儚いのは見た目だけよ? - ブリジット -
わたしはブリジット。
クラーク侯爵家の長女よ。
何だかよくわからないけど、お母さまに似たこの儚げな容姿はとても、とても誤解を生む。妹のグレースのように、明るく弾けるほど元気な感じがよかったわ。
ちょっと目を伏せただけでも、憂いているなんて思われるのよ。わたし、今夜の夜食に何がいいかを考えていただけなのに。ついでに、太るかどうかもちゃんと考えているわよ。太るとドレスを作り替えないといけないから。
ああ、もしかしてこの最後の悩みが憂いとなって表れたのかしら?
そして、この容姿で完全に誤解をしているのは目の前にいるこの男。
礼儀正しく整った容姿に、とても優しい性格。面倒見もよい。きっとこれからいい男になるだろうこと間違いなし。
彼はわたしの婚約者だ。正式に婚約したのはつい最近だけど、付き合いはそれこそ赤ちゃんの時から。
もう死んでしまった母の話を信じれば、わたしはロナルドに飲んだミルクを盛大に吐き出しているわ。オムツだって変えてもらっているらしい。今思えば、乙女の下着を剥ぐなんて許せないわね。彼の綺麗な髪が欲しくて、強引にむしったこともあった。その他にも色々やらかしている。
それにも関わらず、彼の中ではわたしはとてつもなく儚く、か弱い人間だと思っている。どうしてそうなってしまったのか。線の細い体と柔らかな大人しそうな顔立ちのせいだと思うけど……確かじゃない。
これほど接しているのになぜ気が付かないの。わたしが大人しげなのは見た目だけだって。別にこの性格、隠していないわよ。
わたしの精神力は鋼の精神力よ?そういう風にきっちりと育てられているもの。
目、ちゃんとついている?
変な思い込み、していない?
こういう誤解って、上位貴族には必須の淑女教育の弊害だと思う。
紳士教育のせい?
それとも……両方かしら?
******
今、わたしはとてつもなく不安だ。
わたしの婚約者、ロナルドには男の恋人がいる。
恋人がいるのは別にいい。幼い頃からの付き合いであるが、そこに男女の愛があるわけじゃない。恐らく男女の愛を突き抜けて二人の間にあるのはすでに十数年一緒に過ごしたような夫婦の愛だ。つまり、お互いなくてはならないが空気のような存在。それがわたし達だ。恋人の一人ぐらい、大した話じゃない。
幸い、わたしの父には今は愛人はいないが、一時期、いた時期もある。死んだ母は別に気にしていなかった。上位貴族などそういうものだと割り切っていたのだ。排除するべきなのは弁えない愛人であって、陰で大人しくしている分にはいいのだそうだ。逆に夜のお務めが減れば、その分睡眠が確保できるとまで言っていた。多分、母は体力があまりなかったのだと思う。
わたしの場合、年齢的なこともあり、ロナルドが男の恋人を在学中に作ると言ってきても当然だと思っていた。流石にわたしの年齢でロナルドの閨の相手をするわけにはいかなかったから、誰かがそれをする必要があった。
娼館よりはよかったかもしれない。ロナルドの性格から、娼館に通ったら身請けしたいとか言い出しそうだからだ。その点、箱庭の恋愛は世間的にも無難だった。
そう、箱庭の恋愛は一般的には無難なのだ。ところが、ロナルドが選んだ恋人は少し問題の多い人物だった。社交界ではかなり噂の人物ともいえる。なんだろう、あらゆる害悪のように言われているのだ。
でもね、よく聞いているとおかしなことばかりなのだ。
子爵家の嫡男である彼はまだ16歳。
その彼がどうしてそこまで見持ちを崩さなければならなかったか、その背景は何?と疑問は沢山。
ロナルドと付き合うのだから、わたしだってそれなりに調べた。かなり大変だった。彼の噂は多すぎて、勝手に独り歩きしているところもある。
それをかき混ぜているのは、彼の父親の後妻だ。多分あの女性が元凶だと思う。始末の悪い愛人をそのまま後妻にするなんて、ヒューム子爵もたかが知れていると思ったほどだ。それにあの家の財政は徐々に傾いている。あと数年、あのままだったら王家によって子爵家の当主のすげ替えが行われるだろう。
余計な噂を弾いて精査してみれば、ルイスはただ親しい友人たちが最下層に属すると言われる身分の者だっただけだった。そして、子爵家の後継を彼自身が放棄している。これはバーリー侯爵に直接確認しているから事実だ。
