秘密の文通 - ブリジット -
ロナルドとわたしはとても仲がいい。
そんな風に誰もが思うようにするには、一緒に行動するのが一番だ。普段から時間が合えば、買い物や観劇など気が向くままに連れ出してくれる。ロナルドは寮生活であったが、わたし達が一緒に出掛けることは多かった。
ただ、茶会はあまりロナルドは積極的ではなかった。エスコートしてくれないわけではないが、月に一度、エスコートしてくれればいい方だった。学園の寮に入っているから時間が合わないのは仕方がないと今は納得しているが、それでも不満だった。
他の学園に在学している婚約者を持つ友人たちはもっと頻繁にエスコートしてもらっているからだ。茶会にエスコートされずに出席するのは実のところ不仲では、と勘繰られることが多かった。幸い、茶会以外での外出では一緒にいることが多く、それを知っている人も多いのでちくりと言われるだけで済んでいた。
できるだけ一緒に出席してもらえるように、エスコートを依頼する手紙も頻繁に出した。こうでもしないと、何も言ってこないからと確認さえしてくれないのだ。
わたしがまだ15歳になっていないから、夜会に出なくてよかったのは救いだ。茶会の他に夜会まで同じだったら、面倒すぎる。
「これは一体」
そんな中、届いた断りの手紙。
表を見て、裏を見る。明らかに字がロナルドのものではない。見たことがない筆跡だ。息を整えて、中を見る。
「……」
すごい。
すごいの一言だ。これほどまでの辛辣な言葉を見たことがなかった。物語の中ですら、使われていないと思う。悪意がたっぷり。と言いたいところだが、そうではないだろうなと思う。だが、1回で判断できることでもない。とりあえず、いつもと同じようにエスコート依頼を出した。
正直に言おう。彼とのやり取りは面白い。こちらが無視しているのが分かっていて、どんどん苛烈な表現になってくる。もしかしたら、物書きになれるのではないかと思えるほど語彙力がある。半分以上は聞いたことのない俗語ばかりで全く何を言っているのかわからないが、貶めしているのだけはわかる。ニュアンスが分かればいいのだ、文章自体は意味がないのだから。
そして、10回目を受け取って。
彼が何を考えているかを想像して、再び手紙を書いた。
きっと彼は、わたしに悪感情を持っていない。これだけの罵倒の言葉の並ぶ手紙をもらっていて、どうしてそう解釈できるのかと聞かれてもはっきりと説明はできない。ただ、直感的にこの手紙がわたしの気を引くためだけのものだと分かっていた。
それを確認すること10回。
彼は一度もわたしに別れろとは書いていない。わたしを否定することも書かれていない。
もしかしたら彼とはいい関係が築けるかもしれない。正妻と愛人として。
ともすれば憎しみあう関係だし、お互いを引きずり降ろし合うこともある。わたしはそんな不毛なことには時間を取られたくなかった。神経を消耗するのも嫌だった。
ロナルドのことは家族の一人として本当に愛している。彼の子供も産むこともできる。だけど、心許せる相手はわたし一人でなくてもいい。女性にはわからない、男性の方が理解できることも多いはずだ。
今回の場合はとても幸運だった。彼はどんなに頑張っても子供は産めない。愛人として出しゃばらない限り、側に置いておいても問題ないのだ。しかも彼の他を牽制する手腕はなかなかのものだ。多少の事ではへこたれない精神力もいい。
手紙を書こうと思ったのは、彼とはいい関係が築けるかも、という期待とちょっとした好奇心からだった。
ロナルド宛のエスコート依頼、そしてもう一枚。
書類を書くための紙には彼、ルイスへと。
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ルイス・ヒューム子爵令息様
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ここからわたし達の秘密の文通が始まった。
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いつものようにロナルドの名前でルイスから届いた手紙の封を切った。
