべく自分で取り替えている。理由は特にない。なんとなく母っぽくていいのでは、程度のものだ。
「はい?」
「だから、愛している」
「……」
何故、夫はこんなにも残念なんだろう。すでに義父からキャンベル侯爵の爵位を引き継ぎ、事業だって拡大し続けている。外に出れば、昔のような優しいだけの男ではない。
ルイス以降、未だにいない愛人になりたくて秋波を送る女が大量にいる。もちろん、そんな女どもはわたしが蹴散らしていた。昔に比べて、ロナルドも時々わたしの撃退に参加してくれるのが進歩と言えば進歩だ。
「ずっと言いたかった。君は俺にとって……」
手にしていた交換する前のおしめを彼の顔にぶん投げた。
「やり直し」
「グレース」
ロナルドは顔に飛んできたおしめを手に持つ。
「やり直して。ちゃんと状況を考えて。夜の月が綺麗に輝いている薔薇の咲く庭で、ロナルドの送ったドレスを着たわたしをエスコートしてから言って」
「……いつできる?」
「そうね、いつがいいかしら?」
少し意地悪に笑って見せた。ロナルドはしばらくわたしを見つめていたが、諦めたようにため息を漏らした。
「じゃあ、行動で愛を示すよ」
「え?」
逃げようとしたがそうはいかなかった。わたしはロナルドにがっちりと抱き込まれる。おしめを替えてもらえずに放置された娘が今にも泣きそうだ。ロナルドはベルを鳴らし、侍女を呼ぶと手早く娘を預けてしまった。二人になった部屋で、わたしは呆然とその成り行きを見ていた。
「グレース」
名前を呼ばれて顔を上げると、すぐに口を塞がれた。情熱的なキスに、息が上がる。ばんばんと解放するようにと彼を叩くがますます激しくなるばかりだ。
「ちょっと!これ以上、子供はいらないでしょう!」
ようやく解放されて、真っ赤になりながら怒鳴った。ロナルドは艶やかに笑う。
「子供は愛の結晶だ。いくらいてもいい」
「愛の結晶って……」
「俺は色々間違えてきたが、君を、家族を守るよ」
ロナルドの言葉を聞いて、わたしは鼻で笑ってしまった。
「守るのはわたし達よ。子供たちを守るのが親の仕事なのだから」
「そうだな」
「そうよ」
ロナルドがそっと背中を撫でる。わたしはふふっと笑ってロナルドの首に腕を回した。
もし、ロナルドがわたしの希望通りの告白をしてくれたら、あの手紙を見せてもいいかもしれない。
この残念な男がちゃんと告白できるかわからないが、そろそろ潮時なのかもとぼんやりと思っていた。
ちなみにわたしはロナルドを愛しているわよ?
もちろん、家族として。
男性としては、どうかしら?
Fin.
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
ロナルド視点を入れようかとも思ったのですが、本編の流れが悪くなるので、ロナルドの気持ちの変化は後で小話としてちょこちょこ追加していきたいと考えています。ダメ男なので、本編に入れると最後が締まらなくなってしまうので。
結局、復讐らしい復讐にならず、やはり嫌がらせ程度だったというオチです。ジェフリーとグレースが事実を知って、気持ちの整理ができたのが唯一よかったことですね。