あとは何がきっかけかわからないけど、彼があのように色々な男子生徒と関係を持つようになったのは、学院に入ってからだ。
蝶のようにひらひらと男から男に渡り歩くのは、目的があってのことだと思う。何も考えていないようで、彼はかなり賢い。どうも新しい噂が流れるたびに、楽しそうなのだ。家庭内が色々あって、すでに捻くれているかもしれない。
調べてみれば彼は噂ほど酷い人間ではなく、まあまあ普通だということだ。男をとっかえひっかえしているようにみえるけど、その辺の女好きよりはよほど少ない。多分、まだ一桁だ。どこぞの伯爵令息は茶会の席で関係を持った人数が男女合わせて二桁だと自慢していたから、全然少ない。
わたしの不安を掻き立てているのは、ロナルドの方だ。ロナルドのルイスへの思い込みが不安なのだ。
完全に、完全に、見た目にやられている。
儚い消えてしまいそうなほどの美人だ、ルイスは。ちょっと困ったように小さく笑って、首を傾げられたら大抵の男どもは守りたいと思ってしまうに違いない。ルイスの姿を確認しようと遠くから見ただけだけど、その容姿の儚さはすぐに分かった。男性なのに小柄なのも庇護欲がそそられる。
ロナルドの話を聞く限り、ロナルドの持つ儚い美人像のど真ん中だ。自分が想像する一番儚い存在として彼はロナルドの中に君臨してしまった。
これは最悪である。きっと彼からは別れることができない。
心配になって、ついロナルドの学園での友人だという人が屋敷に来た時に声を掛けてしまった。父はとても驚いていたが、わたしの気持ちが分かったのだろう。苦笑しながらも紹介してくれた。
「初めまして。ジェフリーです」
「ブリジットです。よろしくお願いいたします」
そう堅苦しい挨拶をした後、彼はふっと笑って、ジェフと呼んでいいと言ってくれた。突然、態度を崩した彼に驚いたものの、わたしも堅苦しい中で聞く話でもなかったので素直に受け入れた。
単刀直入にロナルドの儚い美人像を壊してほしいなど言えるわけもなく、どうしようかと悩みながら会話を進めていた。壊してほしいのは思い込みで合って、別に恋人であることには問題ないのだ。だが上手に表現できない。
時間は有限だし、そろそろ聞かないとダメだ。いい言葉が浮かばず、もうそのまま聞くことにした。
「あの……ロナルドはどうですか?」
何がどうなんだとかそういうことは、色々察して。
そんな思いを視線に込めて、じっとジェフリーを見つめた。ジェフリーはわたしの思いに気が付いたのか、少し笑う。
「心配しなくても、ロナルドだってわかっているよ」
「そうかしら?」
わたしはそう呟き、お茶の入ったカップに目を落した。しばらくはそうしていたが、ため息を一つつくと顔を上げた。
「そうね、信じないとダメよね」
「もしそうなったとしても、結婚はブリジットとしかしないと思うよ。相手は男だ、頑張りようがない」
当たり前のような慰めに、わたしはつい笑ってしまった。心配はそこではないのだが、付き合いの浅い彼にはわからないだろう。ようやく力が抜けたところで、騒々しい足音が聞こえてきた。
あれは、まさか。
思わずため息が出る。
「お姉さま!」
やっぱり。妹のグレースの登場だ。今日はグレースとの約束を取りやめていたので、怒っているとは思ってた。できれば、ジェフリーが帰った後にならいくらでも詰ってもよかったのだけど。そう都合よくはいかない。
「グレース、ダメよ。お客様の前よ」
少し窘めると、グレースは頬を膨らませた。
ああ、やっぱり可愛い。本当にどうしてこの子はこんなに可愛いのだろう。
ちょっと顔をほころばせると、勢いよく来たグレースを抱きとめる。ちらりとジェフリーを見ると、彼も可愛いと思ってくれたのか目を細めて笑みを浮かべていた。無理やり真面目そうな顔をしようとしているが、笑いを堪えているのが丸わかりだ。
この人、いい人だ。
わたしはグレースとジェフリーのやり取りを眺めながら、そんなことを思っていた。
******
ジェフリーは仕事の関係でクラーク侯爵家に訪問することが多かった。わたしも彼に合わせて少しだけ時間を取る。そして、注意深くロナルドの様子を聞いていた。
思っていたとおりだった。
ロナルドはやっぱり彼を懐に入れてしまったのだ。ジェフリーはロナルドに別れるようにと忠告はしてくれているようであるが、正直無理だろう。わたしが説得するのも無理だと思う。彼の懐は一度はいると出ることはできないのだ。それはすでに経験済みだ。きっとロナルドの中で、彼は守らなくてはいけない人になっているはずだ。