彼は必ず罵詈雑言たっぷりの名作とわたしへの手紙の二枚を書いて送ってくる。そしてある日、その意図を聞いて眉を寄せた。
どうやら、ルイスがすべての悪評を引き受けて、逃げるつもりでいるようだった。その考えにムカムカした。自己犠牲は美しいと思うが、彼の場合は違う。ただ単に、自分が納得して区切れる何かを探しているだけだ。
ロナルドへの愛情もあるのだろう、わたしへの好意もあるのだろう。
だけど、彼が犠牲になる必要はないし、ロナルドから離れて人生をやり直したいと思えばいくらでも手を貸す。
それぐらい、わたしにとっても彼は大切な友人となっていた。一度も会ったこともないのにだ。
ルイスと付き合うと聞いた時にこっそりと姿を見に行ったことはあるが、遠くから見ただけで声をかけてはいない。手紙だけの繋がりなのに、不思議とわたしはルイスのことを信頼して、幸せになってほしいとさえ思っていた。
なのに、あの友人は自分のことをどうでもいいと言う態度。自分で立てた計画に酔っている感がぬぐい切れない。
仕方がなく、自分を大切にして欲しいとだけ伝えてみた。
わたしの思いが正しく伝わっているかは不明だ。こういうところが、手紙の不便なところだ。腹を割って話し合えばもっと違った未来が見えてくるのだと思う。
憤りを感じながらも、ルイスの提案がわたしにとって、とてもありがたい事であることには間違いなかった。ただ、それを実行された場合、後味の良いものではないのも確かだ。
まだ時間はある。できればずっと愛人のままでいて欲しいとお願いし続けてみよう。もしかしたら気が変わるかもしれない。
わたしはルイスの本当の手紙だけを抜いて、封書を片付けた。こちらの手紙は別のファイルにしまっている。
万が一、ロナルドに見られたら立ち直れないから。
もちろん、立ち直れないのはロナルドよ?
***
わたし達はロナルドを挟んでお互いを理解していたと思う。4年以上も文通をしているのだ。不思議とお互いに会おうとは言わなかった。このままの関係が心地よかった。顔を合わせたことがないから、本来ならば言えないようなことも抵抗なく言えてしまうのかもしれない。最近は、ロナルドが逃げ回るのでその相談ばかりだ。
ロナルドが逃げるので当然噂も面白おかしく囁かれるようになっていた。その噂も上手くルイスがコントロールしてくれた。あまりにも出来のいい噂話に、思わず笑ったほどだ。
20歳超えた男が高額な贈り物を強請って、拗ねてみせるなんてなかなかできないと思う。もう、ルイスの根性には頭が下がる。ルイスが派手な噂を作るたびに、申し訳ない思いと笑ってしまう思いを味わっていた。
ただ、それだけでは済まなくなってきていた。ロナルドが徐々に茶会を、夜会の出席を断るようになっていたのだ。最近エスコートされたのは2か月前の夜会だ。
わたしは父ケネスにエスコートされて夜会に出ることも増えていった。もちろん、手紙でもエスコートを依頼し、ルイスにも後押しをお願いした。一度は良い返事をもらうものの、直前になって仕事が入ったと断られてしまう。仕事は口実ではないから、質が悪い。本当に隣国にそこそこ長い期間、出かけて行くのだから。仕事については文句が言えない。
夜会や茶会でのさりげない口撃には笑顔で反撃している。このくらいは平気なのだが、回数も重なればぎゅっと心が痛くなることもある。そんな痛みを感じてしまった日は自室に帰り着くと、なるべく発散するようにしていた。
その気持ちも枕で発散できても、ロナルドを思えばムカついてしまう。
どうして、一緒にいてくれないの。
彼の精神状態がそれすらもできない状態になっているのはわかっていた。彼もまた、わたしを貶める噂を聞くたびに心が痛いのだろう。事実無根だと言っても、流そうと努力しても、守らなくてはと思う人間の悪評を笑って聞いているのは難しいはずだ。
ただそうだろうとは想像はできるが、わたしはロナルドの本当の悩みを聞いたことはない。ルイスにも聞いたが、ルイスも聞いたことはないと言っていた。
その悩みを話してほしい。そして、わたしの話も聞いてほしい。二人で笑い飛ばせれば、それだけで何でもない話になる。
そんな思いを抱えたまま、どうにもならない毎日を過ごしていた。
***
今日はたまたまだった。ロナルドにエスコートを頼むためにキャンベラ侯爵邸を訪れたわけではなかった。珍しいものが手に入ったのでキャンベラ侯爵夫人であるベラに届けに来たのだ。それがかえって良かったのか、ロナルドもたまたま屋敷に寄っていた。
わたしの姿を廊下で見つけると、驚いた顔をした。そして、ばつの悪そうな表情に変わり、ふいっと顔を逸らす。わたしはドレスの裾を持ち上げて、辛うじてはしたないと言われない程度の速度で走り寄った。ぐっと彼の腕に抱きつく。
「ちょっと来て」
そのまま逃がすまいと、ぐいぐいと引っ張り、客間の一つに入った。小さめの客間にはテーブルと長椅子が置いてあり、部屋の飾りも少なめだ。付き添いのための部屋だと思うが、気にならなかった。今はロナルドを逃がさないことが重要だ。
「ねえ、ロナルド」
ようやく捕まったロナルドを逃がさないように一人用の椅子に無理に座らせた。その前にわたしは立ち塞がる。これで逃げられないはずだ。力で押しやられたら逃げられるだろうが、彼はきっとそれはしない。
「ブリジット」
「このまま逃げていてもダメよ。ちゃんと出席して?」
「俺は」
「せいぜい仲のいいところを見せつければいいのよ。それともわたしをエスコートするのが嫌なの?」
畳みかけるように問う。ロナルドは答えられずに沈黙した。彼の顔をそっと覗き込んだ。いつもは見上げなければ見えない顔も、こうして座っていればわたしが見下ろせる。
至近距離でその端正な顔を見つめた。適齢期の女性が彼を何とか手に入れようと頑張るのもわかる気がする。身分もお金もあって、優しくて、背が高くそれなりにかっこよくて。ずっと一緒だから、残念なところしか目がいかないけど。
「何をそんなに怖がっているの」
年上の困った婚約者に優しく聞いた。だが、何も答えない。ロナルドはわたしから視線を逸らした。今度はその視線を合わせることはしなかった。ただ、静かに言葉を重ねた。
「わたしはもう17歳なのよ。来年は卒業よ」
「わかっている」
「わかっていないわ。何が怖いの?」
ロナルドは大きく息を吐く。そして顔を上げた。辛そうな顔でわたしを見つめた。普段穏やかな顔には苦悩が浮かんでいた。
「噂をそんなに気にしているわけじゃない。そんなこといつものことだ。特に俺たちは話題にしやすいからな。ただ、つい先ほどまで、ルイスやブリジットの悪いところをあげつらっていたのに、俺が側に行けば突然、褒め始める。その変わり身がとてつもなく醜いものに見えて、殴りたくなる」
「えっと」
なんとも言えず、言いよどんだ。
「慰めなんていらない。わかっている、そういう場所だ」
「仕事なら気にならないの?」
「手のひらを反すような奴は信用できないから排除すればいいからな。ただ、貴族の社交界は化かし合いだ。簡単に切ればいいというものじゃないだろう?」
ロナルドはわたしの手を握りしめた。わたしもやんわりと握り返した。
「ねえ、わたしは侯爵令嬢なのよ」
「ああ」
「それくらいは普通なの。陰で悪く言いながらも、同じ席に着けばにこやかにほほ笑み合う。それが普通よ」
「でも、ブリジットはいつも辛そうだ」
辛そう、と言われて顔が引きつった。
え、わたしの仕草がそう思わせている???
思っていることと仕草なんて一致しないのは貴族令嬢として標準装備よ???
それにわたしはもともと憂い顔。
ちょっと目を伏せるだけで、皆が傷ついていると勘違いするほどよ。
「ロナルド」
「ん?」
「わたしはこんな見かけだけど、儚くもないし、弱くもないのよ?」
ロナルドは首を傾げている。
「そんなことないだろう?貴族令嬢として振舞っているに過ぎない。君が思っていないところで深く傷ついているんだ」
「だから……」
説明しようとしたが、やめた。きっとどんなに説明してもこの男は理解しないのだと思う。すべては心の奥の話になってしまうから、自覚がないだけ、気が付かないだけと言い始めてしまうだろう。そうなると平行線を辿る。
本当にこの男は残念仕様だ。
愛する男というよりは、やはり愛する家族だと思った。
わたしのことをちゃんと見ていない。彼にとってわたしはいつでも守るべきか弱い女の子なのだ。
それを憤るよりも仕方がないと思ってしまうのだから、わたし達は家族なのだ。