最近は、親類のおばさまのお茶会や低年齢層の令嬢が出ることができる集まりなどのエスコートも不自然にならない程度に断られるようになってきた。きっとわたしが陰口を言われているのに気が付いているのだ。悪口を言っている人物も実は特定できている。
なんと、ルイスの異母妹が中心となっているのだ。多分、ルイスへの当てつけで、わたしもを貶めしているのだと思うのだが……もしかしたら彼女はルイスだけを狙っていて、その内容が間接的にわたしをも貶めしていると気が付いていないだけかもしれない。
ルイスの異母妹はなかなかのお喋り鳥で、色々なところで外聞も関係なく囀っている。だから余計に低年齢層にも浸透していくわけだ。大人と違いこちらは利害関係も、真実の有無も関係ないから、面白いほどどんどん広がる。
今日こうしてルイスの異母妹のいない茶会に出席できたのはよかった。少なくともわたしが一人で出席している茶会よりはマシなはずだ。
それに、この茶会をロナルドと出席したから、しばらくはエスコートなしでも快適に過ごせる。今回の茶会は婚約者との出席が主になっていたから、どうしてもエスコートが必要だった。普段の茶会は女性ばかりだ。わたしが直接言われる分には問題ない。反撃するのみだ。
「ロナルド」
険しい顔をして側に立っているロナルドを見上げた。わたしがいかに魅力がないかを語っている令嬢の言葉を拾ってしまったようだ。
仕方がなく、注意を引くように婚約者の名を呼んだ。ロナルドはようやく表情を緩めた。
「何?」
「もっとにこやかに。わたしは大丈夫よ。大したことではないわ」
「しかし」
彼は渋面になった。わたしはくすくすと笑う。
「皆、あなたの愛人を狙っているのよ。だからわたしよりも優れていると言いたいだけよ」
「……ブリジットより優れている奴などいないだろう」
「褒めてくれているの?嬉しいわ」
にっこりとほほ笑むと、ロナルドはようやく笑みを見せた。わたしだけに見せる優しい笑みだ。腰に腕を回し、抱き寄せてくれる。そっと頬に唇が落ちた。どうやら周りを牽制してくれるようだ。茶会でこんなことはどうかと思うが、会場の隅だし仲のいい婚約者同士ということで許してもらおう。
うん、こうして笑っていれば極上だ。
「しかし学園で恋人を作っただけで、こんなことになるとは思っていなかった」
ため息交じりに、彼の本音が零れた。彼の頬がわたしの頭に寄せられる。わたしの背が低いせいか、彼の背が高いせいか、最近よくこうして寄り掛かってくる。
「これでよかったのよ。男の恋人だから、あなたはわたしを大切にしていると思われているし、きちんと線引きしていると評価されているわ」
「そうだといいんだが。思った以上にルイスの評判が悪くて」
「なかなか面白い噂が多いわね。でも、ちゃんと理解している?」
わたしは声の音を少し落とした。
「何を?」
「彼の噂はほとんどが嘘よ。本当なのは、学園でフラフラしたことだけよ」
「……よく気が付いたな」
ロナルドは驚いたように目を瞬いた。わたしはくすりと笑う。
「あなたに関わることだもの。ちゃんと調べるわよ。ちょっと苦労したけど」
「俺は君とルイスを守れるんだろうか」
ぽつりと呟いた言葉は少しだけ不安が滲んでいた。
「一人で抱えないで。大したことじゃないわ」
「そうだな」
頷きながらも、彼はわかっていない。彼の中でわたしが庇護する相手のままだということを。わたしは庇護されたいわけじゃない。隣になって同じものを見ていきたいのだ。愛で結ばれている関係でないのだから、せめて信頼し合える、支え合える存在でいたい。年齢差があるからどうしても隣に立つのはすぐには無理であっても、だ。わたしがそう思っていることに気が付いてほしい。
その点、ジェフリーはわたしのことをまっすぐに見ていた。初めは儚い感じの弱そうな女性だと思っていたようだが、回を重ねるごとにその印象は消えていったようだ。
儚いだけで、侯爵令嬢が務まるわけがない。しかも、わたしは当主にもなるかもしれない立場。
まだ知り合って間がないジェフリーにもわかるのに、なぜわからないのだろう。
……やっぱり、ロナルドは頭のどこかが変色している違いない。残念な男だ。